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(2) 詩篇91篇に見る信仰告白

本論 4

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2. 詩篇91篇に見る信仰告白

(1) 告白の力

  • 詩篇における信仰告白は、詩篇を構成するきわめて重要な構成要素である。神が自分にとっていかなる方であるかという告白をするとき、信仰の霊が働き、神の力が現実に表わされていく。神から来る希望に満たされ、平安が支配する。信仰が失われれば、必ず、恐れや不安、疑いが私たちの心の中を支配するようになり、力を失い、失望に陥ることになる。それゆえ、信仰の告白はきわめて重要なのである。使徒パウロも「人は心に信じて義と認められ、口で告白し救われるのです」(ローマ10:10)と述べている。
  • この詩篇に見られる信仰告白は「わが避け所」(2,9節)、「わがとりで(2,4節)」、「主の真実は大盾(4節)」、そして、「隠れ場」(1節)は、神の「陰」(1節)であり、神の「住まい」(9節)と同義である。いずれも、神の守り、保護、安全をあらわす比喩である。これらの比喩は、神の守りに対する絶対的信頼と主の御翼のもとにあるやすらぎを意味している。詩篇にはこの他にも〔守りの詩篇〕と呼ばれるものが数多くある。たとえば、27篇、46篇等。
  • 第二次世界大戦の頃、イギリス軍にウイットゼイ大佐という人物がいた。彼の率いる連帯は全員が毎日朝晩、詩篇91篇を朗読して神に安全を願ったそうである。彼の連隊は5年間激戦地で戦い続けた。他のほとんどの連隊は全滅したり、多数の死者を出したりしていた。ところが彼の連隊だけは一人の死者も出なかったという。このあかしを読んだ The VIP Club の佐々木満男氏(弁護士)は、「これはすごい、私もやってみよう」と思い立ち、自分の家で、毎晩、就寝前の祈りのときに唱えることを実行した。すると「主は避け所」という真理が単なる精神論ではなく、現実・実際のものであることを体験するようになった、とあかししている。(月刊誌「羊群」1998/8)
  • 私たちも詩篇91篇2節のみことばを、信仰をもって告白し、自分自身と家族のために、教会につながる一人一人のために日々《守りの垣根》を張り巡らせよう。ヨブの繁栄を憎み、彼を攻めようと企てたサタンは、神に「あなたは彼と、その家のすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか」と訴えた(ヨブ記1:10)。しかしそれがはずされたとき、ヨブは様々な災いに見舞われることとなった(13節以下)。使徒パウロも「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」と、だれも敵対することができないのだという確信を述べている。※2⇒「自滅の原則」

(2) 告白の比喩

  • ところで、神の守りや保護を表わす比喩として、「盾(大盾)、巌(岩)、やぐら、とりで、避け所、隠れ場、味方、逃れ場」などがあげられる。91篇に使われている盾の意味を取り上げてみよう。

「わが(私の)盾」(18:2, 28:7, 33:20, 84:11, 115:9~11, 119:114, 144:2)

「主は、私の回りを取り囲む盾」(3:3)
「私の盾は神にあり」(7:10, 89:18)
「主はすべて敵に身を避ける者の盾」(18:30)
「あなたは正しい者を・大盾で囲むように愛で彼を囲まれます。」(5:12)
「主の真実は、大盾であり」(91:4)


●盾には大盾と小盾の二種類があった。大盾はおもに槍を持つ者が携帯し、戦士の上から下まで全身を覆うほどのものであった。小盾はおもに弓を引く者が用いた。神はアブラハムに対して「わたしはあなたの盾である」と言われた。神のイスラエルに対しても「主はあなたを助ける盾」であると言われる(申命記33:29)。また主はダビデに対しても盾であった。彼を一介の羊飼いから王として召し、様々な苦難から救い、永遠の契約を与えて下さったからであ
る(詩篇89:20~37参照)。

●盾は、迫りくる敵に対する保護を意味する。盾なる主を貫いてまで近づく敵はない。アブラハムもダビデもその神の盾を経験した。特に、ダビデは息子アブシャロムの謀反によって都落ちし、すべてを喪失したかにみえたときにも、ダビデは「私は身を横たえて眠る。私はまた目をさます」(3篇5節)とあかししている。身を横たえることはだれにでもできるが、問題は安らかに眠れるがどうかである。ある意味で人生の多くの営みはそれを求める営みといえる。

●「大盾」「とりで」は親鳥が羽を広げてひなを抱きかかえる有様と似ている。「隠れ場」(91篇1節)も神の翼の下。「陰(同、1節)も鷲にたとえられた主の翼の陰のことである。また「避け所」(同、2節、9節)も同類語である。


(3) 神の守りの領域

  • この詩篇には数々の領域における守りが約束されている。

    ① 「狩人のわな」
    サタンの策略、誘惑、悪賢い敵意、卑劣な攻撃
    ② 「恐ろしい疫病」
    文字通りの疫病、大失敗という疫病、習慣的な罪という疫病
    ③ 「夜の恐怖」「昼の飛び来る矢」
    不安や疑い、悩み、思い煩い、すべての恐れ
    ④ 「わざわい」「えやみ」・
    事故、病気、災い
    ⑤ 「すべての道で」
    人生の歩み、生活のすべての領域において、文字通り、例外なくこの詩篇には数々の方法による守りが約束されている。
    それは、a. 神ご自身 (4節)、b.御使い (11節)によって。


(4)「主を避け所とする」「主を住まいとする」

  • この主の守りは、決して自動的ではないことを心に留めなければならない。主がすばらしい避け所であったとしても、私たちがそこに入って留まらなければ、主の守りを得ることはできない。敵の激しい攻撃にさらされている試練のときこそ、しっかりと避け所としての主に対して「私は主に申し上げよう『わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神』と告白し、「いと高き方を、あなたの住まいとして」その中にとどまりつづけなければならない。

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