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あなたの名は何と力強いことでしょう

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27. あなたの名は何と力強いことでしょう

【聖書箇所】 詩篇8篇1節、9節

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【読み】
アドナーイ アドネーヌー マー アディール ムハー ベル ハーアーレツ アシェル テー ホードゥハー アル ハッシャーマイム

【文法】
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【翻訳】

【新改訳改訂3】
私たちの主、【主】よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたのご威光は天でたたえられています。
【新改訳第二版】
私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたはご威光を天に置かれました。
【口語訳】
主、われらの主よ、あなたの名は地にあまねく、いかに尊いことでしょう。あなたの栄光は天の上にあり、
【新共同訳】
主よ、わたしたちの主よ/あなたの御名は、いかに力強く/全地に満ちていることでしょう。天に輝くあなたの威光をたたえます
【NKJV】
O Lord, our Lord, How excellent is Your name in all the earth,Who have set Your glory above the heavens!
【私訳】
主よ。私たちの主よ。あなたの御名は全地においてなんと貴いことでしょう。あなたがその威光を据えられた天においてもそうです。

  • 1節において翻訳が難しい箇所は最後の部分です。新改訳は第三版では改訳されていますが、原文を見る限りどうも腑に落ちません。1節で強調されているのは主の御名に対する「驚き」です。その驚きは地においても、天においても現わされています。しかし、この詩篇ではその驚きの焦点(強調点)は、天よりも、むしろ地において現わされた事柄にあります。ですから最後の節には「天」が抜け落ちています。天においても、地においても神の御名の不思議さ、その卓越性が讃えられていますが、「人とは何者なのでしょう」とあるように、「人」に対するかかわり性に御名のすばらしさを作者は見ているように思います。

【瞑想】

この詩篇のキーワードは「何と」מָהという驚きです。この驚きを表わす感嘆詞は、1節と4節にあります。前者(1節)は天と地における御名に対する驚きですが、後者(4節)では「人、あるいは人の子に対する主のまなざし」に対する驚きです。その「人」とは原語では「エノーシュ」で、同じく4節の「人の子」は「ベン・アーダーム」(アダムの子)です。そうした弱い者に対して心を留め、顧みられる主の御名(ご自身)に対する驚き、感嘆がテーマです。

ここでなぜ「エノーシュ」なのでしょうか。人を表わす「アーダーム」(אָדָם)でもなく「イーシュ」(אִישׁ)でもなく、また「ゲヴェル」(גֶּבֶר)でもありません。なぜ「エノーシュ」(אֱנוֹשׁ)なのか。創世記4章にカインがアベルを殺したので、彼の代わりに神はアダムにもう一人の子を授けられました。その子の名はセツ。そしてセツの子はエノシュと名づけられました。そのとき「人々は主の御名によって祈ることを始めた」という重要なコメントが記されています。

セツが自分の最初の息子を「エノシュ」と名付けたのにはそれなりの意味があると言えます。「エノーシュ」(אֱנוֹשׁ)とは「弱い者」という意味です。セツが自分の息子をそのような意味で「エノシュ」と名付けたのは、カインの系譜につながる人々の存在があったからと思われます。カインの系譜は神ぬきの文明を築こうとした系譜です。しかもレメクに至っては、自分を傷つけた者に対しては77倍の復讐をするほどの自己保身的防衛本能をむき出しにしています。そうした背景の中にあって、セツの系譜(アダムの息子、娘たち)は人間の弱さを自覚し神に拠り頼まざるを得ないことを意識するようになったと言えます。
セツがエノシュを生んだ頃から、セツはそのことを自覚するようになり、そして家族とともに「主の御名によって祈ることを始めた」(創世記4:26)のでした。

今日においても、主にある家族の周囲にはカインの末裔と同様、神を認めず、神を恐れず、神を信じない者の大きな勢力があります。社会構造としては当時も今もなんら変わっていません。主にある家族は「はじめに神が天と地を創造した」ことを認めない世界観の中に置かれています。主がいつも心を留めてくださらなければ、主の顧みがなければ、この世の流れに飲み込まれてしまうほどに世の力は大きいのです。

しかし驚くべきことに、2節には「あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました(原文では「力の基を据えられた」)とあります。その目的は「あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるため(あるいは、滅ぼすため)」です。「幼子と乳飲み子たち」とは「小さな者たち」の代表です。後に、イエスは弟子たちのことを「幼子たち」と呼んでいます(マタイ11:25)が、この世で最も弱い者たちが、神の力を打ち建てるとは、なんとも不思議なことです。

「私たちの主、【主】よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強い(貴い、すぐれた、卓越した、威厳に満ちた)ことでしょう。」


2013.3.13


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