****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

ἀγάπῃ

ἀγάπη  愛


  • 「愛」を意味する「アガペー」ἀγάπηは新約聖書で116回、うちエペソ書は10回使われています。1:4/1:15/2:4/3:17/3:19/4:2/4:15/4:16/5:2/6:23/
  • ギリシャ語には「愛」(名詞)を意味する語彙が四つあります。

    (1) 「アガペー」άγάπη・・これは、愛するに値しない者を愛する愛です。無私の愛、犠牲的な愛、無条件の愛を意味します。「アガペー」は神の愛です。


    (2) 「フィリア」 φιλία・・これは、友情、友愛を意味します。イエスのラザロに対する愛(ヨハネ11:3, 36)。イエスの(おそらくヨハネ)に対する愛(ヨハネ20:3)。家族間に対する愛(マタイ10:37)にも用いられます。あたたかさ、親密さを表わすうるわしい言葉です。


    (3) 「エロース」 έρως・・これは、愛に値するものを愛する愛です。ギリシャ的思想においては、賞賛されるべきもの(勝者、勇者、知恵ある者、賢い者、力ある者、地位のある者、裕福な者など)が対象となる愛を意味します。「アガペー」とは対照的です。


    (4) 「ストルゲー」 στοργή・・これは親子の自然な愛情を意味します。親が子に対して、あいるは子が親に対して示す愛です。


  • W.バークレーの「新約聖書ギリシャ語精解」によれば、愛を意味する四つのギリシャ語があるといいます。
    (1) 「エロス」・・・・野心に満ちた情熱、主に、肉体的・情欲的な愛
    (2) 「ストルゲー」・・家族間の愛情
    (3) 「フィリア」・・・あたたかさ、親密さを表わすが、より親しい者の間だけに使われる愛
    (4) 「アガペー」・・・一般的な言葉としてはあまり用いられていなかった。わずかに散見される程度。
  • バークレーによれば、名詞の「アガペー」について、「古典ギリシャ語に用例があったかどうかも疑わしい。」動詞については、「一般的な語とは言えない」とし、「愛情こめてあいさつする」こと、お金や宝石に対する愛、ある事柄、ある状況に対して「満足している」こと、さらに上流階級の夫人が愛玩用の小犬を「愛撫している」のを描写するのに用いられていることもある、と説明しています。
  • 新聖書辞典(いのちのことば社)の「愛」の項では、「アガペーは新約以前には単なる『気に入る』や親愛の情を示す程度の意味であったが、新約聖書で用いられるようになって、神的、自己犠牲的、他者中心的な愛という意味を持つようになった」と説明しています。
  • 「エロス」、「ストルゲー」、「フィリア」が愛についてのある種の概念を強く持っているのに比べて、「アガペー」はそうした概念が希薄であったようです。とすれば、「アガペー」は他の語彙に比べてキリスト教的な愛の意味合いを付加することが可能であったと言えます。
  • 新約聖書の記者たちは、「神の愛」を表わすのに「アガペー」というギリシャ語を選んだのではなく、七十人訳聖書の翻訳者たちが「神の愛」を「アガペー」と訳したので、それを用いたようです。
  • ヘブル語聖書をユダヤ人のためにギリシャ語に翻訳した七十人訳聖書において、あるヘブル語を「アガペー」(名詞)、あるいは「アガパオー」(動詞)と訳しました。訳語「アガペー」(αγαπη)のヘブル語は「アハヴァー」(אַחֲבָה)、訳語「アガパオー」(αγαπαω)のヘブル語は「アーハヴ」(אָחַב)です。このヘブル語は神が人(イスラエル)を選んだ愛、つまり、選びの愛を意味します。
  • ヘブル人たちは、愛を抽象的概念として考えず、むしろ生きた動的動詞として考える傾向があります。ですから名詞よりも動詞の方が圧倒的に多く使われています。つまり、「アハヴァー」よりも「アーハヴ」、「アガペー」よりも「アガパオー」が多く使われているということです。ちなみに、新約聖書でのそれぞれの使用頻度は、名詞の「アガペー」が116回。動詞の「アガパオー」は143回です。
  • 新約聖書における独自の思想のルーツは、たとえそれがギリシャ語で書かれていたとしても、ギリシャ的伝統ではなく、ヘブル的伝統の中にあります。ですから新約聖書を読む場合に、常に、ヘブル的・ユダヤ的ルーツによって解釈しなければならないと近年、私は強く感じさせられています。ヘブル的・ユダヤ的なルーツを断ち切ってしまったキリスト教の置換神学の弊害は、今日のキリスト教会においても深く浸透しています。
  • 使徒パウロが愛について語る時、七十人訳聖書で使われた「アガペー」を継承しています。つまり、パウロは人間に対する神の先取的な(一方的な)選びの愛(アハヴァー)の意味で用いています。選びの愛は、愛される者のうちにその理由が見出され得ないという特徴があります。七十人訳の訳者たちはこのことをよく知った上で「アガペー」という訳語を使ったと考えられます。
  • ところで、旧約聖書には契約における「愛」を表わすことばとして「ヘセド」(חֶסֶד)があります。英語でconstant love, steadfast love, unfailing love, loving-kindnessと訳されています。新改訳ではこのヘセドを「恵み」と訳し、新共同訳は「慈しみ」と訳しています。しかしこの契約的な愛の関係が壊れた場合、常に、もう一つのサイトである選びの愛「アハヴァー」が神とイスラエルのかかわりを支えて行きます。
  • 旧約では「愛」を表わす二つの主要な名詞である「ヘセド」(חֶסֶד)と「アハヴァー」(אַחֲבָה)のほかに、「ヘーン」(חֵן)と「へーフェツ」(חֵפֶץ)があります。前者の「ヘーン」は、特別な契約関係にはない相手に対する愛や好意を含んだ愛です(名詞は69回)。たとえば、「ヘーン」の用例として、創世記6章8節 「ノアは主の前に恵みを得た」(口語訳) 「ノアは、主の心にかなっていた」(新改訳「ノアは主の好意を得た」(新共同訳)-とあるように、「ヘーン」は無差別な恵みであり、ヘセドはどこまでも契約の範囲内においてです。後者の「ヘーフェツ」はどちらかというと、名詞よりも動詞の方が重要です。感情的な面の強い語彙で、自分にとって喜びの対象、お気に入り、好みとするといった愛です。
  • 有名な賛美歌で「アメイジング・グレイス」があります。「驚くばかりの恵み」と訳されていますが、その「グレイス」graceと英語に訳されたギリシャ語は「カリス」χαρίςです。このことばはへブル語の「ヘセド」と「ヘーン」の意味を併せもったことばです。つまりギリシャ語の「カリス」χαρίςは契約関係にある者も契約関係にない者にも注がれる神の愛(bh'a;)を意味します。ギリシャ語の「愛」を表わす「アガペー」αγαπηということばは、へブル語の「ヘセド」と「アハヴァー」の意味を併せ持ったことばです。また、ギリシャ語の友情の愛を表わす「フィリア」φίλίαということばは、ヘブル語の「アハヴァー」と「へーフェツ」を併せ持った意味なのです。そのように私自身は今のところ理解しています。⇒「牧師の書斎」-「ヘブル語のキーワード」を参照してください。
  • 使徒パウロは「アガペー」を、神に対する人間の愛という意味ではほとんど使っていません。使徒ヨハネの場合には、神を愛することは、神の命令を守ること、兄弟を愛することと同義で使っています。パウロが、神に対する人間の愛を表わす時にはどんなことばを用いているかといえば、それは信仰、信頼を意味する「ピィスティス」πιστις(名詞)、「ピステウオー」πιστευω(動詞)です。つまり、神に対する人間の愛は、神の選びの愛に対して謙遜、忠実、かつ従順の中に表されるというわけです。しかし、隣人に対する愛は、神が私たちに対する愛と同様に「アガぺー」の愛で愛することを命じているのです。これは使徒ヨハネと同様で、興味深いところです。
  • Ⅰコリント13章にある「愛の賛歌」は、神がイスラエルの民を選んだ一方的方向の愛の特質がにじみ出ていると思われます。米川明彦師はここの「愛について」、以下のように註解しています。

(米川明彦著「新約聖書のキーワード」より)

(1)「愛は寛容です」・・「寛容」の原語は動詞で、「怒りを延ばす」という意味。不当な扱いや害を
受けたとしても報復しない心です。
(2)「愛は親切です」・・相手が恩を忘れたにもかかわらず、相手に優しく恩恵を与える心です。
(3)「愛は人をねたみません」・・他人の成功を共に喜ぶ心です。アベルを殺したカインはこの心がありません
でした。
(4)「愛は自慢しません」・・自分の成功を誇らず、誇って人より優位に立とうとは思わない心です。
(5)「愛は高慢になりません」・・「高慢になる」の原語の意味は「ふいごを吹いてふくらます」ことです。
パウロは大きな働きをしていたにもかかわらず、「私は使徒の中では最も小さい者で
あって、使徒と呼ばれる価値のない者です。」(Ⅰコリント15:9)と語っている。
(6)「愛は礼儀に反することをしません」・・いたずらに他人の感情を害するようなことを言ったりしません。
(7)「愛は自分の利益を求めません」・・自己中心の人は自分の利益、権利、自由のみを主張して、他人のそれ
を顧みませんが、愛の人は自ら進んで一番割の悪い事を引き受けます。
(8)「愛は怒りません」・・他人から害を受けても激怒せず、赦します。
(9)「愛は人のした悪を思いません」・・「思う」の原語は「勘定する」という意味。人のした悪をいちいち
数えて、いつまでも覚えていることです。
(10)「愛は不正を喜びません」・・正義を行ない、不正、不義を喜ばないこと。
(11)「愛は真理を喜びます」・・(10)を積極的表現にしたもの。原文は「真理と共に喜びます」。
(12)「愛はすべてをがまんします」・・「がまんする」の原語は屋根を意味する動詞で、「おおう」という意味。
(13)「愛はすべてを信じます」・・人がたとい罪を犯したとしても、その人を信じます。
(14)「愛はすべてを期待します」・・その人を信じても、なお実際には変えられてはいない場合にも期待する。
(15)「愛はすべてを堪え忍びます」・・この期待がむなしくなってもなお固く踏みとどまります。

  • 以上の愛は、神がイスラエルの民に実際に表された「選びの愛」(一方的な愛)と「契約的な愛」の注解と言えると思います。とすれば、キリストにあって選ばれた者は、その神の真実な愛にふさわしく、キリストを信じて従い、キリストの愛で人を愛することが、生涯の課題として求められていると思います。

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