****** 詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。******

「あなたの手を開きなさい」

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10. 「あなたの手を開きなさい」

聖書箇所 15:1~16:22

はじめに  

  • 申命記15章には、負債の免除をはじめとする貧しい者への対処の規定、奴隷に対する人格尊重の姿勢、16章には、イスラエルの三つの祭り(過越の祭り、七週の祭り、仮庵の祭り)を厳守することを通して、一生の間、自分たちがエジプトの国から出たことを記念し、それを後世にも伝える責任があることなどを扱っています。ここでは、前者の「貧しい者たちに対する福祉的配慮」について思いを巡らしたいと思います。

1. 貧しい者たちへの対処の規定

  • モーセの律法には、きわめて高度な福祉理念をもった社会が描かれています。やがて約束の地に建設される社会では、同胞愛が実現される社会です。神の民が繁栄して幸いな生活を楽しむだけでなく、ひとりひとりが神の前に平等であり、均等の機会を享受することができるさまざまな規定がなされています。
  • どんなに社会が進んだとしても、人間の社会には貧しい人や不幸な人が絶えることはありません。そうした事実を踏まえながら、モーセは神の民にこう述べています。「国のうちにいるあなたの兄弟の悩んでいる者と貧しい者に、必ずあなたの手を開かなければならない。」と(申命記15:11)。「手を開く」とは、自分の持てるものを持って、援助の手を差し伸ばさなければならないという意味です。このことを通して幸福な社会が実現するからです。脚注
  • 「あなたの神、主があなたに与えようとしているおられる地で、あなたのどの町囲みのうちでも、あなたの兄弟のひとりが、もし貧しかったら、その貧しい兄弟に対して、あなたの心を閉じてはならない。また手を閉じてはならない。進んであなたの手を彼に開き、その必要としているものを十分に貸し与えなければならない。・・また、与える時、心に未練を持ってはならない。このことのために、あなたの神、主は、あなたのすべての働きと手のわざを祝福してくださる。」(15:7~10)と、何と具体的な訓戒でしょうか。単なる道徳的な助言ではなく、最も身近な主にある兄弟たちに対して扶助すべき義務があることを述べています。貧しい人に手を開くのは、主にある者たちの義務です。神のトーラーは、私たちが出し惜しみせず、喜んで施すべきことを教えています。
  • 初代教会もまさにこのことが実践されました。
    「信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいものを共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。」(使徒2:44, 45) それゆえ、「彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。」(使徒5:34)とあります。まさにモーセのトーラーが教えてきたことを、初代教会は実際に実現しているのを私たちは見ることができます。まさに、信仰共同体、かつ運命共同体の実現です。しかしそこでは常に神の栄光があがめられるべきであり、けっしてその栄光を自分のものとして盗んでなりませんでした。「施し」という善行を通して、自分に注目を集めようとしたアナニヤとサッピラはその罪により、神にさばかれた事実も聖書はしるしています(使徒5:1~11)。
  • こうした聖書の生き方をそのままに生きようとしたキリスト教の再洗礼派と呼ばれる流れがあります。彼らの生き方は聖書に忠実であろうとしたために、激しい迫害を受け、その結果、ドイツからアメリカに移住することを余儀なくされました。その共同体は「アーミッシュ(Amish)」と呼ばれています。私も、こうした生き方に、心のどこかで憧れを感じます。
  • 使徒パウロは宣教の働きのためにどこへ行っても、異邦人のキリスト者に対して、貧しいエルサレム教会に対して献金することを要請していました。パウロはこのことをエルサレムから始まった教会の霊的一致のためにふさわしい行為とみなしていたようです。つまり、キリストにあるユダヤ人と異邦人との祝福の具体的共有―それがエルサレムに対する献金でした。キリストにある霊的祝福の流れはエルサレムからはじまって異邦人に流れているからです。ですからコリント人への手紙第二9章6~8節にはこうあります。
    「私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。ひとりひとり、いやいやながらではなく、強いられてでもなく、心で決めた通りにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足らせて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。」と。
    これはまさに申命記15章7~10節で語られていることと同じことです。
  • 神のトーラーは神を愛することだけてなく、同胞愛について実に具体的なことを通して実現するように教えています。たとえそれが達成不可能な目標にみえたとしても(申命記15:11)、神の民はその目標に向かって自分たちの生活を形成すべきであり、そのために、律法を忠実に守り、神の恵みに拠り頼むことが求められたのです。

2. 詩篇119篇とのつながり

  • 詩篇119篇の作者が、神のみおしえを愛するということは、同胞に対する愛を実践していったと思われます。ユダヤ民族が滅亡の危機に何度も会いながらも存続し得たのは、こうした神の命令のゆえだと信じます。「あなたの手を開け」という命令は、イスラエルの民だけでなく、今日のキリスト者に対しても変わることのない神のみこころだと信じます。「このことのために、あなたの神、主は、あなたのすべての働きと手のわざを祝福してくださる。」という主の約束を握りつつ、主のみこころに従う者でありたいと思います。



脚注

●申命記15章の福祉理念を支える重要な用語があります。その一つは「(手を)開く」と訳されている「パータハ」(פָּתַח)という動詞が不定詞と未完了形で重複することで経調されているということです。もう一つは「貸す」と訳されている「アーヴァト」(עָבַט)という動詞が同様に不定詞と未完了形で重複することで強調されています。
●後者の「アーヴァト」(עָבַט)は、基本は「借りる、取り立てる」という意味ですが、ここではヒフィール形(使役態)で「貸す」という意味で使われています。
●与えるために「手を開く」ということは、主から新たな祝福を受け取ることになるのです。ここには御国における祝福の循環があります。
●15章8節のみことばをいろいろな聖書で味わってみます。
【新改訳改訂第3版】
進んであなたの手を彼に開き、その必要としているものを十分に貸し与えなければならない。
【新共同訳】
彼に手を大きく開いて、必要とするものを十分に貸し与えなさい。
【口語訳】
必ず彼に手を開いて、その必要とする物を貸し与え、乏しいのを補わなければならない。


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