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「うなじのこわい民」

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7. 「うなじのこわい民」

聖書箇所 9:1~10:22

1. イスラエルの40年にも及ぶ神への不従順の想起

  • 神が恋い慕って、選ばれ、愛された民は、なんと、「うなじのこわい民」であるということばが登場します。しかもそれは、エジプトの地を出た日から、この所に来るまで、あなたがたは逆らいどうしであった。」(9:7)と記されているのです。
  • 「うなじのこわい」民(者)という表現は9章、10章に3回出てきます(9:6/9:13/10:16)。申命記では他に31:27にも出てきます。この「うなじのこわい」と訳されたことばはヘブル語の形容詞「カーシェ」(קָשֶׁה)、動詞は「カーシャー」(קָשָׁה)です。旧約では形容詞と動詞あわせて64回使われています。本来の意味は、牛がくびきをかけられるのを嫌って抵抗する表現です。それが「首がこわばる」「強情」「頑固」「手に負えない」様子を表わします。※1脚注
  • 「うなじのこわい」を英語ではstiff-neckedと訳されますが、日本語訳では「かたくなな」(新共同訳)、「強情な」(口語訳)、「項(うなじ)強(こわ)き」(関根訳)、「項を固くして」(岩波訳)と訳されています。実に、神の言われることに耳を傾けず、聞くこともせず、訓戒を受け入れることもしようとしない「心をかたくなにする」民の姿を表わす表現です。

①動詞の「カーシャー」(קָשָׁה)で「うなじを固くする」「心をかたくなにする」と訳されている聖書箇所は以下の通り。申命記10:16/Ⅱ列王17:14/Ⅱ歴代30:8, 36:13/ネヘミヤ9:16, 17, 29/詩篇95:8/箴言29:1/エレミヤ7:26, 17:23, 19:15/

②形容詞の「カーシェ」(קָשֶׁה)で「うなじのこわい」と訳されている聖書箇所は以下の通り。出32:9, 33:3, 33:5, 34:9/申命記9:6, 9:13, 31:27

③名詞の「ケシー」(קְשִׁי)で「強情」と訳されている聖書箇所は申命記9:27の1箇所のみ。

④動詞の「カーシャー」(קָשָׁה)を70人訳聖書では、「かたくなにする」という動詞「スクレールノー」σκληρύνωと「首」を意味する「トラケーロス」
τράχηλοςという名詞を合成させて、「スクレーロトラケーロス」
σκληροτράχηλοςと訳しています。新約聖書では最初の殉教者ステパノがユダヤの議会に対して、「かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、先祖たちと同様、いつも聖霊に逆らっているのです。」(使徒7:51)と語っていますが、これは明らかに、申命記10:16でモーセがイスラエルの民に語ったことばー「あなたがたは、心の包皮を切り捨てなさい。もううなじのこわい者であってはならない。」を意識していたと考えられます。いつの時代にも神に逆らい、心をかたくなにする者たちはいたのです。


2. モーセのとりなしの祈り

  • 普通ならば、愛想尽かされて見捨てられても文句が言えないどころか、主の怒りで根絶やしにされ、天の下からその名を消し去られても致し方ない民です。実に40年もの間、彼らは主にそむき逆らってきたのですから。
  • その民がなおも存在しているのはなぜか。それは、ひとえにモーセのとりなしによるものです。モーセは申命記9章26節~29節でこう祈っています。

「神、主よ。あなたの所有の民を滅ぼさないでください。彼らは、あなたが偉大な力をもって贖い出し、力強い御手をもってエジプトから連れ出された民です。あなたのしもべ、アブラハム、イサク、ヤコブを覚えてください。そしてその民の強情と、その悪と、その罪とに目を留めないでください。そうでないと、あなたがそこから私たちを連れ出されたあの国(エジプトのこと)では、『主は、約束した地に彼らを導き入れることができないので、また彼らを憎んだので、彼らを荒野で死なせるために連れ出したのだ。』と言うでしょう。しかし、彼らはあなたの所有の民です。あなたがその大いなる力と伸べられた腕とをもって連れ出された民です。」

  • モーセが40日40夜、主の前にひれ伏して、断食して祈った祈り、特に『主は、約束した地に彼らを導き入れることができないので、また彼らを憎んだので、彼らを荒野で死なせるために連れ出したのだ。』の部分は、神のふところの痛いところをついた祈りです。その訴えに神は民を滅ぼすことを思いとどまられたのでした。
  • 今日、私たちにはモーセにまさる偉大な大祭司である神の子イエスがおられます。「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(ヘブル4:15~16)
    と勧められています。神の子イエスは「永遠の大祭司」なのです。

3. 「十戒」の二つの柱となる戒め

  • モーセのとりなしによって神の滅びを免れたことを民に思い起こさせた後に、モーセは、再度、民たちに呼びかけ、主が求めておられることを語りました。それは十戒にある「二つの柱となる戒め」です。これはやがてイエスが十戒を二つの戒めに要約しましたが、そのルーツとなる箇所です。

A 心を尽くし、精神を尽くして、あなたの神、主を愛せよ
「あなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主に仕え、・・・あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることである。」(10:12)

B 神のイスラエルに対する〔選びの愛
「主は、ただあなたの先祖たちを恋い慕って、彼らを愛された。そのため彼らの子孫、あなたがたを、すべての国々の民のうちから選ばれた。」(10:15)


(1)「恋い慕う」・「ハーシャク」(חָשַׁק)は、「慕う、しがみつく、恋い慕う、切に望む」という意味で、「愛して離れない」といったニュアンスです。ここでは神の恩寵用語として使われています。
(2)「愛する」・・「アーハヴ」(אָהַב)
(3)「選ぶ」・・・「バーハル」」(בָּחַר)

C あなたの隣人を愛せよ
「あなたがたは在留異国人を愛しなさい。あなたがたもエジプトの国で在留異国人であったからである。」(10:19) ※2脚注「具体的な掟」

  • Bの部分がしっかりと付記され、決して忘れてはならないことを明記していることが、申命記の特徴です。モーセの説教は、金太郎飴のように、どこを切っても、神の恵みに裏付けられているのです。


※1脚注〔くびき〕

画像の説明
  • 申命記22章10節に「牛とろばを組にして耕してはならない」という法があります。牛とろばでは、歩く時のテンポが違うからです。呼吸の幅も異なります。呼吸がそろわなければどうなるか。負担が、体力的に弱い方にだけでなく強い方にもかかってくる。これは人間同士ー部族間、あるいは部族内の人間関係、あるいは周囲の民族との関係についてもいえることです。
  • 特に、イスラエルの民はヤコブの子孫です。ヤコブといえば、御使いとすもうを取り、自分が納得いくまで執拗に神に迫って行った人物です。このヤコブには12人の息子たちがいました。彼らは生きて行く上でのしぶとさ、たくましさという点ではヤコブの血を受け継いでいました。しかしその長所が短所に変わるとき、つまり、それぞれの部族の利害関係や損得感情に結びついたとしたらどうなるのか、呼吸は乱れ、争いが起こるだけです。
  • 旧約聖書では「強情」を表現するのに、「首が固くなる」としました。ヤコブの子らが自分の力を誇り、首を固くして意地を張ると、お互いの歩調が合わず、呼吸が乱れます。事実、ダビデ、ソロモン時代には呼吸を一つにして国を作ったことがありましたが、その後は、ユダ族を中心とする南王国とヨセフ族を中心とする北王国に分裂します。仲直りする機会は最後まで来ませんでした。それほどにヤコブの子らは頑固で、うなじのこわい者たちだったのです。そして、その呼吸の乱れは神との関係においても同様でした。ヤコブの子らの固い首筋を柔らかくすることは容易ではなかったのです。
  • こうした背景から、イエスの語った不思議なことばに再度耳を傾けるなら、新たな気づきが与えられるかもしれません。
    「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎがきます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28~30)

※2脚注「具体的な掟」

  • 聖書は、「在留異国人」(寄留者)のみならず、「やもめ」、「みなしご」を公平正当に待遇するというのは、高邁な一般論ではなく、現実的な意味において、具体的なことばで繰り返し述べています。法と正義において平等であること、労働条件とその報酬において平等であること、福祉厚生においても平等であること、さらに愛と尊厳において平等であることなどです。特に、レビ記19章34~35節には「聖なる掟」として次のように記されています。「あなたがたといっしょの在留異国人は、あなたがたにとって、あなたがたの国で生まれたひとりのようにしなければならない。あなたは彼をあなた自身のように愛しなさい。あなたがたもかつてエジプトの地では在留異国人であったからである。わたしはあなたがたの神、主である。あなたがたはさばきにおいても、ものさしにおいても、はかりにおいても、分量においても、不正をしてはならない。」


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