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「主体的決断」

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17. 「主体的決断」

聖書箇所 28:1~29:1

はじめに

  • 29:1に「これは、モアブの地で,主がモーセに命じて,イスラエル人と結ばせた契約のことばである」と記されています。しかも、これは「ホレブで彼らと結ばれた契約とは別である」とあります。つまり、神と神の民の第二世代との間に以前の契約をもとに、新たに更新されたものと言えます。その内容が28章に記されています。約束の地では、荒野での生活とは異なり、土地が与えられて産物が生じるといった環境の変化だけでも大きく変わることを思えば、契約が更新されることは当然のことだと言えます。
  • シナイで交わされた契約(出エジプト記)では、「のろい」ということばは一度も出てきません。ただ「あなたがたは、~をしなければならない」と語られているだけです。しかし申命記では、繰り返し、「祝福とのろい」が民の前に置かれます。「見よ。私は、きょう、あなたがたの前に、祝福とのろいを置く。」(申命記11:26, 30:1, 19)と。主の命令に聞き従うなら祝福を、主の命令に聞き従わなければのろいを与えるという、いわば条件付き契約(「もし」付契約)であることが特徴的です。
  • いのちか死か、祝福かのろいか。その選択の結果は実に明確です。その中間の道はありません。主イエスも「いのちに至る門か、滅びに至る門か」とその二者択一を迫りました。また、「あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えることはできません。」とも諭しておられます。
  • 申命記において、神がご自分の民に、いのちと祝福を選ぶことを願っておられることは言うまでもありません。しかし神は、神の民がそれを自ら、主体的に決断し、選び取ることを求めておられるのです。「選ばれて、選ぶ」、「愛されて、愛する」という信仰の主体的決断です。なぜなら、これこそ申命記が記された最も重要なテーマだからです。

1. 祝福の内容

  • もし、主の契約の言葉に従順であるなら
    (1) 地のすべての国々の上に高くあげられ(1節)、聖なる民として立てられる(9節)
    (2) 具体的な祝福が約束される(2~8節)。
    ①町にあっても野にあっても、②あなたの子孫も,地の産物も,家畜も③日常生活のすべてが ④敵の攻撃に対しては勝利が ⑤勤労と収穫が祝福される
    (3) 諸国民は、主と主の民との関係を見て恐れるようになる(10節)。
    (4) あなたは他国民に貸すことはあっても借りることはない。かしらとなることはあっても、尾となることはない。上(頂)にいて、下(底)に置かれることはない(13節)。

2. のろいの内容

  • もし、主の契約の言葉に従順でないなら
    (1) のろいと恐慌と懲らしめのもとに置かれ、疫病によって打たれて根絶やしにされる(20~21節)。
    (2) 敵の前で敗走させられ(25節)、死体は野ざらしとなり,鳥や獣のえじきとなる(26節)。
    (3) 繁栄することなく、いつまでも、虐げられ、略奪される。婚約者は奪われ、息子、娘、家、畑、家畜、そして収穫のすべてが奪われる(30~33節)。
    (4) 民も王も捕囚となり、生れてくる子供たちも,捕囚として連れ去られる。そして、その地で物笑いの種となり、なぶりものとなる(36~37, 41節)。
    (5) 果樹も穀物も荒らされ、どんなに労しても収穫は自分たちのものとはならない(38~42節)。いなごや虫に食い荒らされるから。
    (6) 在留異国人がますます高くされ,あなたは没落していく(43節)。彼らかしらとなり,あなたは尾となる(44節)。
  • のろいは祝福の5倍にも及び、「ついには、あなたは根絶やしにされる(ついには、あなたを根絶やしにする)」という表現がなんと6回も用いられています(20,24,45,48,51, 61節)。約束の地に入っても、その地から引き抜き、「地の果てから果てまでのすべての国々の民の中に、あなたを散らす」(64節)と警告しています。このことは、まさに、離散の民となることを意味しています。そして事実、神の民のかたくなさは、この警告を実現してしまったことを私たちは知っています。
  • とはいえ、使徒パウロが述べているように、「神の賜物と召命とは変わることがありません。」(ローマ11:29)とあるように、神はイスラエルの「残りの者」(レムナント)を通して、神の民を建ち上げて行かれるのです。決して、ある世代の者たちは「根絶やしにされた」としても、別のサイトの契約、「選びの契約―アブラハム契約」はすたれることなく、永遠に有効なのです。それはシナイ契約とその更新の合意によるものではなく、神の一方的な約束だからです。創世記15章8~12節参照。

3. 詩篇119篇とのかかわり

  • 神が語られたことが、どれほど真実味があるかは長い歴史の中で証明されます。バビロン捕囚から解放された後に、エルサレムが困難にあることを知ったネヘミヤは、自分たちに及んだ辱しめの経験を次のように告白しています。「私たちに降りかかって来たすべての事において、あなたは正しかったのです。あなたは誠実をもって行なわれたのに、私たちが悪を行なったのです。」(ネヘミヤ9:33)とあります。ここでの「あなたは正しかった」とは、神が神の民に語られていたとおり、警告されていた通りのことがそのまま起こったという意味で、「あなたは正しかった」と認めています。神の言われることをそのままに聞くことをせず、神が語られていた警告をまっすぐに心に留めずにいたという反省に立っています。そのために、今や自分たちが異国の支配下のもとにあるのだと告白しています。
  • このネヘミヤの告白は、詩篇119篇137節の「主よ。あなたは正しくあられます。」につながります。「主よ。あなたは正しくあられます。あなたのさばきはまっすぐです。あなたの仰せられるさとしは、なんと正しく、なんと真実なことでしょう。」(119:137, 138)「あなたの義は、永遠の義、あなたのさとしは、まことです。」(119:142)「あなたのさとしは、とこしえに義です。」(119:144)と告白しています。
  • 私たちもひとり一人、生けるまことの神を恐れ、神の語られたことに従順に歩むかどうか、主体的に選び取ることが問われています。


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