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εὐδοκία

εὐδοκία みむね(御旨)


  • 1:5には、似たような二つのことば(名詞)が重ねられて使われています。
    一つは「ユードキア」εύδοκια、もう一つは「セレーマ」θελήμαです。後者はすでに1節に「みこころ」と訳された語彙です。
  • 「ユードキア」εύδοκιαは、新約聖書で9回。エペソ書では2回。1:5と1:9に使われています。ちなみに、新改訳の第2版では「ご計画」と訳されていましたが、第3版では「みむね(御旨)」と改訳されました。
  • 「みむね」(御旨)εύδοκιαは、善意、好意、喜びとするところ、という意味です。もともとは「良く思う」という語彙で、キリストにおいてあらかじめお立てになった神のご好意を意味します。英語では good pleasure, good purpose, good willなどと訳されています。

マタイ 11:26
「そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。」
ルカ2:14
「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
ピリピ 1:15
「人々の中にはねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者もいますが、善意をもってする者もいます。」
ピリピ2:13
「神は、みこころのままに(good purpose)、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」


  • 関連語としては、動詞の「ユードケオー」εύδοκέωがあります。新約聖書では21回。エペソ書には使われていません。いくつか取り上げてみます。

マタイ 3:17
「また、天からこう告げる声が聞こえた。『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶεύδοκέω。』」
マタイ 12:18
「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶεύδοκέωわたしの愛する者。わたしは彼の上にわたしの霊を置き、彼は異邦人に公義を宣べる。」
ルカ 12:32
「小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んでεύδοκέωあなたがたに御国をお与えになるからです。」
Ⅰコリント 1:21
「事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによってεύδοκέω、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。」
コロサイ 1:19
「なぜなら、神はみこころによってεύδοκέω、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、」

  • ※Ⅰコリント 1:21とコロサイ1:19の「みこころによって」は、「神は・・・するのを喜ばれた」とも訳せます。


  • このように、名詞と動詞をあわせて考えるなら、神はご自身のご計画を、最上の喜びとしてなされることを意味しています。つまり、芸術家や職人が自分の仕事を初めから終わりまで、満足行くまで手塩にかけて仕事をするように、神もご自身の計画が満足のゆくまで、自ら喜び受け入れることができねまでに、その計画を丹精込めて練りに練ってくださったのです。

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