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「目を留める」

詩119篇(2) 「目を留める」נָבַט ナーヴァト


119:15「私は、あなたの戒めに思いを潜め、あなたの道に私の目を留めます(נָבַט)。
119:18「私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留める(נָבַט)ようにしてください。」

Keyword 「見る、見上げる、目を留める、仰ぎ見る、見守る」 look, see, consider, 10:14/13:3/22:17/33:13/34:5/74:20/80:14/84:9/91:8/92:11/94:9/102:19/104:32/ 
119:6, 15, 18/142:4

  • 「目を留める」と訳された「ナーヴァト」(נָבַט)は、旧約で69回、詩篇では17回です。「見る、熟視する、見上げる」という意味です。詩119篇では6, 15, 18に3度使用されています。聖書で最初に登場するのは創世記15章5節で、主がアブラハムを外に連れ出して、「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」と。そしてさらに「あなたの子孫はこのようになる」と告げられました。神のヴィジョンへの促し、人間的な想像を超えるヴィジョンへの促しのことばです。
  • 私たちは「見る」ものによって大きく影響を受けます。「見るべきもの」と「見てはならないもの」があります。創世記の19章には、ロトの妻がソドムとゴモラから脱出するとき、御使いから「いのちがけ逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。」と言い聞かされたにもかかわらず、彼女は「振り返った」(looked buck)ので、塩の柱となってしまったことが記されています(19:26)。おそらく、彼女は滅ぼされた町に断ちがたい未練をもっていたのかもしれません。
  • モーセがホレブの山で燃える柴を見たとき、神の声を聞きました。そのとき「神の顔を仰ぎ見る(נָבַט)ことを恐れて、顔を隠した」(出3:6)モーセが、「彼はわたしの全家を通じて忠実な者である。彼とは、わたしは口と口とで語り、明らかに語って、なぞで話すことはしない。彼はまた、主の姿を仰ぎ見ている(נָבַט)。」と主ご自身が弁護しています(民数記12:7,8)。
  • また、イスラエルの民がモーセに逆らったとき、主は「燃える蛇」送られ、その蛇は民にかみつき、多くの人々が死にました。そしてモーセが祈った時、主はモーセにこう言われました。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者はそれを仰ぎ見れば(נָבַט)、生きる。」と(民数記21:8)。青銅で作られた「燃える蛇」をモーセが旗ざおの上につけ、それを仰ぎ見た者は生きたように、これはやがて私たち人間の罪の贖いのためのいけにえとなるイエス・キリストを仰ぎ見るならさばきから免れることを暗示した出来事でした。
  • このように、「目を留める」とは信仰的に「見る」ことを意味しています。主を見る者は生きるのです。それゆえ、ヘブル人への手紙の著者は「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(12:3)と忠告しています。


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