いやしのちから
石山の樹木(落葉高木篇)の目次
自然のもついやしの力
- 真っ白な雪原を見て心がいやされるのはなぜか。人はなぜ自然を求めるのか・・そんな疑問を私が感じるようになったのはごく最近のこと。「なぜ、山に行くのか」と尋ねられて、もし答えることができるとすれば、それは「山や自然の持ついやしの力」といえるかもしれない。
- その「いやしの力」とは何だろう。それは自然のもつ「いのちの豊かさ」なのかもしれない。「いのち」とは何だろう。それは単なる生物学的な意味でのいのちではなく、それは生態系としての「かかわりの神秘の力」。その「かかわりの神秘」に触れるとき、人はいやしを感じるのではないだろうか。これは自然がもたらす偉大な賜物の一つであり、そこには聖三位一体なる神の本質が啓示されていると信じるようになってから、私は森の生態系について強い関心を抱くようになった。
- 人間が存在する何十億万年も前から、考えられないほどゆっくりと自然のシステムは作られてきた。その生態系の神秘―そこに隠されているかかわりの豊かさ、いのちの豊かさ、・・といったことの中に、私は神の偉大な創造の御手を感じる。決して偶然にできたなどとは考えられないからだ。生態系の神秘ーそれはまさに「いのち」そのものである。しかし今日、このかかわりといういのちが世界的規模で崩されようとしている。
- 2006.1月下旬、自分の生まれ故郷にある御料山をスノーシューで往復する中で、私の目はほとんど木の樹皮に目がとまっていた。山歩きをはじめてから、これまで目に見える表面的な山の形とか、標高とか、往復の時間とか、コースなどに思いがいっていたが、今回初めて、これまで何度も目にしながら、見えていなかった樹木に目が向いた。
- 人とのつき合いも、まず名前を知り、自ら意識的にかかわることを通してはじめてその「人となりーつまり、その人の本当のよさ」がわかってくるように、私の自然のかかわりは、まず、樹木について知ることからはじまった。
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