「愛する」
詩篇119篇の22の瞑想の目次
詩119篇(10)「愛する」אָהַב アーハヴ
(カテゴリー: 信頼)
97節「どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています。」
Keyword; 「愛する」 love, 5:11/26:8/31:23/40:16/69:31/97:10/116:1/145:20/119:47,48,97, 113,119,127,132,140,159,163,165,167
- 「愛する」という動詞アーハヴ אָהַב(‘ahav)は、本来的には神が人を愛する無条件の愛です。しかしその神の愛に触れられた者が、神を愛するときにもこのアーハヴという動詞が使われています。詩篇の中では詩119篇に多く見られます。おそらく、作者がハビロンの捕囚の地において神のトーラーに目が開かれ、神の愛の深さにふれたからです。そして、作者は神とその教えを愛する者となりました。ところで、神の教えを愛するとはどういうことか。97節~104節の段落においてそれを伺い知ることができます。
- 第一に、「主のみおしえを愛するとは、一日中、それを自分の思いとするということ」です。「一日中」とは、「絶え間なく」(新共同訳)、「終日」(関根訳)、「ひねもす」(岩波訳)ということです。私の「思い」とは、「思い巡らす」ことであり、瞑想することです。つまり、一日中、主から与えられた教えを思い巡らすこと、これが愛することです。ある時間だけ思い、そのあとはすっかり頭から消えているとしたら、愛しているとは言えません。作者は自分が主を愛しているそのあかし(内証)として継続的な思い巡らしをあげています。
- 第二に、「主のみおしえ愛するとは、その結果として知恵が与えられること」を意味します。作者は「敵よりも」「すべての師よりも」「老人よりも」、賢く、悟りがあり、わきまえ(分別)があると述べています。一見、傲慢に聞こえますが、主の教えに身も心も満たすことによって、自分の生き方に自信を得たと受け取るべきです。愛は人に自信を与え、秀だせる力を与えます。愛は人を生かします。
- 第三は、「主のみおしえを愛するとは、優先すべきことを明確に選択するということ」です。作者は主のおしえを愛するゆえに、偽りの道をことごとく憎むと言っています。
イエスは「神も富も、同時に愛することはできない」と言われました。愛するとは大切なことがらを選び取らせ、そうでないものとはっきりと退けさせるのです。
- 私が思い巡らしているイエスのことばがあります。それは、弟子たちが「だれが一番偉いか」と議論していたときに、ひとりの子どもの手を取り、自分のそばに立たせて「だれでも、このような子どもを受け入れる者は、わたしを受け入れる者です。また、わたしを受け入れる者はわたしを遣わした方を受け入れる者です。あなたがたのすべての中で一番小さい者が、一番偉いー偉大で尊い存在、必要な器―のです。」(ルカ9:48)と言われたことばです。「受け入れる」(受容)とは、愛することです。最も愛を必要している者を受け入れ、これに愛を注げるか、と主に問われています。