****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

へブル人特有の時間感覚、時間のリズムがあることを知っておくこと

56. ヘブル人特有の時間感覚、時間のリズムがあることを知っておくこと

  • 詩篇を瞑想する上でヘブル人特有の時間感覚、時間概念、時間リズムについて知っておくことは大切だと信じます。普通私たちが一日の始まりと考えるのは朝です。しかし、旧約聖書のへブル人的感覚では、夕方こそ、一日の始まりなのです。これは、天地万物が創造される前、まず初めにあったのは、やみで、神が「光よ。あれ。」と仰せられると、朝が訪れたということに基づいています。創世記1章から2章3節は、詩的に記述されています。「こうして夕方あり、朝があった。第何日。」ということばが繰り返し使われています。このリズムはヘブル人にとって、彼らの生活だけでなく、物事の見方、捉え方にも大きな影響を与えていることは言うまでもないことです。
  • ある人はこの「夕から朝へ」のリズムを「恵みのリズム」だと述べています。というのは、夕方から夜にかけて人は眠りにつきます。それは働きを止めて休むときです。そして新しい朝を迎えて私たちが目を覚ます時、すべてが整えられ、神のご計画が進んでいることに気づくのです。神は、人間が何もしない間に、すべてのことを備え、またご自身の計画を進めておられるのです。詩127篇にはこうあります。「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。・・・・あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主は愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる」と。また、詩30篇5節には「まことに・・、夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある」とあかししています。
  • 夜から朝へ、これは「涙から喜びへ」「嘆きから踊りへ」という<恵みのリズム>です。しかしこの<恵みのリズム>と逆転したリズム、つまり「朝があり、夕があった」とするリズムは<律法のリズム>と言えます。それは、「まずおまえが必死になって働かなければ、何事も始まらない。おまえが何とかしなければ、すべての問題は解決されないままだ。すべてはおまえの努力にかかっている。休んでいる暇などないのだ。」とする重苦しい響きを持ったリズムです。ますます気持ちが暗くなり、絶望的になるだけです。多くの人が、自分の力ですべての問題を解決しようと必死になるあまり、「朝があり、夕があった」というリズムの中で、神様の豊かな恵みを覚えることのできない悪循環の中に落ち込んでしまっています。そしてその結果、抱えきれない重荷と疲れを抱えて心と体の不調を覚えることになっているのです。
  • 聖書の神は、希望を与える神です。神はバビロンに捕囚となっているご自分の民に対して、預言者エレミヤを通して、次のような励ましを与えました。「わたしがあなたがたのために立てている計画・・・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」と(エレミヤ29章11節) 

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