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「めいめい自分たちの町々に戻り、そこに住む」

2. 「めいめい自分たちの町々に戻り、そこに住む」

〔聖書箇所〕 2章1, 70節

  • 「・・その捕囚の身から解かれて上り、エルサレムとユダに戻り、めいめい自分の町に戻ったこの州の人々は次のとおりである。」(2:1)
  • 「 祭司、レビ人、民の一部、詠唱者、門衛、神殿の使用人はそれぞれ自分たちの町に住んだ。イスラエル人は皆それぞれ、自分たちの町に住んだ。」(2:70)

1. 本来、居るべきところへの復帰

  • 2章のキーワードは、本来、自分たちがいるべきところに「戻り」、そこに「住んだ」ということです。第2章1節に「バビロンの王ネブカデネザルがバビロンに引いて行った捕囚の民で、その捕囚の身から解かれて上り、エルサレムとユダに戻り、めいめい自分の町に戻ったこの州の人々は次のとおりである。」とあるように、バビロンの捕囚の身から解放されて、それぞれ自分たちの町に戻った人々のリストが記されています。その数42,360名(2:64、ネヘミヤ7:66でも同数)。これらの人々は1章にもあるように、神によって、「その霊を奮い立たせられた者たち」なのです。それゆえ、これらの名簿は意味あるものなのです。70年間にも及ぶ長期間、彼らは神の律法違反の罪のためにバビロンに移されていましたが、その罪は償われて、リセットされて、本来あるべき所に「戻り」、そこにめいめいが「住んだ」ということが重要です。
  • なかには「自分たちの先祖の家系と血統がイスラエル人であったかを、証明することができなかった。」(2:59)者たちもいたようです。また、系図が最も要求される祭司たちの中にも、それが見つからなかった人々もいたようです。これを逆に言うなら、全体の1パーセントの人々を除けば、みな自分たちの系図を証明することができたという驚くべき事実です。ユダヤ人は系図を重んじる人々です。マタイの福音書の1章を見るならそれがわかります。自分の存在のルーツが明確にイスラエルの民であるかどうかを示す系図は、新生イスラエルという純粋な信仰の共同体を再建する上できわめて重要視されたようです。
  • 私たちキリスト者にとって本来、自分の居るべきところはどこか、本来、自分の住むべき(とどまるべき)ところはどこかを明確に知ることはとても重要であると思います。主イエスは12歳頃、エルサレムで両親とはぐれた時、捜し出した両親に対してこういいました。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」(ルカ2:49)
  • 私たちがいるべきところ、住むべきところ、とどまるべきところは、「主の家」であり、キリストご自身です。キリストご自身のうちに、キリストのことばのうちに、キリストの愛のうちにとどまること、そこに住むことが、私たちの本来のあるべき姿なのです。なぜなら、「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15:5)とイエスは言われたからです。
  • イスラエルの帰還者は、本来、居るべき所に戻ることができたのです。すべてはそこから始まっていきます。それはキリスト者も同様です。神の民の再建は、この意識が明確でなければなりません。

2. 二人の指導者の存在ーものごとの両極性を意識する思考法

  • ちなみに、最初の帰還者を率いたのは2章2節に出てくる「ゼルバベル」です。1章8, 11節に登場する「シュシュバツァル」のことです。彼は宗教的指導者であり大祭司であるヨシュアとともに、神殿再建の行政的指導者です。
  • 神の働きにおけるこうした二つの支柱的指導者の存在。ゼルバベルとヨシュア、ネヘミヤとエズラ、パウロとバルナバ、といった異なる賜物を持つ人物によって進められることがしばしばみられます。実は、このような考え方はユダヤ的思考法に大きな影響を与えています。つまり、とかく私たちは一方からだけでものを見がちですが、ユダヤ教では常に二つの考え方の極を意識しながら思考を進めると言われます。
  • つまり、同じ山をいろいろな角度から眺めることができるように、ラビたちはものごとはいく通りにも解釈でき、他の方から眺めることが決して誤りではないことを心得ています。つまり、真理に対して相対的なアプローチを取ります。それは、彼らが一つの問いに対して複数の正しい答えが存在しうることを熟知しているからだと言われます。自分の見解だけでなく、自分の見解とは対極に位置する意見を考察してから、結論を下すという生き方なのです。

3. 捕囚と帰還を示す語彙

(1) 「ガーラー」(גָּלָה)「連れて行かれる、引いて行く、捕え移される」
(2) 「ゴーラー」(גּוֹלָה) 名詞で「捕囚、捕囚の民」
(3) 「シューヴ」(שׁוב) 「戻る、帰る」⇒参照
(4) 「アーラー」(עָלָה) 「上る」⇒参照
(5) 「ヤーシャヴ」(יָשַׁב) 「住む、とどまる」⇒参照



ユダの総督ゼルバベル(「バビロンの種、バビロンで生まれた者」という意味)は、ダビデ王家の出身で、捕囚とされたエホヤキンの孫に当る。大祭司ヨシュアは、レビ族出身。


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