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「主は正しい」とへりくだったレハブアム

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36. 「主は正しい」とへりくだったレハブアム

【聖書箇所】Ⅱ歴代誌 12章1節~16節

ベレーシート

  • 人は自分の地位が確立し、力がついてくると間違いを犯しやすいものです。レハプアムの父ソロモンもその一人ですが、レハブアム自身も同様の間違いを犯しました。神の律法を捨てたというのです(1節)。神政国家であるイスラエルにとって、最高の指導者である王が神とその律法(捨てた)とするならば、将来はありません。「捨て去った」と訳された動詞は「アーザヴ」(עָזַב)で、創世記2章24節で「それゆえ男は父と母を離れ、妻と結び合い、一体となる」という箇所でも使われています。創世記のその箇所の「父と母を離れ」が、「父と母を見捨てる」というのが真の意味だと知れば、きっと、つまずく人がいるかもしれません。
  • レハブアムには一度そのようなことがありました、主の教えであるトーラー(律法)を捨て去ったのです。しかし彼は、お抱えの預言者から叱責され、主のことばに素直に従い、即座に、悔い改めた王でもあるのです。聖書では、たとえ罪を犯したとしても、へりくだって神に立ち帰るがどうかが最も重要視されているのです。ちなみに「へりくだる」と訳された原語は「カーナ」(כָּנַע)は旧約で36回使われています。Ⅰ歴代誌は3回、Ⅱ歴代誌は16回、合わせて19回とダントツに使用頻度が多いのです。歴代誌の特愛用語と言えます。
  • 預言者シェマヤ(שְׁמַעְיָה、「神は聞かれる」という意味)が王のお抱え預言者でありながら、主のことばをはっきりと伝えることができたのは、彼が真の預言者であったことを伺わせます。

1. レハブアムの価値観

(1) 彼の名前の意味


●レハブアムはソロモンの後継者です。ソロモンは彼が生まれたときに、レハブアム(רְחַבְעָם)という名前を付けました。それは「民は拡大する」という意味です。広がる、拡張されるという「ラーハヴ」(רָחַב)と、民、あるいは、同族を意味する「アム」(עַם)の合成語です。父ソロモンはイスラエルの歴史において最も広い領土を治めた王です。ダビデから譲り受けたソロモンはその領土を防備することに力を入れ、平和を維持しようとしました。まさに、シャーローム(שָׁלוֹם)をもたらしたソロモン(「シェローモ―」שְׁלֹמֹה)です(同根であることに注目)。

(2) レアブアムの価値観が分裂を引き起こした


●レハブアムは父の価値観をそのまま継承しようとした出来事が王となってすぐに起りました。尤も、聖書では父の思いを子が実現するという思想があるのですが、良い意味でも悪い意味でも、この原則があるようです。レハブアムの場合は後者の例です。父ソロモンから、自分の名前が呼ばれるたびに、無意識に父の「民が拡大する」ことは良いことだとする価値観を受け継いでいると思われます。彼が王となった時、それまでソロモンは自分の部族であるユダ族にかなりの優遇措置を取っていました。そのつけはみな他の部族が負っていたのですが、ソロモンの死を契機にその不満が表に出てきたのです。

●長老たちはその要求を柔軟に受け入れるようにとレハブアムに説得しますが、レハブアムは自分と同世代の、いわば平和ボケした若者たち(とはいえ自分の価値観と同じだったのですが)の意見に従い、より一層、その負担のくびきを重くしようと脅迫しました。その結果、彼の名前とは裏腹に、イスラエル全体は二つに分裂し、彼が手にしたのはユダとベニヤミンの二つの部族だけでした。まさに六分の一の縮小です。経済的な面でもおそらくかなり苦しくなったはずです。それだけに、分裂した北イスラエルからリストラされた祭司たちやレビ人たちのエルサレム移住は、はからずも彼にとって心強かったに違いありません。


(3) レハブアムの価値観に水を差した預言者シェマヤ

●レハブアムのおかかえ預言者となったシェマヤが言うことに、レハブアムも他のリーダーたちも、良く耳を傾けて聞き従っているのです。すでに11章でも、分裂後にヤロブアムと戦おうとして出かける準備をしたレハブアムの出陣を止めさせ、引き返させています。そして12章では、レハブアムの罪によって、神がエジプト軍による危機を与えようとしましたが、レハブアムとリーダーたちは預言者シェマヤの言うことに耳を傾け、主の前にへりくだり、「主は正しい」(「ツァッデーク・アドナイ」צַדִּיק יהוה)と告白して、悔い改めたのでした。それゆえユダは、主の徹底的な滅び(「カーラー」כָּלָה)を免れるということが起こっただけでなく、多くの良いことも起こったようです。

●「不信の罪」とは「神の律法の捨て去り、その神聖さを認めない罪、反逆の罪」のことです。イスラエルの王たちの中で「不信の罪」を犯した王はサウル、そしてレハブアム、ウジヤ、アハズ、ゼデキヤの名を挙げることができます。その中で唯一、自分の不信の罪を認めて、へりくだった王はレハブアムだけです。エジプトの王
のしもべとなる経験をすることによって、平和ぼけしたレハブアムとその民たちが、「わたしに仕えることと地の諸王国に仕えることとの違いを思い知るため」の取り扱いを経験したことは、ある意味において良かったのではないかと思わせられます。それは「滅び」と「救い」が主とどのようにかかわるかを経験できたからです。ちなみに、「滅ぼす」と訳されるヘブル語の「カーラー」(כָּלָה)は「絶滅する」という意味と、その反対の意味である「完成する」という両義性をもった動詞なのです。その接点は神の前に「へりくだる」ことにあります。

●レハブアムとその民は、やがてキリストの再臨前のユダヤ人の「型」として見ることもできます。


2. 心を定めて常に主を求めることをしなかったレハブアム

  • レハブアムは「民が拡大する」ことは出来ませんでしたが、エルサレムでは、唯一、自分の「勢力を増し加え、国を治めた」と書き記されています(12:13)。一応は自分の名前どおり、かろうじて成就していると言えます。ちなみに「勢力を増し加える」という言葉には「ハーザク」(חָזַק)のヒットパエル態が使われています。
  • レハブアムという人物を通して聖書が教えようとしているメッセージは、「心を定めて常に主を求めること」です。彼は治世3年目にして自分の地位が確立したきに罪を犯しました。主の律法を投げ捨てたのです。彼がすべきことは、ますます神に立てられた王として、心を堅くして、常に主を求めることでした。聖書はその姿勢を「ダーラシュ」(דָּרַשׁ)という動詞を使って語っています。それは、知性的な意味において主を尋ね求めることを意味する動詞です。神の代理者であるイスラエルの王は、主のおしえであるトーラーをしっかりと学ぶ必要があったのです。ちなみに、心情的に主を尋ね求める場合の動詞は「バーカシュ」(בָּקַשׁ)という動詞が使われます。

「主よ。あなたはあなたを尋ね求める(דָּרַשׁ)者を
お見捨てに(「アーザヴ」(עָזַב)なりませんでした。」
(詩篇9篇10節/新共同訳は11節)


2014.3.7


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