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「掟を棄てたこの期に及んで、言うべき言葉が・・」

9. 「掟を棄てたこの期に及んで、言うべき言葉が・・」

〔聖書箇所〕 9章10節

  • 9:10
    「今、こうなってからは、何と申し上げたらよいのでしょう。私たちの神よ。私たちはあなたの命令を捨てたからです。」

はじめに

  • 神殿の再建が完成したのがBC515年。エズラの率いる第二次帰還者がエルサレムに到着したのが、ァルタシャスタ王の治世第7年目のBC458年。この間、57年。この間に、エルサレムの神の民の様子はかなり変化していました。その実情を指導者たちから聞かされて知ったエズラは呆然とし、「着物と上着を裂き、髪の毛とひげを抜き、色を失ってすわってしまった。」(9:3)とあります。〔注1
  • エズラを呆然とさせたのは、神の民が地の民と縁を絶つことなく(袂を分かたず)、結婚してしまっていること、しかも指導者たちがそれを率先してやっているという衝撃的報告でした〔注2〕。
    茫然自失。言葉を失って呆然として座っていたエズラは気を取り戻して立ち上がり、そして、ひざまずいて神に向かって祈り始めたのです。その祈りが第9章6~15節の内容です。とても美しい、心を動かされる祈りです。エズラは民に向かって説教したのではありません。訴えたのでもありません。ただ、「恥ずかしい」という思いで主に祈っています。その祈りが民の心を大きく動かすことになるとは知らずに・・・。

1. 捕囚の後のあわれみにもかかわらず・・

  • エズラは「恥ずかしくて、恥ずかしくて、神の御前に顔を上げられない」と神に向かって言っています。

    ①先祖の代から大きな罪を犯し続けて来たゆえに、恥を受け、捕囚の身となってしまったこと。


    ②にもかかわらず、神の憐れみは、奴隷の状態ではあっても、ペルシヤ王の好意を得させて生き返った心地を味わわせてくれたこと。神殿を再建させてくれた。城壁も造らせてくださったこと。


    ③しかし、今や重ねて神の掟を棄ててしまった。もう神の前に立つ瀬がないこと。

  • エズラの祈りは「私の神」と呼びかけながら、「私たちの罪」を告白しています。「ご覧ください。私たちは罪過の中であなたの御前におります。このような状態で、だれもあなたの御前に立つことはできないのに。」(9:15)
  • あまりにも深刻な罪は、軽々しく悔い改めの祈りなどできないのです。しかし、そのような認罪感こそ、神が神の民を再建させていくのです。神殿は神によって建てられるのと同様、神の民の再建も、ひとえに神にかかっているのです。私たちにはなによりも難しい不可能なことなのです。

2. 「恥ずかしい」というエズラの感情

  • エズラは「恥ずかしい」ということばを何度か使っています。

①「私は道中の敵から私たちを助ける部隊と騎兵たちを王に求めるのを恥じた(「ボーシュ」בּושׁ)からである。私たちは、かつて王に、『私たちの神の御手は、神を尋ね求めるすべての者に幸いを下し、その力と怒りとは、神を捨てるすべての者の上に下る。』と言っていたからである。」(8:22)


②「私の神よ。私は恥を受け(「カーラム」כָּלַם)、私の神であるあなたに向かって顔を上げるのも恥ずかしく思います(「ボーシュ」בּושׁ)。私たちの咎は私たちの頭より高く増し加わり、私たちの罪過は大きく天にまで達したからです。」(9:6)


③「私たちの先祖の時代から今日まで、私たちは大きな罪過の中にありました。私たちのその咎のため、私たちや、私たちの王、祭司たちは、よその国々の王たちの手に渡され、剣にかけられ、とりこにされ、かすめ奪われ、恥(名詞「ボシェト」(בֹּשֶׁת)を見せられて、今日あるとおりです。」(9:7)

  • 自分が「恥じる」「恥ずかしく思う」という表現は、聖書の中にあまり見られません。神への信仰告白をしながら、言い切った手前もあって今さらという感情、それに見合わない自分を恥ずかしく思うという感情は日本人であればよく理解できます。日本の文化は「恥の文化」と言われるくらいですから。エズラのいう「恥じる」「恥ずかしく思う」とは、神が顧みてくださったにもかかわらず、それに見合っていないことに対する評価です。人からどう見られているか、どう思われているかというよりも、神の愛顧に対して裏切っている自分(あるいは自分を含めた共同体)を許せないといった感情が「恥ずかしい」という思いではないかと思います。この「恥ずかしさ」は、自分を、あるいは自分たちを信頼してくれる神に対して、本当に「申し訳ない」という悲しみを含んだ感情でもあるように思います。

注1
これは深い悲しみの感情を表わす表現です。

注2
雑婚は、出エジプト記34:15~16節、および申命記7:3~4で禁止されています。
「また、彼らと互いに縁を結んではならない。あなたの娘を彼の息子に与えてはならない。彼の娘をあなたの息子にめとってはならない。彼はあなたの息子を私から引き離すであろう。彼らがほかの神々に仕えるなら、【主】の怒りがあなたがたに向かって燃え上がり、主はあなたをたちどころに根絶やしにしてしまわれる。」(申命記7:3~4)


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