「選ぶ」
詩篇119篇の22の瞑想の目次
詩119篇(15)「選ぶ」 בָּחַר バーハル
(カテゴリー: 信頼)
173節「・・・私はあなたの戒めを選びました。」
Keyword; 「選ぶ」 choose, 25:12, 119:30, 173
- 「選ぶ」と訳されたバーハルבָּחַרַ(bachar)という動詞は、旧約で164回、詩篇13回使われています。その多くが、神がイスラエルを、あるいは神が人を選ぶという場合に使われています。
- この動詞が多く使われているのは申命記、次いでイザヤ書です。申命記では31回中1回だけいのちを選ぶように求められています。つまり、30回は神がイスラエルを選んだとたたみかけているのです。その極めつけは7章7~8節です。
「主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。しかし、主があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、主は力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手からあなたがたを贖い出された。」です。ここには神の先行的な愛と真実に基づく「選び」が記されています。
- イザヤ書も20回中2回だけ、神の喜ばれることを「選ぶ」ようにと勧告し、その祝福を約束しています。いずれもイスラエルか神の選民として自立するためには、この「神に選ばれて、神を選ぶ」という神の恩寵に対する主体的な決断が重要です。信仰的自立とは「愛されて愛する、選ばれて選ぶ」という主体的な決断に基づく服従の意志なのです。
- 主イエス・キリストも弟子たちに「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」(ヨハネ15章16節) と言われました。選びの先行的恩寵が弟子たちに明言されています。
- ところで、詩篇でも同様です。13回中2回だけ、しかも119篇(30節と173節)に人間側の「選び」の告白として使われています。119篇にそれが見られるという点が重要です。バビロンの捕囚を経験した者がはじめて、自分たちが神の選びにあずかり、神の律法を賦与されていたことに目が開かれ、それによって自らのアイデンティティを確立し、やがて離散と迫害を余儀なくされる運命にあった彼らの存在を根底から支える基盤となったからです。
「私は真実の道を選び取り、あなたのさばきを私の前に置いた。」(119:30)
「私はあなたの戒めを選びました。」(119:173)
- 神に選ばれて、「選ぶ」という主体的な告白の数は、神の選びの宣言に比べてあまりにもその数は少ないように思います。それゆえ、極めて重く、価値のある告白となっています。しかも、その「選び取り」の告白をもって詩119篇が閉じられているのです。
- 最後、マリヤがイエスから「良い方を選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10:42)と言われたことも明記すべき事柄です。私たちが何を選び取るかが大切です。マリヤは主のために働くこと以上に、主の御声を聞くことを選び取りました。それがイエスから「良い方を選んだ」と評価されたのです。ちなみに、このマリヤの在り方は、イエスの在り方そのものだったのです。