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「契約の箱」の歴史的経緯

歴史書(2)」の目次

B. ダビデの幕屋における礼拝改革

B-2. 「契約の箱」の歴史的経緯

(1) 神の臨在の顕現時代 (荒野~ギルガル~シロ)

①〔40年間の荒野 
幕屋が荒野で宿営するときは、常に民たちの中心にあった。また民たちが主の命令で旅立つ時は、「契約の箱」は常に先頭であった。(民数記10章33~34節/35~36節には「契約の箱」行軍の歌が見られる。)

②〔ヨルダン渡渉〕
ヨルダン川を渡るときに、祭司たちは「契約の箱」を担いで先頭を進んだ。祭司たちの足が水際に浸ったとき、ヨルダン川は完全にせき止められた(ヨシュア記3章)。

③〔ギルガル〕
ギルガルは約束の地カナン占領のための戦いの本陣となった。なぜならそこに「契約の箱」が置かれたからである。民たちは戦いのたびごとにギルガルに戻った。

④〔シロ〕
ヨシュアはカナンの地をほぼ占領した後、「契約の箱」をシロに安置した(ヨシュア18章1節)。シロは占領地のほぼ中央に位置した。一時ベテルに運ばれたことがあったが(士師記20章27節)、サムエルの時代までシロに安置されていた。サムエルの父エルカナは毎年礼拝のためにシロにある「主の宮」に上った(Ⅰサムエル1章3節)と記されている。つまり、その時代にはかつての「モーセの幕屋」とは異なるものに変化していたことになる。

画像の説明

(2) 神の臨在の喪失時代

(シロ~エベン・エゼル~アシュドテ~ガテ~エクロン~ベテ・シュメシュ)

①〔契約の箱の剥奪〕
ところが、神の民にとって最も重要な「契約の箱」が敵に奪われるという事態が起こった。ペリシテの戦いの時、契約の箱がエベン・エゼルの戦場に持ち出された。しかしイスラエルは打ち負かされ、契約の箱はペリシテ人に奪われてしまったのである。その結果、「イ・カボデ」(神の栄光は去った)のである。脚注1

  • その背景には、大祭司エリとその子どもたち(ホフニとピネハス)に見られるように、祭司社会の堕落があった。当然の結果として「主のことばはまれにしかなく、幻も示されない」(Ⅰサムエル3章1節)という神の臨在喪失の時代を迎える。ただ預言者サムエルにだけは、主はご自身のことばをもって現わされた。この時代にイスラエルの民は、他の国と同じように人間の王を求め、はじめてイスラエルに王制が導入されることになる。最初の王としてサウルが立てられたがその礼拝態度はきわめてお粗末だった。⇒(Ⅰ歴代10章13~14節のサウロと14章10節、14節のダビデを比較)

②〔ペリシテ領内での7ヶ月〕
契約の箱はペリシテ人に奪われたが、ペリシテ人はこの箱のために疫病に悩まされ、多くの者が打たれた。そこでペリシテ人は、その箱をアシュドテ、ガテ、エクロンへとたらい回しにし、結局、神の箱は贈り物をつけられてイスラエルに送り返された。契約の箱がペリシテ領内にあったのは7ヶ月であった。

③〔20年間の期間〕
契約の箱をダビデがエルサレムの天幕に運び移すまで、実に20年間、キルヤテ・エアリムのアビナダブの家に安置され、その息子エルアザルがその箱を守った。

●契約の箱がキルヤテ・エアリムのアビナダブの家に安置されるまでの変遷については、以下のサイトを参照

 

(3) 神の臨在の回復時代 (キルアテ・エアリム~オベデ・エドム~エルサレムのシオン)

①〔エルサレム遷都〕
ダビデはイスラエルの過去の歴史に全く関わりのなかったエルサレムを宗教的、政治的な中心地とし、そこに神の「契約の箱」を移転しようと考えた。それによって、神の臨在と力を再びイスラエルにもたらすためであった。しかもそのことを独断ではなく、合意の上で決行することによって、国家的に霊的一致をもたらす狙いがあったと考えられる。しかしながら、意図と目的は良かったが、その方法がまずかった。

②〔一回目の移転〕
ウザの割り込みによって中断(Ⅰ歴代13章)。ここでの教訓は人が良しと考えてしたことであっても、神の定められた方法によって運ばなければならなかったことである。下図の絵を見ると、契約の箱を牛車に乗せて運んでいるのが描かれている。

画像の説明

③〔二回目の移転〕
神の定められた方法と秩序によって、再度の挑戦

a. レビ人が、契約の箱を担ぐことが定まっていた(同、15:2)。
b. レビ人たちは(祭司たちも)、自分自身を聖別しなければならなかった。脚注2


脚注1
神の臨在が失われるとき、具体的にどのようなことが起こるのか。
①礼拝が宗教儀式となり、伝統的習慣が支配する。御霊の生きた自由さと働きを見ることができなくなる。
②人間が作り出した礼拝形式にこだわる。
③エリの首が折られたように、かしらなるキリストとからだなる私たちとのライフラインが断ち切られる。
④現状維持、現状肯定に安んじる、霊的渇望への希求は見られない。
⑤神のみことばをあるがままに受け入れようとはしない。真理が人間的経験によって解釈される。
⑥有名人指向に走る・・等。黙示録のラオデキヤ教会、テアテラの教会を参照。

脚注2
祭司職の聖別については、出エジプト記29章を参照。

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