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あの方が私に口づけしてくださったら良いのに

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雅歌は、花婿なるキリストと花嫁なる教会のかかわりを学ぶ最高のテキストです。

1. あの方が私に口づけしてくださったら良いのに

【聖書箇所】 1章2~3節

ベレーシート

  • 2節から雅歌が始まります。登場人物は(1) 花嫁、(2) 花婿、そして(3) おとめら(あるいは、娘たち)です。2~4節の「私」とは「花嫁」のことで、「私たち」とは「花嫁」と「おとめら」のことです。だれが語っているのかという人称の特定は重要です。
  • 2~4節は序文のような部分ですが、すでにそこにおいて、花婿を慕い求める花嫁の霊性は明確に記されています。ここでは2節の前半の部分にスポットを当ててみたいと思います。

画像の説明

【新改訳改訂第3版】雅歌1章2節
あの方が私に口づけしてくださったらよいのに。
【新共同訳】
どうかあの方が、その口のくちづけをもって/わたしにくちづけしてくださるように。
【フランシスコ会訳】
あの方が、わたしに熱い口づけをしてくださいますように。
【DSB(Dialy Study Bible)訳】
「ああ、あなたがその口づけでわたしを覆って下さったら!」

  • 「口づけする」という動詞の「ナーシャク」(נָשַׁק)、文法的には未完了ですが、ここは3人称に対する命令・願望(指示形、奨励形とも言います)の意味を持っていますから、「口づけしてくださることを望む」という意味です。
  • 「口づけ」と訳された「ネシーカー」(נְשִׁיקָה)は「花婿のことば」を表わします。それが複数形であるのは、花嫁がたえず花婿のことばを直接的に受けることを望んでいるからです。複数形の「ネシーコート」(נְּשִׁיקוֹת)は、ここではその望みの熱烈さを表しています。フランシスコ会訳は「熱い口づけ」と訳し、NEB訳では「口づけでわたしを窒息させるほどに」と訳しています。「口づけ」が複数形になっているのは、熱烈な愛を表現するためのヘブル的強意語法です。
  • イスラエル建国の父にして初代首相であった ベン・グリオン氏は、「聖書を翻訳で読むのは、愛する恋人にハンカチーフの上からキスするようなもの」と言ったようですが、ここでの「口づけ」は、間に誰をも通さず、花婿との直接的なふれあいを願っているのです。
  • ところで、ここでの「口づけ」とは神のみおしえ(トーラー)、あるいは花婿をとおして語られる神のことばが啓示されることの比喩的表現です。ここが「自然的解釈」と異なる点です。そもそも「口づけ」するということは、花婿と花嫁が顔と顔を合わせてする行為です。花嫁がその熱い口づけを求めているのは、花婿の心と思いを知ろうとする熱意のためです。花嫁の唯一の希求は花婿を知ることなのです。しかし今、花嫁はぼんやりとしか見えていません。一部分しか知っていないのです(Ⅰコリント13:12)。しかしやがて花婿が来られて顔と顔を合わせる時には、すべてをはっきりと完全に見る(知る)ことができるのです。花婿に対する愛は神のことばの開示を求めることであり、それを切望することこそが花嫁の霊性です。
  • 「あの方が私に口づけしてくださったらよいのに」という花嫁は「堅い食物を必要とする成熟した人」です。乳ばかり飲んでいる幼子は、神とのより深いかかわりを意味する義の教えに通じていません。それを求めようともしないものです。とすれば、雅歌の冒頭にある花嫁の言葉の中に、神のみことばの開示を切に待ち望んでいる花嫁の姿が浮かび上がってくるのです。

2. ぶどう酒に勝る花婿の愛、かぐわしき花婿の香油

  • 2節は「あの方が私に(熱い)口づけしてくださったらよいのに。」といわば花嫁の独り言のように語られているのに対して、2節の後半で「あの方」から「あなた(の〇〇)」に、つまり3人称から2人称へと人称が急に変わっています。このような変化はヘブル語の詩文ではよく見られるようです。いわば、この変化は無意識の関係から、「わたし」と「あなた」という関係への意識的転換を意味しているのかも知れません。


(1) 「ぶどう酒」にまさる「あなたの愛」

画像の説明

  • 「あなたの愛」(「ドーデーハー」דֹּדֶיךָ)、「ドード」(דּוֹד)は、女性の側から愛する相手の男性を呼ぶ語彙。1章13節の「私の愛する方」も同様。しかも2節の「ドード」は複数形です。花婿に対する花嫁の熱烈な愛を表現するために「口づけ」と「愛」は複数形になり、三人称を二人称に変えています。このような用法は聖書にしばしば見られます。申命記32:13~18、エレミヤ2:2~3、ホセア4:6、ゼカリヤ9:13~14参照。
  • 花婿の愛は、この世の喜びや楽しみを意味する「ぶどう酒」よりもはるかに勝るものだと花嫁は告白しています。しかし同時に聖書における「ぶどう酒」も「口づけ」と同様、人の心を喜ばす神のトーラー(みおしえ)を表わす比喩です。神のトーラー(神のことば)がなぜ「ぶどう酒」にたとえられるのかと言えば、それを受ける人の心を喜びで酔わせ、生命力を与えて、まなざしも行動も新しい輝きを帯びさせるからです。その意味では、ぶどう酒は「いのちの象徴」でもあるのです。
  • 神のトーラーは決して命令や禁止事項を並べ立てたものではなく、本来は、人に対する神の啓示全体を意味するものであり、そこには神の愛があふれているのです。人となって来られたイェシュアは、神のトーラーをそのように解釈しました(マルコ12:28~33)。御国においてメシアはこの神のトーラーによって治めるのです。命令ではなく、神のトーラーが人の心の内に刻まれ、また人も朽ちない身体に変えられてそのことが実践できるようになるのです(エレミヤ31:33~34)。それゆえに、御国においては「喜び」が基調となるのです。「ぶどう酒」にたとえられる神のトーラーの源泉は愛なのです。その意味で、「ぶどう酒」にまさる「あなたの愛」という表現は理にかなっているのです。
  • 雅歌における「ぶどう酒」(「ヤーイン」יָיִן)は、以下のように、8回使われていま(1:2,4/2:4/4:10/5:1/7:10/8:2)。

    【新改訳改訂第3版】
    1:2
    あの方が私に口づけしてくださったらよいのに。
    あなたの愛はぶどう酒よりも快く、
    1:4
    私を引き寄せてください。私たちはあなたのあとから急いでまいります。
    王は私を奥の間に連れて行かれました。私たちはあなたによって楽しみ喜び、あなたの愛をぶどう酒にまさってほめたたえ、真心からあなたを愛しています。
    4:10
    私の妹、花嫁よ。あなたの愛は、なんと麗しいことよ。
    あなたの愛は、ぶどう酒よりもはるかにまさり、
    5:1
    私の妹、花嫁よ。私は、私の庭に入り、没薬と香料を集め、蜂の巣と蜂蜜を食べ、ぶどう酒と乳を飲む。
    5:16 そのことばは甘いぶどう酒
    あの方のすべてがいとしい。
    7:9
    あなたのことばは、良いぶどう酒のようだ。私の愛に対して、なめらかに流れる。眠っている者のくちびるを流れる。
    8:2
    私はあなたを導き、私を育てた私の母の家にお連れして、香料を混ぜたぶどう酒、ざくろの果汁をあなたに飲ませてあげましょう。


(2) 「あなたの名は注がれる香油のようにかぐわしい」

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  • 「香油」(「シェメン」שֶׁמֶן)も神の愛を表す語彙です。「口づけ」も複数形でしたが、ここでも複数形が用いられています。つまり、花婿はきわめてかぐわしい香油を注がれた存在なのです。「香り」によってある特定の存在を指し示すことがあります。
  • イェシュアが十字架の道を歩む直前に、イェシュアの話を悟ったベタニヤのマリヤがイェシュアの埋葬のために香油を注いだ話は有名です。わずかな量でもその香りは周囲にいる者たちに分かります。ところが、ナルドの香油の入った石膏のつぼを割ってイェシュアの頭に注いだのですから、香油の匂いは家中に漂ったはずです。しかもイェシュアの身体(頭髪、髭も含む)のみならず、衣服にもその香油の匂いが染み込んだはずです。ドロローサ(悲しみの道)の途上でも、十字架上でも、また埋葬されるときにも、そのかぐわしい香りはイェシュアとともにあったのです。マリヤのした行為は、まさにこのイェシュアこそ私たちの花婿としてかぐわしいお方であることをあかししたのです。

(3) おとめたちの愛

【新改訳改訂3】 雅歌 1章3節
あなたの香油のかおりはかぐわしく、あなたの名はそそがれる香油のよう。それで、おとめらはあなたを愛しています

【新共同訳】
あなたの香油、流れるその香油のように/あなたの名はかぐわしい。おとめたちはあなたを慕っています

  • 花婿の名はその香油のようにかぐわしく、周囲にその存在を示します。花婿が花嫁に触れてくれるだけで、花婿の良い香りは花嫁にもうつります。「私たちは、・・かぐわしいキリストのかおりなのです」(Ⅱコリント2:15)と使徒パウロが語ったように、キリストのかおりによって、「おとめらは花婿を慕い、花婿を愛する」ようになるのです。ここでの「おとめら」とは諸国の民(「ゴーイム」גּוֹיִם)を意味しています。選ばれた花嫁は花婿の愛を一身に受けていますが、その愛のかかわりのすばらしさを見て、異邦の諸国の民も花婿を慕うようになることが預言されているのです。そのことを裏づける聖書の箇所を最後に列記しておきます。

以下、すべて【新改訳改訂第3版】より引用。
(1) イザヤ書11章10節
その日、エッサイの根は、国々の民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のいこう所は栄光に輝く。

(2) イザヤ書18章7節
そのとき、万軍の【主】のために、背の高い、はだのなめらかな民、あちこちで恐れられている民、多くの川の流れる国、力の強い、踏みにじる国から、万軍の【主】の名のある所、シオンの山に、贈り物が運ばれて来る。

(3) イザヤ書19章23節
その日、エジプトからアッシリヤへの大路ができ、アッシリヤ人はエジプトに、エジプト人はアッシリヤに行き、エジプト人はアッシリヤ人とともに主に仕える。

(4) イザヤ書25章6~7節
6 万軍の【主】はこの山の上で万民のために、あぶらの多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、髄の多いあぶらみとよくこされたぶどう酒の宴会を催される。
7 この山の上で、万民の上をおおっている顔おおいと、万国の上にかぶさっているおおいを取り除き、

(5) イザヤ書60章2~3節
2 見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には【主】が輝き、その栄光があなたの上に現れる。
3 国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。

(6) イザヤ書66章18~21節
18 「わたしは、彼らのわざと、思い計りとを知っている。わたしは、すべての国々と種族とを集めに来る。彼らは来て、わたしの栄光を見る。
19 わたしは彼らの中にしるしを置き、彼らのうちののがれた者たちを諸国に遣わす。すなわち、タルシシュ、プル、弓を引く者ルデ、トバル、ヤワン、遠い島々に。これらはわたしのうわさを聞いたこともなく、わたしの栄光を見たこともない。彼らはわたしの栄光を諸国の民に告げ知らせよう。
20 彼らは、すべての国々から、あなたがたの同胞をみな、【主】への贈り物として、馬、車、かご、騾馬、らくだに乗せて、わたしの聖なる山、エルサレムに連れて来る」と【主】は仰せられる。「それはちょうど、イスラエル人がささげ物をきよい器に入れて【主】の宮に携えて来るのと同じである。
21 わたしは彼らの中からある者を選んで祭司とし、レビ人とする」と【主】は仰せられる。


2015.8.4


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