「モーセは何度シナイ山を登り降りしたか」
出エジプト記の目次
トピック4.「モーセは何度シナイ山を登り降りしたか」
- ここにある記事は、姜泰進牧師(埼玉県北本市の日本恩寵教会)から寄稿していただいたものです。以下に掲載いたします。感謝をこめて。
モーセの8回に渡るシナイ山の登頂記録
- イスラエル民はB.C.1446年3月1日(日)にシナイの荒野に辿り、シナイ山の前に宿営をしました(出19:1-2)。その翌日の3月2日(月)から8回に渡ってシナイ山を登頂しました。1回から5回までは当日朝に上がり、夕方に下りてきましたが、6回から8回までは40日間祈りました。そのうち6回目と8回目は40日間断食で祈りました。今日はモーセが 8回に渡ってシナイ山に登頂した内容に対して調べることにします。
1.神様は 1回から3回までの登頂の時に契約を結ぶよう備えました
- 3月2日(月:出エジプト46日目)にモーセは1回目のシナイ山に登頂しました(出19:3)。神様がシナイ山で一番先に語った内容は「イスラエルをエジプトから導きだしたのは神様の絶対主権による恵み」であるという言葉でした(出19:4)。その後「あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう」と祝福されました(出19:5~6)。神様から御言葉を受けたモーセは1回のシナイ山登頂の後、民と長老たちを呼んで、神様が命じられた御言葉を述べ伝え、民はみな共に「われわれは主が言われたことを、みな行います」と答えてました(出19:7~8)。
- そしてモーセは3月3日(火:出エジプト47日目)に 2回目のシナイ山に登頂します。そのとき神様は濃い雲のうちに臨在し、民に向かって「きょうとあす、彼らをきよめ、彼らにその衣服を洗わせ、三日目までに備えさせなさい。」と言われました(出19:10)。神様が雲のうちに臨んだことは民に聞かせ、またモーセにいつまでも変わらない信仰を持たせるためでした(出19:9)。
- そしてきよめた後3月 5日(木:出エジプト49日目)の朝、雷と稲妻と厚い雲が山の上にあり、ラッパの音がはなはだ高く響いきました(出19:16)。シナイ山に煙が立ち、神様が火の中にあって、 3回目のシナイ山登頂のためにモーセを呼ばれました(出19:18-20)。神様は民シナイ山に登ることを厳格に禁じました(出19:21)。モーセは民がシナイ山に登ることはできないと答えましたが、神様はすぐ下って行って民を戒めるよう命じられました(出19:23-24)。
- これは境界を越える罪を犯して死ぬ者が一人もいないようにするためです。神様は救済史的に重大な事を控えて必ず求めるのがきよめです。ヨルダン川を渡る時もヨシュアを通じて民にきよめを求められました(ヨシュア3:5)。罪を犯した人間はきよめられないままに聖なる神様の前に出て行くことは絶対許されません(ヘブル12:14、レビ記11:44~45)。
2.神様は 4回から5回に渡る登頂の時、イスラエル民と契約を結びました
- 3月6日(金:出エジプト50日目)に4回目のシナイ山に登頂することになりましが、モーセはこの日に十戒と律法を授かります(出20:1~24、申命記5:1~6)。そしてこの日を示して集会の日と言われました(申命記9:10、18:16)。十戒は全イスラエル民を対象に直接与え、仲裁者モーセを通じて間接的に与えたのです(出20:22、申命記5:22~24)。
- 明くる日にモーセはすべての御言葉を記録し、朝早く起きて山のふもとに祭壇築き、イスラエル 12部族に従って12の柱を建て、イスラエル人々のうちの若者たちをつかわして燔祭と酬恩祭をささげさせました(出24:4-5)。そして御言葉を記録した契約の書を読み聞かせ、このすべての御言葉に基づいてあなたがたと結ばれる契約の血であると言われ、契約が完全に結ばれました(出24:7~8)。
- 3月7日(土:出エジプト51日目)の5回目の登頂は、契約を結んだ後、モーセとアロン、ナダブ、アビフ、イスラエル七十人の長老たちを手にかけられなかった(尊い者と認められた)ので、彼らは神様を見て飲み食いしました(出24:1, 11)。
- 本来神を見れば死ぬことになっていましたが(出33:20)、神様の前で飲み食いできたことは契約を結んだ民、指導者たちに施された特別な恩恵でした。そしてこの地で一番尊い者と認めてくださいました。
3.モーセは6回から8回に渡る登頂の時、罪を犯した民の代わりに命を担保にする祈りを捧げました
- モーセは 3月 8日(日:出エジプト52日目)にアロンとフル、そして長老たちに後ことを頼んだ後、ヨシュアを連れて6回目のシナイ山に登頂しましたが、山の頂にはモーセ一人で登りました(出 24:12-16)。モーセは雲の中に入って四十日四十夜を祈られました(断食)。神様はその後、自ら指で書いた二つの石の板をモーセに与えました(出 24:12、31:18、32:16、申命記9:10)。
- しかしモーセがシナイ山から下った時、イスラエル民は金の子牛の像を作って、それを崇めていました。モーセはその光景を目撃して、手に持っていた石の板を投げつけて砕き、彼らが作った子牛を火に焼いて、こなごなに砕き、これを水の上にまき散らしてイスラエルの人々に飲ませました。 モーセは神様に献身する人を捜した時、レビの子たちが集まって、偶像を拝んだ2百万人のうち3千名を殺しました。
- 4月18日(金:出エジプト92日目)にモーセは民の罪を償うために7回目のシナイ山を登頂し、四十日四十夜自分の命を担保に取りなしの祈りをささげ、神様の怒りが収まってイスラエル民は助かりました(出32:30、33:3、申命記9:25-29、10:10~11)。
- そして 5月 30日(木)に8回目の登頂の時、命をかけて2度目の四十日四十夜の断食の祈りをささげ、神様は祈りが終わった7月10日に再びイスラエルの民と契約を立ててくれました(出34:28、申命記9:18)。
- モーセは 8回に渡る登頂の間、神様が命じられる度に「アーメン」と答えて従いました。しかしイスラエル民はモーセがシナイ山で四十日四十夜の間、断食の祈りをする間、御言葉に従順することができず、金の子牛を作ってそれに従うことで神様の震怒を招いたのです。神様を敬い畏れることが知識の源です(箴言1:7)。神様は御言葉を守って行えば、諸国民の前に知恵と知識がある民として認められると約束されました(申命記4:6)。
2012.12.10
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