****** 詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。******

まことに、あなたは・・(2)

文字サイズ:

97. まことに、あなたは・・(2)

【聖書箇所】 詩篇86篇10節

画像の説明

【読み】
キー ガードール アッター ヴェオーセー ニフラーオート  アッター エローヒーム レヴァデ―ハー

【文法】
画像の説明

【翻訳】

【新改訳改訂3】
まことに、あなたは大いなる方、奇しいわざを行われる方です。あなただけが神です。
【口語訳】
あなたは大いなる神で、くすしきみわざをなされます。ただあなたのみ、神でいらせられます。
【新共同訳】
あなたは偉大な神/驚くべき御業を成し遂げられる方/ただあなたひとり、神。
【岩波訳】
まことに、あなたは大きく、不思議な業を行なう方、あなただけが、神。
【NKJV】
For You are great, and do wondrous things; You alone are God.
【NIV】
For you are great and do marvelous deeds; / you alone are God.

【瞑想】

動詞の「パーラー」(פָּלָא)が聖書で最初に登場するのは、創世記18:14です。そこには主がアブラハムに「主に不可能なこと(פָּלָא)があろうか。」と記されています。これは「ほんとうに子どもが産めるのだろか」と笑うサラのことでアブラハムに語られた主の言葉です。一方の名詞の「ペレ―」が聖書で最初に登場するのは、出エジプト記15:11のモーセの歌です。そこでは「主よ。・・だれがあなたのように、・・奇しいわざを行なうことができましょうか」と言って出エジプトの過越の出来事、紅海渡渉の出来事を述べています。これらはいずれも神がなされた出来事を指しています。これは神の民が常に思い起こすべきこととして、あるいはそれを余すことなく語り告げるべきこととして、詩篇の中に記されています。神の「不思議さ」は圧倒的に神の「奇しい行為(みわざ)」について語られています。

「奇しいわざ」(the wonders, marvelous things. wonderful works)とは、私たちの目には不思議な驚くべきことであり、神にしかできない奇蹟です。神の民であるイスラエルは、その歴史において主の奇しいみわざを何度も経験してきました。出エジプトの出来事、40年間の荒野の生活、約束の地への侵入、バビロン捕囚からの解放など、まさに主の「奇しいわざ」そのものでした。主の「奇しいわざ」は、全歴史、全地の次元においてなされる場合もあれば、主にあるひとり一人の人生においても現わされます。全歴史、全地の次元においてなされる主の「奇しいわざ」は、しばしば自然界の現象において現わされました。しかし、神の「奇しいわざ」の頂点は、イエス・キリストの事実(イエスがなさったこと、語ったことのすべて)です。

ところで、神の行為と教えは表裏一体です。聖書には、神の「教え(トーラー)」についても、同様の「不思議さ」が述べられています。この事実は決して見逃してはならないと思います。しかし、神の民が神の教えの「不思議さ」に目が開かれたのはバビロン捕囚以降のことです。捕囚という「辱しめ」の経験を通して、神の民は神の教え(トーラー)の中にある「奇しい」ことに目が開かれ、それに目を留めるようになったのです。その教えとはモーセ五書のことであり、とりわけ申命記はその総括的位置にあります。申命記の中に記されている教えを守ることは、人間的な目には愚かなことのように見えるはずです。なぜならそれは常識を超えた教えだからです。ですから「奇しいこと」なのです。その教えのすばらしさが分かるためには霊の目(信仰の目)が開かれることが必要です。ですから、詩篇119篇の作者は「私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。」(18節)と祈っています。そして目が開かれた結果、「あなたのさとしは奇しく、それゆえ、私のたましいはそれを守ります」(129節)と告白し、それに従うことを表明しているのです。

神の行為と教えにおける「不思議さ」にもっと霊の目が開かれる者となりたいものです。


2013.5.24


a:1561 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional