****** 詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。******

「神の選びの愛」

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6. 「選びの愛」

聖書箇所 7:1~8:20

  • このNo.6の瞑想箇所から、申命記7章にある神のイスラエルに対する「選びの愛」をキーワードとして瞑想します。

1. 「選びの愛」

「主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。しかし、主があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、主は力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、・・・・贖い出された。」(申命記7:7, 8)

  • この箇所はイスラエルの選びという思想について重要な箇所ですが、これが申命記7章の主題ではありません。1~2節にある勧告―すなわち、約束の地に導き入れられるとき、そこにいる七つの異邦人(数も多く、また強い民)を聖絶しなければならないという勧告―の動機づけとして置かれていることばです。7, 8節は、前節の「あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は、地の表のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の民とされた。」(6)ということを、別な表現で言い換えたものです。つまり、「聖なる民として、選び、ご自分の民とされた」ことの動機的説明として語られたものです。
  • この申命記7章7節と8節のみことばには、三つの重要な動詞があります。
    ①「恋い慕う」ハーシャク חָשַׁק (chashaq)
    ②「選ぶ」  バーハル   בָּחַר(bachar)
    ③「愛する」 アーハヴ  אָהַב('ahav)

  • ①「恋い慕う」と訳された動詞ハーシャクחָשַׁק(chashaq)は、旧約で8回、申命記では3回(7:7/10:15/21:11)使われています。他には創世記34:8、詩篇91:14にも使われています。決して数として多くはありません。この動詞は「恋い慕う」(新改訳)の他に、「慕う」(新共同訳、フランシスコ会訳)、「心を寄せる」(関根訳)、「ひかれる」(左近訳)とも訳されます。本来、創世記34章8節に見られるように、男が女に対して、身も心も奪われる、惹きつけられるといった俗っぽい言葉ですが、神がイスラエルに対しての思いもそうした面があるということです。それ相当の根拠があるわけではない「惹きつけ」「心寄せ」を意味します。それが次の「選ぶ」ということばにも関連しています。
  • ②「選ぶ」と訳された動詞はバーハルבָּחַר(bachar) は、旧約で164回、詩篇では13回使われています。その多くが、神がイスラエルを、あるいは神が人を選ぶという場合に使われています。この動詞が最も多く使われているのは申命記、次いでイザヤ書です。申命記では31回中1回だけいのちを選ぶように求められていますが、他の30回は神がイスラエルを選んだとたたみかけているのです。その極めつけが7章7~8節なのです。「主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、・・・主があなたがたを愛されたから」なのです。その選びの理由は「主があなたがたを愛されたから」とあります。「あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。」とも説明されています。
  • 日本のクリスチャン、特に教職者たちの中には、マイノリティー(少数派)であることにコンプレックスを感じている方が多いように感じられます。そこにはマジョリティ(多数派)を良しとする考え方があるからかもしれません。神の選びはそうした考え方と相反しています。主イエスも「あなたがたは地の塩です」(マタイ5:13)と言われました。塩はその量が少なくてもその役目を果たすことが出来るのです。むしろ、塩けを十分に保っていることのほうが重要なのです。聖書の神は、単に数が多いことを良いことだとはされない神です。特に、「選び」においてはそうです。
  • ③「愛する」と訳されたアーハヴאָהַב(’ahav)は、神の「選びの愛」を表わす動詞です。ちなみに、「契約の愛」はヘセドחֶסֶד(chesed)です。神のイスラエルに対する選びは、神の一方的な無条件的な至高の愛に基づくものです。それゆえ、イスラエルに接木された異邦人である私たちも、愛されるに価する何物もないことを認めなければなりません。神がイスラエルを選ばれたのは、神がそうしたいから、そうしたとしか言いようのない「功なき愛」のゆえです。
  • アーハヴאָהַב(’ahav)は、本来、神が人に対して示される無条件の愛ですが、それを神が人に求められるとき、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい(אָהַב)。」と要求されます。これは神のアーハヴの反映と言えます。つまり、これがー申命記の主題ですがー「愛されて、愛する」、「選ばれて、選ぶ」という信仰の主体的、自立的な在り方です。
  • 「契約の愛」は、結婚の愛に相当します。神とイスラエルは合意の上で結婚して神の民となりました。それは双方に対して責任と誠実さが求められる関係です。もしその一方が契約においてペナルティを犯せば、それは破棄されてもしかたありません。しかし、神と民のかかわりにはもうひとつ別のサイトのかかわりが存在します。それは「選びの愛」です。この神の一方的な、不変の愛、永遠の愛であるアーハヴאָהַב(’ahav)によって、神は新しい契約を立て、御子イエス・キリストを通して実現に至らせたのです。もしこの「選びの愛」がなければ、私たちはとっくに愛想を尽かされてしまっていることでしょう。しかし今や、エレミヤを通して預言された永遠の愛によって結ばれた「新しい契約」(31:3)の中にあることを心から感謝したい。

2. 詩篇119篇とのかかわり

  • イスラエルが神の選民として自立するためには、この「神に選ばれて、神を選ぶ」という神の恩寵に対する主体的な決断が重要でした。信仰的自立とは「愛されて愛する、選ばれて選ぶ」という主体的な決断に基づく服従の意志です。詩篇119篇ではその神への選びの愛に対して、どのように応えているでしょうか。
  • 詩篇119篇には「選びの愛」を表わすアーハヴאָהַב(’ahav)が12回使われています。ここには、「愛されて、愛する」という主体的。自立的な信仰を見ることができます。

①詩 119:47
「私は、あなたの仰せを喜びとします。それは私の愛するものです。」
②119:48
「私は私の愛するあなたの仰せに手を差し伸べ、あなたのおきてに思いを潜めましょう。」
③119:97
「どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています」。
④119:113
「私は二心の者どもを憎みます。しかし、あなたのみおしえを愛します。」
⑤119:119
「あなたは地上のすべての悪者を金かすのように取り除かれます。それゆえ私はあなたのさとしを愛します。」
⑥119:127
「それゆえ、私は、金よりも、純金よりも、あなたの仰せを愛します。」
⑦119:132
「御名を愛する者たちのためにあなたが決めておられるように、私に御顔を向け、私をあわれんでください。」
⑧119:140
「あなたのみことばは、よく練られていて、あなたのしもべはそれを愛しています。」
⑨119:159
「ご覧ください。どんなに私があなたの戒めを愛しているかを。」
⑩119:163
「私は偽りを憎み、忌みきらい、あなたのみおしえを愛しています。」
⑪119:165
「あなたのみおしえを愛する者には豊かな平和があり、つまずきがありません。」
⑫119:167
「私のたましいはあなたのさとしを守っています。しかも、限りなくそれを愛しています。」

以上の引照聖句から見えてくるものは何でしょうか。申命記のメッセージに応えて、「主のおしえを昼も夜も口ずさみ(瞑想し)」、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして主を愛する」者の真摯な姿です。主は、ご自身の御名にかけて、こうした生き方を私たちに実現させようとしています。



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