あらしの中から語られる神(1)
26. あらしの中から語られる神 (1)
【聖書箇所】38章1節~39章30節
ベレーシート
- ヨブ記の瞑想もいよいよ大詰めを迎えました。神は38章において、長い沈黙を破るようにして、突如として「あらしの中から」ヨブに直接語りかけ、問いかけます。その神の問いかけに耳を傾けたいと思います。
1. 「あらし」とは
- 聖書では「あらし」は神の顕現、あるいは尊厳と威光を表わします。しかし、その「あらしの中」で神ご自身がだれかに直接的に語りかけるというのは、ヨブに対してだけです(38:1/40:6)。「あらし」と訳された「セアーラー」(סְעָרָה)は、他に「暴風、つむじ風、竜巻」と訳されています。「竜巻」は風速60~70km級の勢いで、家も車も人も一瞬にして吹き飛ばしてしまう恐ろしい風です。その中に人が立つことは不可能です。ですから、ここでの「あらしの中からヨブに答えられた」という表現は霊的な意味だと言えます。「あらし」は人間がコツコツと築いてきたものや経験や知識を一瞬にして吹き飛ばし、破壊してしまう力を持っています。人は大自然の力に襲われたときにはじめて自分の力の弱さを自覚するものです。その証拠に、「あらしの中から」語られた主のことばで、ヨブに今までにない大きな変化が訪れます(40:3~5)。
2. ヨブに対する主の問いかけの中にある命令のことば
- 38章だけに限定するならば、以下のように、3つの命令の動詞があります。
(1)
「さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。」(3節a)●原文では「腰に」という言葉はありません。「帯を締める」という「アーザル」(אָזַר)は、本来「帯びる」ことを意味します。「腰に帯を締める」と言えばそれは戦いに出陣するため備えることを意味しますが、神の恩寵によって「力を帯びる」(強くされること)「喜びを着る」「衣をまとう」という意味でも使われます。ここでは「神の問いかけに対して自分自身を整えるように(prepare yourself, get ready)」という意味で使われています。
(2)
「わたしに示せ。」(3節b)●「示せ」と訳された原語は「知る」という意味の「ヤーダ」(יָדַע)のヒフィル(使役)態です。「ヤーダ」には「答える」という意味もあります。主が尋ねることについて「答えてみよ」と命じられています。
(3)
「あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。」(4節b)
「そのすべてを知っているなら、告げてみよ。」(18節b)●「告げる」と訳された原語は「ナーガド」(נָגַד)のヒフィル(使役)態です。「知らせる、教える」という意味もあります。4節の「告げてみよ」との神の問いかけの内容は、具体的には5節以降の事柄に対してです。神の問いかけには、ヨブが自分の尺度で問題とし、すべてを自分中心に見ていることに対する痛烈な皮肉がこめられています。
3. ヨブに対する神の問いかけ
- 神の問いかけにはパターンがあります。一つは、「・・したことがあるのか」「・・することができるか」という問いかけで、文頭に「疑問辞」の「ハ」(הֲ)が連続して使われています。海の源、深い淵の奥底まで行ったことがあるか。死の門、死の陰の門を見たことがあるか。地の広さを見極めたことがあるか。天の星々を導くことができるか。・・などです。
- また「・・するのはだれか」という問いかけでは、文頭に疑問代名詞の「ミー」(מִי)が使われています。地の基とその大きさを定めたのはだれか。海の水に境を定めたのはだれか。・・などです。いずれにしても、神の創造の業がヨブの思いを越えた神の絶大なる知恵によるものであることを想起させています。
- 38章39節~39章30節に登場する動物たちー獅子、烏、野やぎ、雌鹿、野ろば、野牛、だちょう、馬、たか、わしーは、人間にとっては親しみ難い生き物であり、時には人間に危害を与え、脅威となる動物たちです。またそれらの動物の生態は、人間中心の目線から見るならばとても不可解です。※脚注
- たとえば、39章13~18節に記されている「だちょう」の生態がそうです。だちょうは元気よく羽ばたくことはできても、不思議なことに少しも飛ぶことができません。また卵を産んでも産みっぱなしで、地上に放置し、土(砂)の上で自然の力で暖めて孵化させます。孵化する前に、人や獣が足で踏みつけて、つぶしてしまうかもしれないのです。子に対する親鳥の扱いも荒く(乱暴に扱い)、せっかく生んで育てたその労苦が無駄になってしまうことも気にしません。17節では「神がこれに知恵を忘れさせ、悟りをこれに授けなかったからだ」としていますが、走るとなると馬を見下すほど恐るべき威力を発揮するのです。これもまた神の創造の不思議さです。ちなみに、「だちょう」と訳された「レガーニーム」(רְגָנִים)はこの箇所にのみ使われていますが、同じくヨブ記の30章29節では、同じ「だちょう」と訳されてはいても、原語は「ヤアナー」(יַעֲנָה)が使われています。こちらの方が聖書では一般的なようです。「聖書動物事典」で詳しく調べなければなりません。
- すべては創造者である神につながっており、神なしにはなにひとつ存在することができないのです。そこにこそ神の創造の不思議があります。そしてこれらのことは、人間中心にものごとを見ようとする立場に対して、自分を離れて物を見ることの必要性を教えているように思われます。
※脚注 -聖書に登場する動物にも興味を持とうー
●神のひとり子イェシュアは神の特別啓示ですが、一般啓示として、神は自然界を通してもご自身を啓示しておられます。植物の世界、動物の世界、気象、天体の動向、宝石なども神のメッセージを伝える媒介となっています。
●ヨブ記には家畜(羊、牛、らくだ、雌ろば等)だけでなく、地に住む獣や猛禽類が登場します。その生態にかかわる比喩が聖書には多く使われています。それらに関心を持つことを通して神を知ることも、ヨブ記を理解する道のひとつであると信じます。
2014.7.9, 11
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