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「初物と粉の全部」と「根と枝」のたとえ

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7. 「初物と粉全部」と「根と枝」のたとえ

【聖書箇所】11章16~24節

ベレーシート

  • 16節の「初物と粉全部」のたとえは、11~15節までの結論であると同時に、17節からはじまる「根と枝」のたとえの前提ともなっています。この箇所は、私たち異邦人のイスラエルに対する正しい態度とはいかなるものであるかが示されている、非常に重要な箇所です。まずは16節を見てみましょう。

1. 二つのたとえが意味すること

【新改訳改訂第3版】ローマ書11章16節
初物が聖ければ、粉の全部が聖いのです。
根が聖ければ、枝も聖いのです。

  • この節は同義的パラレリズムで書かれています。「初物と粉全体」の関係と、「根と枝」の関係は同義だということです。つまり、一部分によって他の部分が聖別されるということです。「聖別」とは神の所有であるという意味で、神からの祝福を受けるということです。その原則にしたがってパウロは、イスラエルとは主にささげられた「初物」であり、「根」とはイスラエルの先祖・父祖である「アブラハム、イサク、ヤコブ」のことだとしています。アブラハム、イサク、ヤコブに対して、神は共通に「地上のすべての民族があなたによって祝福される」と約束されました。つまり、彼らを「万民の救い」の計画の根とすることを語ったのです。

2. オリーブの木にある二つの枝

  • オリーブの木には二つの枝があります。その枝の第一の特徴は、木につながっているか、否かです。つぎ合わされるためには神への信仰が必要です。信仰がなければ枝は木から切り落とされます。多くのユダヤ人は神の御子イェシュアにつまずき、不信仰によって切り落とされました。そのことによって救いの福音が異邦人に及んだのですが、いずれにしても、重要なことは、木につながっているということが神の恩寵によるものだということです。
  • 枝の第二の特徴は、神の栽培種のオリーブの木につながっているか、否かということです。ユダヤ人であるならば元木(栽培種のオリーブの木)につながっている必要がありますが、野生種のオリーブの木の枝の場合は、その木から折られて、栽培種の木に接ぎ合わされなければなりません。
  • パウロは「神のいつくしみときびしさ」を見なさいと言っています(22節)。異邦人もユダヤ人も信仰によって神のいつくしみの中にとどまっていなければなりません。不信仰であれば、「切り落されます」という神のきびしさがあるからです。
  • すでに栽培種のオリーブの木から切り落とされている枝(ユダヤ人)が、悔い改めて、不信仰を続けることをやめるならば、再び、つぎ合わされることが可能なのです。本来、常識的に考えるなら、一度、切り落とされた枝はいのちを失い、死んでいます。ですから、それをつぎ合わせても回復することは自然的には不可能です。ところが、神は彼らを再びつぎ合わすことができるのです。しかもそれは野生種の枝がつぎ合わされるよりも、「もっとたやすく自分の台木につがれるはずです」とパウロは述べています(23, 24節)。「つがれるはずです」と訳された原文は、未来形受動態で「接ぎ木されることでしょう」となりますが、神の未来形は確実であるがゆえに、新改訳は「つがれるはずです」と訳しています。

3. 「接ぎ木」思想の語彙

  • 「接ぎ木」という訳語は新共同訳聖書で6回使われています。すべて「つぎ合わされる」という動詞なのですが、「接ぎ木する」「接ぎ木される」と訳しています。ここから「接ぎ木」思想と呼ぶことができます。これは聖書の中でも独特な思想であり、なぜか「エグケントリゾー」(ἐγκεντρίζω)はローマ書11章17, 19, 23, 24節にしか使われていない語彙なのです。
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  • 「接ぎ木」思想は、教会とイスラエルの関係を理解する上できわめて重要です。「つぎ合わされる」という訳語よりも、明確に「接ぎ木する、接ぎ木される」という訳語の方が、この関係をより理解しやすいように思います。ちなみに、「接ぎ木」という語彙を検索しても、新共同訳しかこの訳語を使っていません。しかもローマ書の11章のみに限られます。個人的にはとても重要・かつ明瞭な訳語だと思います。以下は、動詞「エグケントリゾー」(ἐγκεντρίζω)の文法情報です。

【新改訳改訂第3版】ローマ書11章17, 19, 23, 24節
17 もしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、

19 枝が折られたのは、私がつぎ合わされるためだ、とあなたは言うでしょう。

23 彼らであっても、もし不信仰を続けなければ、つぎ合わされるのです。神は、彼らを再びつぎ合わすことができるのです。

24 もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、これらの栽培種のものは、もっとたやすく自分の台木につがれるはずです


【新共同訳】ローマ書11章17, 19, 23, 24節
17 しかし、ある枝が折り取られ、野生のオリーブであるあなたが、その代わりに接ぎ木され、根から豊かな養分を受けるようになったからといって、

19 すると、あなたは、「枝が折り取られたのは、わたしが接ぎ木されるためだった」と言うでしょう。

23 彼らも、不信仰にとどまらないならば、接ぎ木されるでしょう。神は、彼らを再び接ぎ木することがおできになるのです。

24 もしあなたが、もともと野生であるオリーブの木から切り取られ、元の性質に反して、栽培されているオリーブの木に接ぎ木されたとすれば、まして、元からこのオリーブの木に付いていた枝は、どれほどたやすく元の木に接ぎ木されることでしょう。


【文法情報】
①17節、直アオリスト、受動2人称、複数。
②19節、仮アオリスト、受動1人称、単数。
③23節、直未来形、受動3人称、複数。
④23節、不定詞、アオリスト。
⑤24節、直アオリスト、受動2人称、単数。
⑥24節、直未来形、受動3人称、複数。


  • 異邦人である私たち(キリストの教会)は、栽培種のオリーブの木の枝と根(イスラエル)に対して決して「誇ってはならず」、「高ぶらず、かえって恐れなさい」とパウロは勧告しています。むしろ、今日の教会を生かすいのちの呼び水を、ヘブル的ルーツから引いて来る必要があるのです。そして神の永遠のご計画とみこころ、御旨と目的を再発見する必要があると信じます。
  • 教会はイスラエルに対するかかわりを「接ぎ木思想」によって修正して、いのちの源泉を見出すことがこれからの教会の正しい歩みだと言えます。

2017.7.25


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