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あなたは私たちの喜び、私たちの楽しみ

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雅歌は、花婿なるキリストと花嫁なる教会のかかわりを学ぶ最高のテキストです。

2. あなたは私たちの喜び、私たちの楽しみ

【聖書箇所】 1章4節

ベレーシート

  • 雅歌の瞑想がはじまって気づいたことは、だれが語っているのかという人称の同定の難しさです。それを見誤ると混乱するにもかかわらず、新改訳はそのことについてなにも記していません。新共同訳、フランシスコ会訳・尾山訳は、親切に、だれが歌っているのか、「花嫁」なのか「花婿」なのか、あるいは「おとめたち」なのか、それを記載していますが、必ずしもそれで括れていない部分があります。岩波訳は小見出しをつけていますが、人称については必ずしも明確にしていません。
  • したがって、瞑想の部分設定もどの範囲にすればよいか、思案投げ首状態に陥ります。いろいろな翻訳を見ると、「雅歌」という書は実に難しい書なのだということが分かります。しかしここでは「御国の福音」という鳥瞰的な視点を外さずに、「花婿と花嫁」の愛の歌だという設定のもとで読み進めていこうと思います。おそらく雅歌には神の多くの秘密が隠されているのだと思います。
  • 今回は1章4節にのみしぼって瞑想を試みたいと思います。

【新改訳改訂第3版】雅歌 1章4節
私を引き寄せてください。
私たちはあなたのあとから急いでまいります。
王は私を奥の間に連れて行かれました。
私たちはあなたによって楽しみ喜び、
あなたの愛をぶどう酒にまさってほめたたえ、
真心からあなたを愛しています。


「私」・・・・花嫁
「私たち」・・花嫁とおとめら
「あなた」・・花婿
「王」・・・・花婿


1. 婚姻における楽しみと喜び

  • 6行からなる4節の1〜2行目からして人称の難しさがあります。新改訳では「花嫁」なる私が花婿なる「あなた」に向かって「引き寄せてください」と嘆願しています(原文は命令形)。とすれば、2行目の「私たち」とはだれなのかという疑問が起こります。「私たちはあなたのあとから急いでまいります。」とあるからです。ところが、フランシスコ会訳では「わたしを、あなたの後に引き寄せてください。さあ、一緒に走りましょう。」と訳しています。つまり「一緒に」という訳語の中に、花嫁と花婿の「私たち」という人称を含ませているのです。原文の「私たちは走りましょう」という表現は、花婿が引き寄せてくれるならば、どこにでも花婿について行きますという花嫁の主体的な意志が表明されています。この4節の1行目を、聖ベルナルドは「わたしを、あなたのあとについて行かせてください。」と訳しています。
  • その花嫁の願いに答えるかたちで、3行目にあるように、花婿が花嫁を自分の部屋に連れて行ったのです。ここで「花婿」は「王」だということがはじめて明らかにされます。神のマスタープランにおいて、王なるメシアが花嫁なる教会を迎えに来ることで婚姻(結婚)が成立します。婚姻のあとで新婚の二人が、予め花婿が準備しておいた家に行き、そこで愛の喜びを交わすということはきわめて自然です。しかもこれはユダヤの婚礼のしきたりにかなっているのです。
  • 問題は4行目です。新改訳は「私たちはあなたによって楽しみ喜び(ましょう。)」と訳していますが、この「私たち」とはだれのことなのでしょうか。新共同訳はこの部分を「おとめたちの歌」としていますが、不自然です。フランシスコ会訳はカギ括弧を付けて、「わたしたちは、あなたの故に楽しみ喜びましょう」としています。「あなたの故に」と訳された部分は、「あなたと共に」(新共同訳)、「あなたのもとで」(岩波訳)、「あなたによって」(新改訳)となっています。原語の「バーフ」(בָּךְ)をどのように訳すかという問題です。結ばれた二人が新居で二人だけで過ごす中で「楽しみ喜んでいる」姿を思い浮かべると、この幸いのすべては花婿の主権性にあります。たとえ「私たち」という表現を花嫁がしたとしても、すべては花婿のおかげだという思いが強いことはうなずけます。その意味での「バーフ」(בָּךְ)です。「花婿が準備してくれた家の中で、私たちは楽しみ喜びます。」と訳すことができると思います。
  • そもそも「楽しむ」「喜ぶ」という動詞は婚礼や祝祭の際に用いられる語で、しばしばワンセットで使われます。「楽しみ」と訳された原語は「ギール」(גִּיל)、「喜ぶ」と訳された原語は「サーマハ」(שָׂמַח)です。これが1人称複数形、つまり「私たちは~」で使われると「ナーギーラー・ヴェニスメハー」(נָגִילָה וְנִשְׂמְחָה)となります。これはイスラエルのフォークダンスの歌詞になっています。⇒「ヘブル語コラム」の【歌で覚えるヘブルの学び】を参照。どこかで聞かれたことがあるかもしれません。

2. 花婿と花嫁の婚姻の喜びにおとめたちも加わる

  • 原文では、4節の4行目と5行目は1人称複数の「私たちは」となっており、最後の6行目は3人称複数の「彼女らは」となっていますが、新改訳も新共同訳もそれが明確に訳されていません。フランシスコ会訳は花嫁のことばとして、「おとめたちが、あなたを愛するのも当然です。」と訳しています。これは3節で花婿のすぐれた愛が紹介された後の、「それで、おとめらはあなたを愛しています。」と呼応します。
  • 4節の最後の行には「まっすぐなこと、実直、正直、一筋」を意味する「ヨーシェル」(יֹשֶׁר)の複数形「メーシャーリーム」(מֵישָׁרִים)が使われています。花婿と花嫁の麗しいかかわりを知ったおとめたちが、花嫁と同様に一筋に花婿を愛する(「アーハヴ」אָהַב)のは、至極当然のことだとしています。


2015.8,5


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