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なぜ、マリアとヨセフが選ばれたのか


2. なぜ、マリアとヨセフが選ばれたのか

ベレーシート

●今回のセレブレイト・スッコートでの子どもたちの質問の中に、「なぜ、御使いガブリエルがマリアのところへ⾏ったのか」という質問がありました。しかし、「なぜ、神はマリアという名の処女を選ばれたのか」という質問はありませんでした。これは、今回、私が疑問に思った最大のテーマです。換言すれば、「なぜ、イェシュアの母がマリアでなければならなかったのか」という必然性です。

●当時、「マリア」という名前は珍しい名前ではありませんでした。事実、イェシュアに従った女性たちの中に、イェシュアの母以外でマリアという名の女性は多くいました。少なくとも、マグダラのマリア、クロパの妻マリア、ベタニアのマリアがそうです。つまり、マリアという名前はよくある名前だったのです。ですから、名前が「マリア」(へブル名では「ミリヤーム」)ということで選ばれたのではないと言えます。ではなぜ選ばれたのでしょうか。

●答えは、以下の記述の中にあります。集まった人たちで話し合ってみましょう。

【新改訳2017】ルカの福音書1章26~33節
26 さて、その六か月目に、御使いガブリエルが神から遣わされて、ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。
27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアといった。
28 御使いは入って来ると、マリアに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
29 しかし、マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
30 すると、御使いは彼女に言った。「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。
31 見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。
32 その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」


1. ナザレに住んでいたマリアとヨセフ

【答え】は、マリアが「ナザレ」という町に住んでいたからなのです。

●おそらくこの答えは多くの人にとって意外だと思います。しかし、そうではないのです。この答えが成り立つには、必要不可欠なもう一つの条件があります。それは、彼女の許嫁であったヨセフもナザレに住んでいなければなりませんでした。このことを証明するために、ヨセフについて扱っているマタイの福音書を見てみたいと思います。

】新改訳2017【マタイの福音書1章18~25節
18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。
19 夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。
20 彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。
21 マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
22 このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。
23 「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。
24 ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、
25 子を産むまでは彼女を知ることはなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。

●ここには、ヨセフがナザレに住んでいたという情報は何一つ記されていません。ルカの福音書2章4~5節で、住民登録のために「ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った」とありますから、ヨセフもナザレに住んでいたことが分かります。マタイの福音書で重要なのは、主の使いが夢の中でヨセフに語りかけていることです。主の使いがヨセフに語りかけている箇所が他に、2章に3度出てきます。それらを見てみましょう。

(1) 2章13~15節

13 彼らが帰って行くと、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」
14 そこでヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに逃れ、
15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と語られたことが成就するためであった。

(2) 2章19~21節

19 ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが夢で、エジプトにいるヨセフに現れて言った。
20 「立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちを狙っていた者たちは死にました。」
21 そこで、ヨセフは立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に入った。

(3) 2章22~23節

22 しかし、アルケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行くのを恐れた。さらに、夢で警告を受けたので、ガリラヤ地方に退いた。
23 そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られたことが成就するためであった。

●以上のように、ヨセフに対し主の使いが夢を通して現われたのは、彼が行くべき地を示すためでした。ベツレヘムからエジプトへ。エジプトからイスラエルの地へ。イスラエルの地(ユダヤ)からガリラヤ地方へ、そしてナザレという町です。そこは彼がかつて住んでいた場所です。ヨセフとマリアが幼子イェシュアを連れて、ナザレという町に行って住んだことで、かつて預言者たちを通して「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られたことが成就するためであったということが成り立つのです。マタイの特徴の一つのとして、「これは預言者たちを通して語られたことが成就する」というフレーズはとても重要です。それは神が計画されたことが実現したというメッセージだからです。

●マタイ2章22節で「夢で警告を受けたので、ガリラヤ地方に退いた」とあります。「警告を受けた」と訳されたギリシア語の「クレーマティゾー」(χρηματίζω)は、「み告げを受ける」という意味です。エジプトからイスラエルの地に行ったヨセフの家族は、「アルケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行くのを恐れた」とあります。「そこ」とはイスラエルの地のどこなのかは具体的には記されていませんが、自分のルーツである「ベツレヘム」とも考えられますし、他の地であるとも考えられます。しかし、いずれにしてもイスラエルの地に行くのを恐れたのです。新改訳2017の「警告を受けた」という訳は、ヨセフが恐れのゆえに神の導きからそれてしまうことを匂わせています。主の使いは彼らをガリラヤ地方のナザレに導こうとされたのでした。そのことで、これは預言者たちを通して「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られたことが成就するためであったということが実現するからです。実は、このことが重要なのです。イェシュアの両親がもともと居た地ナザレに住み、そしてイェシュアの公生涯が始まるまでの30年間、そこに住んで育つということが、神の計画であったのです。ヨセフに対する一連の主の導きは、2章23節を指し示すものとなっています。ここでヨセフの記述がマタイの福音書の場合途切れているのも、そうした理由からです。

●ただ22節に「これは預言者たちを通して「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られたことが成就するためであった」とありますが、「彼はナザレ人と呼ばれる」というフレーズは旧約聖書のどこを探しても出てきません。唯一の手掛かりとなるのは、イザヤ書11章1節の預言なのです。

2. イザヤ書11章1節の預言に隠された「ナザレ」

【新改訳2017】イザヤ書11章1 節
エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。

●「エッサイの根から若枝(=「ネーツェル」נֵצֶר)が出て実を結ぶ」とあることから、その預言が成就したとする解釈です。「若枝」はメシアの称号です。この解釈に対して、ある人たちはその「ネーツェル」と「ナザレ」の関連づけがヘブル語の言葉遊び程度にしか見えないとしています。とすれば、逆に、イザヤ書 11 章 1 節の預言がどのように成就するのかが曖昧となります。預言は成就しなければ、預言とは言えません。おそらく「ナザレ人のイェシュア」を、マタイはヘブル語の「若枝」と同義であることを聖霊によって啓示されたとしか言いようがありません。「ナジル派」でもなく「軽蔑用語」でもなく、イザヤがメシアをエッサイの「若枝」であると預言したとするならば、出生の地がベツレヘムであったとしても、イェシュアはナザレの地で育った若枝として起こって来なければならなかったのです。ここにナザレの秘密があります。しかも、イェシュアのナザレでの 30 年間は、やがて神のご計画を実現させる公生涯のための周到な準備期間であったのです。

●イザヤ書 11 章 1 節の「エッサイの根株から新芽が生え」と「その根から若枝が出て実を結ぶ。」は同義的パラレリズムとなっています。「エッサイの根株」とはエッサイから出る子孫(単数)を意味します。この預言はエッサイの息子であるダビデのことを指しているのではありません。なぜなら、このイザヤの預言はダビデの時代よりもずっと後だからです。「エッサイ」は「ベツレヘム」の人であり、ボアズとルツの子孫です。エッサイの系列をここでは「若枝」(「ネーツェル」נֵצֶר)と言い、後の「ナザレ」を意味していたと考えられます。したがって「ナザレ人イェシュア」は「ダビデの若枝」と言えるのです。

●「ネーツェル」の語源である動詞「ナーツァル」(נָצַר)には、「見張る、見守る、保つ、包囲する」という意味があります。イザヤ書 27 章 3 節には「わたし、主は、それ(麗しいぶどう畑)を見守る者(「ノーツラーハ」נֹצְרָהּ)。絶えず、これに水を注ぎ、だれも、害を加えないように、夜も昼もこれを見守る(נָצַר)。詩篇 31 篇 23 節には「主を愛すよ。すべて主にある敬虔な者たち。【主】は誠実な者を保たれる(נֹצְרָהּ)が、高ぶる者には、厳しく報いをされる。」とあります。

●そうした意味の他に「秘める」という意味があります。動詞「ナーツァル」(נָצַר)を分詞で名詞化すると「秘め事」となり、イザヤ書 48 章 6 節で使われています。

【新改訳2017】イザヤ書 48 章 6 節
あなたは聞いた。さあ、これらすべてを見よ。あなたがたは告げ知らせないのか。 わたしは今から、新しい事、あなたの知らない秘め事をあなたに聞かせよう。

●秘め事=隠されている事柄で、前もって予見できないこと、とどめられていることを意味します。

●「新芽」の「ホーテル」(חֹטֶר)は、同義的パラレリズムによって「若枝」の「ネーツェル」(נֵצֶר)と同義です。いずれも単数名詞です。これらの語彙の背景として、ユダ王国は一旦滅びますが、アッシリアに預言されているような滅びではなく、根が残されており、そこからメシアの象徴である「新芽」、あるいは「若枝」が生え出て来ることを預言しているのです。

3. 初代教会の使徒たちは「ナザレ人イェシュア」によって宣教した

(1) 蔑視されていた「ナザレ」

【新改訳2017】ヨハネの福音書 1章46節
ナタナエルは彼に⾔った。「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」

【新改訳2017】使徒の働き 24章5節
実は、この男はまるで疫病のような⼈間で、世界中のユダヤ⼈の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ⼈の⼀派の⾸謀者であります。

●ナタナエルが語った言葉の中に、また回心前のサウロ(後のパウロ)の言葉の中に、当時の⼈々が「ナザレ」に対して持っていたイメージが代表されています。それは田舎者という蔑視の感覚です。ローマ総督がイェシュアの十字架の罪状書きに「ユダヤ⼈の王、ナザレ⼈イエス」と書いたのも同じことでした(ヨハネ19:19)。しかし、イェシュアの復活と昇天後のペンテコステ以降には、イェシュアの弟子たちは、「ナザレ人」をメシアの称号として大胆に使い、語っています。

(2) メシアの称号としての「ナザレ人」

【新改訳2017】使徒の働き2章22節
イスラエルの皆さん、これらのことばを聞いてください。神はナザレ⼈イエスによって、あなたがたの間で⼒あるわざと不思議としるしを⾏い、それによって、あなたがたにこの⽅を証しされました。それは、あなたがた⾃⾝がご承知のことです。

【新改訳2017】使徒の働き4章10節
皆さんも、またイスラエルのすべての⺠も、知っていただきたい。この⼈が治ってあなたがたの前に⽴っているのは、あなたがたが⼗字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ⼈イエス・キリストの名によることです


2019.10.19


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