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「こうして、神の宮の工事は中止された」

4. 「こうして、神の宮の工事は中止された」

〔聖書箇所〕 4章24節

こうして、エルサレムにある神の宮の工事は中止され、ペルシアの王ダリヨスの治世の第二年まで中止された。


はじめに

  • 「こうして」というからには、神殿再建工事が「どうして」中止されるに至ったかその理由について詳しく記されています。敵の巧みな策略によって工事が中断されるという思わぬ事態、これが帰還後に初めてぶつかった試練でした。神の民の心をひとつにするシンボリックな礼拝の場所である神殿、その再建工事が頓挫してしまったのです。それは敵の姦計によってペルシアの王が再建工事を差し止めたからでした。

1.  敵の巧みな姦計

  • ここでいう「敵」とはサマリヤ人のことです。彼らはもともと捕囚の帰還民を歓迎してはいませんでした。最初、自分たちもその工事に参加させてほしいと、彼らは言ってきました。しかしゼルバベルとヨシュアは、はっきりとその申し出を断りました。単独による再建工事を進めることを表明したことで、サマリア人はユダの民の気力を失わせ、混乱させ、またペルシアの役人(「議官」と訳されている)に対する買収を図ることで、再建の計画を挫折させようと工事の妨害を計りました。こうした妨害はネヘミヤのエルサレムの城壁再建工事のときにもありますが、そうした一連の妨害がここにまとめられていると考えられます。
  • 再建工事を妨害して頓挫させる具体的な策として、敵はペルシアの王アハシュエロスに告訴状を書きました。告訴状の内容の要点は、本意を隠して、帰還した民たちが神殿を再建したあかつきには、必ず「王室に損害をもたらすことになる」というものでした。そしてその根拠をまことしやかにしたためたのです。ペルシアの王はその告訴状を鵜のみにし、一方的に王の権威をもって再建工事を中断させたのでした。敵は王が鵜のみにしたことをいいことに、ユダヤ人のところに行って「武力をもって彼らの働きをやめさせた」とあります(4:23)。
  • 権威筋を巻き込んだこうした法的手続きには力があります。敵の姦計にまんまとやられたかたちです。こうした妨害にそう簡単に手を打つことはできません。しかし、「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい」のですから、神殿を再建すべく帰還させてくださった主を信頼することがここでの戦いのポイントです。いたずらに詮索することなく、天の神がどのようにこの問題にかかわってくださるのか、信仰をもって神の出番を待つことです。この中断期間は実に15年間にも及びました。

2. 神を信頼する訓練としての試練

  • ものごとが思うように進んでいるときに、神を信頼するということを学ぶことはほとんどありません。神の導きや神の約束をいただいたとしても、それが実現に至るまでには数々の試練の中を通させられるのがほとんどです。そのことを前もってわきまえていなければ、たとい神によって「霊が奮い立たせられた者」といえども、ポッキリと折れてしまうのです。神を信頼するということは、自分の思うようにいかないところで、思いがけないアクシデントの中で学ぶのです。うまく事が運んでいるように見える時が一番危ないときです。なぜなら、敵の存在や悪巧みがあるということを忘れてしまっているからです。神の計画には必ずや敵の妨害があることを予め心得ていなければなりません。
  • もし敵の妨害に会ったならば、いたずらに動くことなく、再度、神からの促しや導きを待つことが賢明であることを教えられます。敵の妨害で神殿の再建が中止したままであれば、このエズラ書は存在しません。「エルサレムを建てるのは主です」。しかし、どのようにして神はご自身の神殿を建て上げてくださるのでしょうか。神様のお手並み拝見です。


聖書では、こうした妨害は「ペルシアの王クロスの時代からペルシアの王ダリヨスの治世の時まで続いた」(4:5)とあります。しかし、神殿再建の中止から再開して完成したのがB.C.515年ですから、敵がアハシュエロスの治世の初め(B.C.486年)に告訴状を送ったときは、すでに神殿は完成しているはずです。したがって、ここではユダヤ人とサマリヤ人との戦いが継続的に続いていたと考えることができます。⇒ペルシアの王の治世


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