****** 詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。******

あなたが私とともにおられますから。

瞑想(10) 「あなたが私とともにおられます」(v.4-a)

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  • 「(主である)あなたが私とともにいる」と訳された「アッター・インマーディー」(אַתָּה עִמָּדִי )、本来「ともにいる」という言葉は「イム」(עִם)という言葉が使われますが、この詩23篇では「インマード」(עִמָּד)が使われています。いずれも同じ意味を有しますが、「イム」(עִם)の方が、使用頻度(旧約1,049回)からするとインマードעִמָּדの使用頻度(45回)と比べて圧倒的に多いのです。詩篇では4回(23:4/50:11/55:18/101:6) 聖書ではעִמָּדִיと、一人称単数の語尾をとる形だけが使われています。従って「私とともに」(with)、「私に対して」(against)、「私のそばに」(beside)、「私のまわりに」(surround)、「私の方に」(for)、「私のもの」(mine)―と訳されています。
  • 4節からこれまでの「主」から「あなた」に代わっています。つまり、主である「あなた」(「アッター」אַתָּה)と「私」がともにいるというかかわりが「アッター・インマーディー」(אַתָּה עִמָּדִי)という表現で強調されています。
  • しかし調べてみると、「あなたが私とともにおられます」という表現は、聖書ではきわめて珍しいのです。主が特定の人に対して「わたしはあなた(あなたがた)と共にいる」(イサク、ヤコブなど)という表現。あるいは第三者(指導者、預言者)が人に対して、あるいは民に対して「主があなたと(あなたがたと)ともにいる」という表現。あるいは、客観的表現として「主にある者たちが声をあげて、ともに喜び歌っている」、「兄弟たちが一つになってともに住む」というのがありますが、人が主に対して、「あなたは私とともにおられる」という臨在の確信はきわめて少ないのです。しかし、この告白は「わたしはあなたとともにいる」という主の約束に依拠しています。
  • 「あなたがわたしとともに」という臨在の祝福が、この節のテーマです。主の臨在によって、たとえ「死の陰の谷を歩くことがあっても恐れない」と告白しています。「死の陰の谷」とは、元来は「暗やみの谷」を意味します。先が読めない闇、出口が見えない状況、だれも助けることのできない孤独の世界、それはまさに死の淵にある状況を意味します。しかしそんな状況にあっても、「私は恐れない」というのは人生の逆転をもたらす信仰によるものです。ちなみに、詩篇130篇の作者は「深い淵から、私はあなたを呼び求め」(1節)と主を待ち望んでいます。
  • 主の臨在の約束は聖書のはじまりから終りまで、実に、聖書全体に及んでいます。その最初の記述は、創世記5章の「エノクは神とともに歩んだ」(これも実は珍しい表現なのです。普通は、「神(主)はだれだれと共におられた。」)。イサクに対しては、「わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしはあなたとともにいる。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」と続き、ヤコブに対しても、主の臨在の約束と祝福は連続し、末広がりとなっています。ヤコブが特別に愛した子ヨセフに至っては、その生涯のいろいろな局面に「主が彼とともにおられた」と記されています。
  • 主の臨在の約束とその祝福は、神の一方的な恵みであり、人間的な功績や資質によらないものです。また決して見捨てられることなく、すべてのことー失敗の痛みや人間の罪や悪さえもーが益とされる。
  • 「主がわたしとともにいてくださる」という約束を信仰によって握らずして、神からの召しを全うすることはできません。ダビデもそうであったに違いありません。だからこそ、「たとい、死の陰の谷を歩むとも、私はわざわいを恐れません。」と告白できたのだと思います。そんなかかわりを持つ者となりたいものです。


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