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詩篇42篇 その他


  • この詩篇の作者は、自分を「鹿」にたとえています。ただ、ここでの「鹿」と訳された原語は、「雄鹿」の「アイル」(אַיִל)が使われていますが、動詞の「慕う(慕いあえぐ)」と「わがたましい」が女性形であるため、雌鹿を表わす「アッヤーラー」(אַיָלָה)の最後の文字「へー」(ה)が抜け落ちてしまったのではないかとする解釈もあります。その解釈は、有りかもしれません。というのは、聖書の「雌鹿」には特別な象徴的意味があるからです。
  • たとえば、詩篇22篇の表題に「暁の雌鹿の調べに合わせて」とあります。「暁の雌鹿」の調べに合わせて歌われる「わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか。」で始まる詩篇22篇はメシア詩篇です。つまり、イェシュアの十字架の姿を想起させます。冒頭の叫びは、「美しい子鹿」を産むための、雌鹿の苦しみの叫びです。
  • ハバクク書3章19節にも「私の主、神は・・私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませてくださる。」とあります。なぜ「雄鹿」ではなく、「雌鹿」なのかと言えば、神の民イスラエルは女性形で表わされるからです。つまり、「主は私の力」という告白の中の「力」を、「雌鹿」の比喩で表わしているのです。
  • 「雌鹿」は「力強さ」と「愛らしさ」の両方を合わせもった象徴です。また、「愛する方を慕う」という希求の強さを表わす象徴でもあるようです。この詩篇の作者が、自分を「鹿」にたとえているのには深い意味があるのです。

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