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すべての目は、雲に乗って来られる方を見る

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7. すべての目は、雲に乗って来られる方を仰ぎ見る

【聖書箇所】 1章7節

【新改訳改訂第3版】
見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。

【新共同訳】
見よ、その方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る、/ことに、彼を突き刺した者どもは。地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。

【塚本訳】
視よ、彼は雲に包まれて来たり給う。そして凡ての(人の)目が、然り、彼を刺した者らが彼を見るであろう。そして地上のあらゆる種族は、彼の(審判の恐ろしさの)故に胸を打つ(て嘆き悲しみ、後悔する)であろう!然り、アーメン

【私訳】
見よ。彼は雲とともに来られる。(そのとき)すべての目は、ことに彼を突き刺した者たちは、彼を見るであろう。また、地のすべての部族は、彼のゆえに胸を打ち叩いて泣き悲しむであろう。まさにそうなのだ、アーメン。


  • この7節はキリストの地上再臨の預言です。しかもこの箇所は、旧約のダニエル書、ゼカリヤ書の預言を想起させます。

    ダニエル書7章13節【新改訳改訂第3版】
    私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。
    ゼカリヤ書12章10節【新改訳改訂第3版】
    わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く


1. 「雲に乗って来られる」という表現

  • 「雲に乗って来られる」という翻訳は慣例句のようです。黙示録1章7節の原文り直訳は「雲々と共に」です。山岸氏は「雲を伴って来られる」と訳しています。「雲に乗って」というと、どうしても孫悟空のイメージですが、「雲々と共に」、あるいは「雲を伴って」というイメージは、神の栄光に包まれてというイメージになります。かつて、旧約ではイスラエルの民が荒野を旅する時、昼は雲が、夜は火の柱が彼らを導きました。「雲」も「火の柱」も神の特別な光、つまり「シャハイナ・グローリー」です。ソロモンが神殿を奉献した時に、主の宮は栄光の雲が満ちたため、祭司たちは立ってはいられなかったのです。使徒パウロの回心の時にも、太陽よりも明るい天からの光が彼を盲目にしてしまいました。雲も光(火の柱)もすべて「神の栄光の顕現」を意味しています。人の子、すなわちキリストはその栄光の雲々に包まれて来られるというイメージが適当ではないかと思われます。
  • イエス・キリストが「雲に乗って来られる」という表現は、新約聖書では7箇所使われています。マタイ24:30、26:64/マルコ13:26、14:62/ルカ21:27/黙示録1:7、14:14(ここだけは御使い)。
  • 新約聖書では「雲」という語彙が25回使われていますが、複数で使われているのは、以下の7回です。後の18回はすべて単数形です。「雲」が複数形で使われる時には(ルカ21:27を除いて、ルカだけは「雲」をすべて単数形で使っています)、決って、キリストの再臨(空中も地上も同様に)のことに関係しています。
  • 「雲」を単数形と複数形を区別して使い分けているのは、マタイとマルコ、そして使徒パウロとヨハネです。以下は「雲」が複数形で使われている箇所です。
    ●マタイ 24:30、26:64
    ●マルコ 13:26、14:62
    ●パウロ Ⅰテサロニケ 4:17
    ●ヨハネ 黙示録 1:7
  • ちなみに、キリストの空中再臨と教会携挙の後に、七年間の患難時代が来ます。その患難時代の終わりにキリスト(花婿)は、多くの聖徒たち(花嫁)を引き連れて、栄光の雲をまとって、神に逆らうすべての者をさばくために、オリーブ山に降り立ちます。そして、反キリストによってメギドの山に(ハルマゲドン)に集結した軍隊を滅ぼされます。そのあとに旧約で預言されて来た御国(神の国)である「千年王国」が到来します。

2. 「彼を突き刺した者たち」とは

  • 「彼を突き刺した」とは、明らかに、十字架のイエスをわき腹を槍で突き刺したことを意味します。そのことはヨハネの福音書19:34で記されています。「わき腹を槍で突き刺す」という表現はヨハネの福音書にあるだけです。したがって、ヨハネの福音書とヨハネの黙示録とは、全く符合しており、著者が同一人物であるというと説の有力な支えとなっています。

3.「地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く」とは

  • イエスは、マタイの24章の終末の説教の中で、「そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。」と言われました(黙示録1章7節と完全に符合しています)。これはゼカリヤ書12章12節の自由な引用です。「地上の諸族(諸民族)」とは、神に逆らう者たちのことです。つまり、キリストの地上再臨の目的の一つは、神に逆らう者たちをさばくために来られるということです。
  • 彼のゆえに「嘆く」(あるいは「胸を打ち叩いて泣き悲しむ」)のは、人々が自分の犯した罪を悔いて嘆くことではなく、彼らが犯した罪に対する神の報復の恐ろしさを知ったからです。以下のみことばはそのことを指し示しています。

    【新改訳改訂第3版】
    (1) Ⅱテサロニケ1章8~9節

    1:8 そのとき(「主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現れるとき」)主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。
    1:9 そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。

    (2) ユダ 14~15節

    14 ・・アダムから七代目のエノクも、彼らについて預言してこう言っています。「見よ。主は千万の聖徒を引き連れて来られる。15 すべての者にさばきを行い、不敬虔な者たちの、神を恐れずに犯した行為のいっさいと、また神を恐れない罪人どもが主に言い逆らった無礼のいっさいとについて、彼らを罪に定めるためである。」


2013.11.14


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