έκλέγομαι
エペソ書の瞑想の目次
エペソ書の重要語彙のリスト
έκλέγω 選ぶ
- エペソ1:4ある「選ぶ」(動詞)と訳された「エクレゴー」έκλέγωは、旧約聖書では「愛する」と同義的に使われていますが、新約聖書においてもそれは変わりません。新約聖書では22回。その中から主な箇所をあげてみると以下の通りです。
- ルカ6:13
「夜明けになって、弟子たちを呼び寄せ、その中から12人を選び、彼らに使徒という名をつけられた。」 - ルカ9:35
「すると雲の中から、『これはわたしの愛する子、わたしの選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい。』という声がした。」 - ルカ10:42
「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」 - ヨハネ15:16
「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」 - ヨハネ15:19
「・・かってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。」 - 使徒6:5
「この提案は全員の承認するところとなり、彼らは、信仰の聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ・・・を選び」 - Ⅰコリント1:27, 28
「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。」 - ヤコブ2:5
「良く聞きなさい。愛する兄弟たち。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされたではありませんか。」
- ルカ6:13
- エペソ1:4で使われている動詞の「選ぶ」は、文法的には再帰態(中態)三人称単数過去形ἐξελέξατοです。再帰態とは「自分のために」という意味があるゆえに、ここでは「神が、自分自身のために、私たちを選ばれた」ということを意味します。つまり、神が自分のために、自分の基準で選ぶゆえに、選ばれた者の側には何ら誇ることができないということです。神が一方的に名指して選び出すのです。
- 関連語としては、名詞の「エクロゲー」έκλογή(NT/7)、形容詞の「エクレストス」έκλεκτός(NT/22)があります。エペソ書では使われていません。
(A)名詞「エクロゲー」έκλογή
- 使徒9:15
「しかし、主はこう言われた。『行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。』」 - ローマ11:28
「彼ら(イスラエル)は、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、先祖たちのゆえに、愛されている者なのです。」 - Ⅰテサロニケ1:4
「神に愛されている兄弟たち。あなたがたが神に選ばれた者であることは私たちが知っています。」 - Ⅱペテロ1:10
「ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。」
(B) 形容詞「エクレストス」έκλεκτός
- マタイ24:31
「人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。するし御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。」 - ルカ23:35
「指導者たちもあざ笑って言った。『あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。』」 - ローマ8:33
「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。」 - コロサイ3:12
「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。」 - Ⅰペテロ2:4
「主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。」
- 使徒9:15
- 神の永遠のご計画の中で、優先的にはキリストこそ神によって選ばれた者です。そして、私たちはこの「キリストにあって選ばれて」いるのです。それは主のしもべとして、主を証する者として、選ばれ、任命されているのです。
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