****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

ただ、あなたがわたしのしもべとなって

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45. ただ、あなたがわたしのしもべとなって

【聖書箇所】 イザヤ書49章6節

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【読み】

【文法】
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【翻訳】

【新改訳改訂3】
主は仰せられる。「ただ、あなたがわたしのしもべとなって、ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルのとどめられている者たちを帰らせるだけではない。わたしはあなたを諸国の民の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。」
【口語訳】
主は言われる、「あなたがわがしもべとなって、ヤコブのもろもろの部族をおこし、イスラエルのうちの残った者を帰らせることは、いとも軽い事である。わたしはあなたを、もろもろの国びとの光となして、わが救を地の果にまでいたらせよう」と。
【新共同訳】
こう言われる。わたしはあなたを僕として/ヤコブの諸部族を立ち上がらせ/イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。だがそれにもまして/わたしはあなたを国々の光とし/わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。
【NKJV】
Indeed He says, 'It is too small a thing that You should be My Servant To raise up the tribes of Jacob, And to restore the preserved ones of Israel; I will also give You as a light to the Gentiles, That You should be My salvation to the ends of the earth.' "


このフレーズの翻訳で最も難しい箇所は「軽い」という意味を持つ「カル」קַלをどう理解するかということです(原文は「ナーケール」נָקֵל)。新改訳「だけではない」、口語訳「いとも軽い事」、新共同訳「だが、それにもまして」、バルバロ訳「あまりにもささいなこと」、関根訳「ささいなこと」と訳しています。

いったい何が「軽い」ことなのか。イスラエルの回復は決して軽いことではなく、むしろ神のみこころの、ご計画の心臓部です。イスラエルの回復と異邦人の救いは密接なかかわりがあります。一方だけが成就することは決してありません。内容的には、「イスラエルの回復」と「異邦人の救い」は重要度の比較ではなく、相補的関係において共になることの重さが重要視されているのです。したがって、新改訳の「だけではない」が一番ふさわしい訳のように思います。

【瞑想】

イザヤ書49章1~6節にある第二の「しもべの歌」の内容は、しもべの使命についてのものです。その使命とは以下の二つの事柄です。

(1) イスラエルの残りの者を連れ帰らせること 〔イスラエルの回復
(2) 諸国の⺠の光として、地の果てにまで神の救いをもたらすこと 〔異邦⼈の救い

この二つの事柄が神のみこころの中心であり、それを実現するしもべこそメシア、イエスなのです。神のみこころという場合、神のみこころには不可抗力的なみこころと、神が人に望んでおられるみこころがあります。この二つのみこころは森と木にたとえることができます。「森」は不可抗力的なみこころのたとえです。そのみこころは神の主権において成就するものであり、人がどんなにそれに逆らったとしても、あるいは、それが人の目にはどんな不可能のように見えたとしても、必ず、時が来れば、成就するみこころです。後者の「木」にたたとえられるものは、神が人に期待し、望んでおられるもので、たとえば、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって神が望んでおられることです」とある類のもので、みながみなそのようになるとは言えません。

全イスラエルの回復(ユダと失われた10部族を含んだイスラエル)は、人の目には容易に想像し得ないことです。しかし、それは神が主権をもって実現されるのです。神の究極的なご計画は天にあるもの、地にあるもののすべてが、キリストにあって一つになることです。またユダヤ人と異邦人が共同相続人となることです。一方だけが相続するのではありません。共同で相続するとすれば、それぞれに対して関心を持つ必要があります。これがこれからの教会に求められていることだと信じます。

イエスの弟⼦たちは、メシアであるイエスからイスラエルの回復について当然のごとく教えられていたはずです。ですから、使徒の働き1章で弟⼦たちはイエスに次のように尋ねています。

使徒の働き1章6〜8節(新改訳改訂第3版)
6「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」 7 イエスは⾔われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、⽗が ご⾃分の権威をもってお定めになっています。 8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは⼒を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリ ヤの全⼟、および地の果てにまで、わたしの証⼈となります。」

イエスは弟⼦たちの質問に対して、メシアとしての当然の働きである「イスラエルの回復」の時期については、御⽗の特権事項であり、時が来れば必ず実現するという前提で語っています。そしてメシアのもう⼀つの働きである「異邦⼈伝道」について語られました。これまでキリスト教会は第⼆の働きを推進してきました。しかし、メシアの第⼀の使命である「イスラエルの回復」については無関⼼であり、⻑い間、置換神学によって、その働きに覆いをかけてしまいました。⼀⽅、ユダヤ⼈はメシアの第⼆の使命である「諸国の⺠の光として、神の救いを告げ知らせる」ことを理解できませんでした。使徒ペテロは3千⼈ほどのユダヤ⼈を救いに導きながらも、異邦⼈に対する神の救いを理解することができませんでした。ですから神は、ペテロにそのことを悟らせるために特別な導きを与えなければなりませんでした(使徒10〜11章)。

しかし、メシアの⼆つの使命を奥義として正しく理解した者がおりました。それが使徒パウロです。使徒パウロはローマ⼈への⼿紙11章25節でこう述べています。
「兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが⾃分で⾃分を賢いと 思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル⼈の⼀部がかたくなになったのは異邦⼈の完成のなる時までであり、 こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。・・・」


2013.3.31


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