****** 詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。******

「エシュルン」

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21. 「エシュルン」

聖書箇所 32:1~33:29

はじめに

  • 申命記32章は「モーセの歌」と呼ばれています。歌の形をとった「神とイスラエルのかかわりを物語る歌」です。そこには、真実な神とそれに対する不真実なイスラエルの民の姿が浮き彫りにされています。そして、これまでの申命記で語られてきた勧告や警告などが含まれています。申命記33章では、やはり歌の形式で、かつてヤコブがしたように、モーセがイスラエルの各部族に対して祝福しています。
  • ここでの箇所からキーワードを一つ選ぶとすれば、「エシュルン」(יְשֻׁרוּן)としたいと思います。それは「愛(いと)おしい」という意味です。

1. 「エシュルン」とはイスラエルの別称

  • 「エシュルン」は申命記32章15節, 33章5節, 33章26節の三箇所に登場します。旧約ではイザヤ書44章2節にあります。イザヤ書を見ると、44章1節に語られたことが44章2節では次のように言い換えられています。

    44:1
    「聞け、わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだイスラエルよ。」
    44:2
    「恐れるな。わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだエシュルンよ。」

  • 上記の聖句から、「エシュルン」がイスラエルの別称であることが理解できます。「エシュルン」(יְשֻׁרוּן)とは固有名詞ですが、このことばの語源は動詞の「ヤーシャル」(יָשַׁר)で、真っ直ぐにする、正しく考える、物事を正すといった意味です。形容詞は「ヤーシャール」יָשָׁר(正しい、upright)、名詞は「ヨーシェル」יוֹשֶׁרです。
  • 申命記で「エシュルン」が登場する三つの箇所を拾ってみましょう。

    (1)「エシュルンは肥え太ったとき、足でけった。・・自分を造った方を捨て、自分の救いの岩を軽んじた。」 (32:15)

    (2)「神のかしらたちが、イスラエルの部族とともに集まったとき、主はエシュルンで王となられた。」(33:5)

    (3)「エシュルンよ。神に並ぶ者はほかにはない。神はあなたを助けるために天に乗り、威光のうちに雲に乗り、昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。・・・しあわせなイスラエルよ。だれがあなたのようであろう。主に救われた民。主はあなたを助ける盾、あなたの勝利の剣。・・」(33:26~29)


    (1)の「エシュルン」は神である主に背反していますが、(2)では彼らのうちで主が王として治められます。これはキリスト再臨後のメシア王国を預言しています。(3)では「イスラエルよ、だれがあなたのようであろう」と言われるほどに、神に愛された特別な存在であることが語られています。これは神のご計画の最終地点の預言です。とても真っ直ぐとは言えない不真実なイスラエル、「よこしまで曲がった世代」と言われるイスラエルの民が、ここではなんと「真っすぐ」を意味する「エシュルン」と呼ばれているのです。なんとも不思議な呼び名です。

    新聖書辞典(いのちのことば社)によれば、エシュルンの「この呼称は、イスラエルの民が正しいからではなく、彼らを贖い、召された神が正義であり、彼らを正しい道へ導かれるからである。またこの呼称により、罪を犯し、堕落しやすい民に神の民としての自覚を与えようとしているのである。」と説明されています。


2. 新約における「ハギオス」

  • 使徒パウロがコリントに宛てた第一の手紙の中に、宛先であるコリントにある神の教会に属する人々を「聖徒として召された方々」と記しています。ギリシャ語ではこれを一語で言い表しています。すなわち、「ハギオス」ということばです。このハギオスの根源的な意味は「分離」を意味します。それは特別に神に属するものとなるために、他のものから取り分けられたもの、分離されたものという意味です。使徒パウロがこのことばで呼ぶとき、キリスト者は神に属し、神への奉仕のためにより分けられた存在として、普通の人とは違った、神の人らしい性格や品性をあらわす者という意味で使っているのです。
  • ところが、このコリントの教会の人々は他と比べると特別な意味で違っていました。道徳的な面において、また教会内の分派争いで混乱の極みにあった問題の多い教会でした。にもかかわらず、パウロはその教会を「神の教会」と呼び、そこに招かれたキリスト者たちを「聖徒として召された者たち」と呼んでいるのです。それは神の恵みの選びに裏づけられているからです。その証拠に1章9節でパウロはこう言っています。「神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたの神の御子、私たちの主にイエス・キリストとの交わりに入れられました。」と。結婚式の中で語られる宣言、人が結婚する二人をどのように見ていようとも、「神が合わせられたものを、人は離してはならない。」のニュアンスに近いと思います。
  • いずれにしても、神の真実の選びによる呼称が「エシュルン」であり、「ハギオス」なのです。しかもその呼称にふさわしく整えてくださるのも真実な神なのです。まさに、これらの呼称は神の真実があかしされるために生まれたものと言ってよいのではないかと思います。


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