はずかしめ、見せものとされた遊女ニネベ
聖書を横に読むの目次
5. はずかしめられ、見せものとされた遊女ニネベ
アッシリヤが支配した三日月地帯と呼ばれる地域
ベレーシート
- ナホム書3章を2回に分けて瞑想します。第一回目は1~7節、第二回目は8~19節とします。ナホム書のメッセージは神に敵対する勢力であったアッシリアの首都ニネベが、バビロン・メディヤ連合軍によって完全に「荒らされる」(=滅びる)という宣告と幻です。それは二ネベが歴史の中から完全に消え失せるということです。これはすべて終末に起こる「型」です。つまり、ニネベの陥落は獣と呼ばれる反キリストの滅びを示す型となっているのです。しかも、神の民にかかわった諸国、すなわち、エジプト、アッシリア、バビロン、ペルシア、ギリシア、ローマの滅亡はすべて神が立ち向かわれた結果です。そしてこのことは、神の歴史支配における主権を啓示しているのです。このことを私たちが見失う時、正しい歴史認識はできなくなります。聖書理解も的を外した解釈となってしまうのです。
1. バビロン連合国によるニネベ陥落の悲惨な姿
ニネベを攻撃する連合軍
【新改訳】2章3~4節
3 その勇士の盾は赤く、兵士は緋色の服をまとい、戦車は整えられて鉄の火のようだ。槍は揺れ、
4 戦車は通りを狂い走り、広場を駆け巡る。その有様はたいまつのようで、いなずまのように走り回る。
連合軍に攻撃されるニネベ
【新改訳】3章1~3節
1 ああ。流血の町。虚偽に満ち、略奪を事とし、強奪をやめない。
2 むちの音。車輪の響き。駆ける馬。飛び走る戦車。
3 突進する騎兵。剣のきらめき。槍のひらめき。おびただしい戦死者。山なすしかばね。数えきれない死体。死体に人はつまずく。
- 「ああ」と訳された間投詞「ホーイ」(הוֹי)は、「幸いなるかな」を意味する「アシュレー」(אַשְׁרֵא)の反意語です。「ホーイ」は「わざわいなるかな」「災いだ(禍いだ)」「ああ災いだ」「災いあれ」とも訳されます。バビロンの連合軍によって多くの者がその餌食となります。おびただしい死傷者、重なり合う屍、死体は数限りなく、人が歩くのにそれにつまずくほどです。その悲惨な災いをもたらした理由が4節に記されています。その理由とは、すぐれて麗しい遊女(=ニネベ、あるいはアッシリア)の淫行によるものだとナホムは語っています。これはどういうことでしょうか。
【新改訳2017】ナホム書3章4節
これは、遊女の淫行の数々に、呪術を行う女の麗しさによるものだ。彼女はその淫行によって国々を、その呪術によって諸部族を売り渡した。
【新改訳改訂第3版】ナホム書3章4節
これは、すぐれて麗しい遊女、呪術を行う女の多くの淫行によるものだ。彼女はその淫行によって国々を、その魅力によって諸部族を売った。
- 4節は解釈のむずかしい所です。ニネベの町が「すぐれて麗しい遊女」にたとえられ、そのたとえが「呪術を行う女」と言い換えられて、その彼女が行なった多くの淫行が滅びの原因(理由)となったことが語られています。その淫行とは、具体的には「国々を売った」「諸部族を売った」ことにあるということです。
- 「売った」と訳されたヘブル語「マ―ハル」(מָכַר)は、その分詞形に冠詞がついた語彙(この箇所だけに使われています)で、諸国民や諸民族を「売り渡したこと」「陥れたこと」「惑わしたこと」「呪縛したこと」を意味します。つまり、アッシリアの世界支配は単に暴力的な流血で得たものではなく、政治的な策略、狡猾な取り引きによって諸民族を自分の側に付けるようにしたのです。それは同時に諸民族をだまして欺くことでした。それが遊女としての振舞いにたとえられているのです。
2. だれにも慰められ、悔やまれることのないニネベ
- 2章13節に登場した「見よ。わたしはあなたに立ち向かう」という同じフレーズが、再び、3章5節にも登場します。ここから、遊女ニネベが醜悪な姿になることが語られています。
【新改訳2017】ナホム書3章5~7節
5 「見よ、わたしはおまえを敵とする。──万軍の【主】のことば──わたしはおまえの裾を顔の上にまでまくり上げ、諸国の民におまえの裸を見せる。諸国の王におまえの恥を。
6 おまえの上に忌まわしいものを投げかけ、おまえを愚弄し、おまえを見せ物にする。
7 おまえを見る者はみな、おまえから逃げて言う。『ニネベは荒れ果てた。だれが彼女のために嘆くのか。』わたしはどこからおまえを慰める者を探して来られようか。【新改訳改訂第3版】ナホム書3章5~7節
5 見よ。わたしはあなたに立ち向かう。──万軍の【主】の御告げ──わたしはあなたのすそを顔の上までまくり上げ、あなたの裸を諸国の民に見せ、あなたの恥を諸王国に見せる。
6 わたしはあなたに汚物をかけ、あなたをはずかしめ、あなたを見せものとする。
7 あなたを見る者はみな、あなたから逃げて言う。「ニネベは滅びた」と。だれが彼女を慰めよう。あなたのために悔やむ者を、どこにわたしは捜そうか。
- すそをまくり上げられて、裸をさらし、恥を露呈させられるという比喩は、神のさばきを表わす表現です。これはニネベのみならず、バビロンに対しても、またユダに対しても語られています(イザヤ47:2~3、エレミヤ13:22, 26参照)。「恥を見る」とは、神にさばかれて醜悪な様相を顕わにさせられることを意味するのです。
- 詩篇の中には「恥を見る」「恥を見ない」という表現がよく見られます。
【新改訳改訂第3版】詩篇25篇3節
まことに、あなたを待ち望む者はだれも恥を見ません。
ゆえもなく裏切る者は恥を見ます。
【新改訳改訂第3版】詩篇 40篇14 節
私のいのちを求め、滅ぼそうとする者どもが、みな恥を見、はずかしめを受けますように。私のわざわいを喜ぶ者どもが退き、卑しめられますように。
【新改訳改訂第3版】詩篇97篇7a節
偶像に仕える者、むなしいものを誇りとする者は、みな恥を見よう。
- 特に、神の歴史において、反ユダヤ主義者たちは必ず「恥を見る」運命にあります。終わりの時代に登場する反キリストの運命をいつも念頭に置かなければなりません。20世紀に起こったナチス・ドイツのヒットラーによるユダヤ人撲滅は成功しませんでした。むしろ、このことを通してイスラエルが再建されたのです。これは反ユダヤ主義に対する神のさばきです。私たちは歴史における神の慰めを学ばなければなりません。ナホム書は「慰めの書」です。その「慰め」は、いつの時代でも必ず神に敵対する者のさばきを伴うものなのです。
2015.6.9
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