****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

わきまえる知恵(セルフ・コントロール)

文字サイズ:

箴言は「父から子への知恵」、主にある家庭教育の根幹を学ぶ最高のテキストです。

36. わきまえる知恵(セルフ・コントロール)

【聖書箇所】25章16, 27, 28節

ベレーシート

  • 箴言25章2節の「事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王の誉れ。」の瞑想は、「ヘブル語デイリー・ブレッド」に記載しています。そちらをご覧ください。
  • この章では、「王」について記されていますが、「王」は国にとってのリーダーです。しかし家庭のリーダーは「父親」です。「王」に当てはまることは、そのままそっくり「父親」にも当てはまると言えます。たとえば、25章の最後の節にはこうあります。

【新改訳改訂第3版】箴言 25章28節
自分の心を制することができない人は、
城壁のない、打ちこわされた町のようだ。


●「制すること」「抑えること」「抑制すること」のできない人が、城壁のない、まさに打ち壊された廃墟の町としてたとえられています。この「抑制すること」(名詞)という語彙(「マツァール」מָעְצָר)は聖書の中でこの箇所にしか使われていません。つまり、この章では「自己抑制(自己制御)」(セルフ・コントロール」について取り上げられているように思います。

●名詞「マツァール」(מָעְצָר)の動詞は「アーツァル」(עָצַר)で、「引き止める、保つ、支配する」という意味です。しかし、Ⅱ列王記4章24節では「制する、手綱を引く」という意味で使われています。「手綱を引く」とは、「制御すること、コントロールすること」です。指導者の重要な資質にはいろいろな面がありますが、その一つがまさにこの自己制御(セルフ・コントロール)なのです。

  • 25章全体から「制御」について語っている箇所を取り上げてみたいと思います。それは様々な分野、状況において「わきまえ知る」ことなのです。

1. 物事の限度をわきまえ知ること

  • このことに関して、16節と27節を取り上げます。

    【新改訳改訂第3版】箴言25章16節、27節
    16 蜜を見つけたら、十分、食べよ。
    しかし、食べすぎて吐き出すことがないように。

    27 あまり多くの蜜を食べるのはよくない。
    しかし、りっぱなことばは尊重しなければならない。


    ●24章でも「蜜」のことを取り上げました。「蜜」と「蜂蜜」は同じく「デヴァッシュ」(דְּּבַשׁ)という言葉です。

  • 24章13節では「わが子よ。蜜を食べよ。それはおいしい。蜂の巣の蜜はあなたの口に甘い。」とあり、その「蜜」は、「知恵」の比喩として語られていました。しかし、25章16節では、蜂蜜がどんなに良いものであったとしても、適度に食べることを教えています。さもないと「食べすぎて吐き出すこと」になってしまいます。
  • いつも美味しいものを食べているとそれに慣れ、美味の感覚が麻痺してしまい、何を食べても美味しく感じられなくなります。何事も、度を過ぎては良くないことを教えています。
    「過ぎたるはなお及ばざるが如し」
    「薬も過ぎれば毒となる」
    という諺も、同じことを教えています。
  • 27節の新改訳の訳はつながりが見えない訳です。原文の直訳「彼らの名誉の追求は、栄誉だ」というのも分かりにくいです。新共同訳はここを「名誉を追い求めれば名誉は失われる」と訳しています。フランシスコ会訳は、良くない事柄として最初に「蜜の食べ過ぎ」を挙げ、その後に「お世辞に乗せられること」を挙げています。いずれも、物事の限度を越えると良くないというニュアンスで語られています。

2. 相手の心をわきまえ知ること

  • 物事の限度をわきまえ知ることと同時に、どんな親しい間柄であっても、相手の心をよめず、場の空気を読めないことは大切な関係を壊してしまうことになりかねません。

【新改訳改訂第3版】箴言25章17節
隣人の家に、足しげく通うな。
彼があなたに飽きて、あなたを憎むことがないようにせよ。

【新共同訳】箴言25章17節
友人の家に足を運ぶのはまれにせよ/
飽きられ、嫌われることのないように。


●「憎む」とは、「嫌う」ことと同義です。

  • 引っ越ししてきた若奥様が、近所の方に挨拶をしようと訪問したとき、訪問先の方から「ぜひ遊びに来てください」と言われました。彼女はそのことばを挨拶用語だと知らずに、文字通り真に受けて尋ねて行ったら嫌な顔をされたという話があります。新しい地での人の心、しきたりの空気を読めないと関係は築けません。

3. 自分の立場をわきまえ知ること

【新改訳改訂第3版】箴言25章6~7節
6 王の前で横柄ぶってはならない。
偉い人のいる所に立っていてはならない。
7 高貴な人の前で下に下げられるよりは、
「ここに上って来なさい」と言われるほうがよいからだ。

  • 自分よりも立場が上にある方に対して横柄な(高慢な)態度を取ることは、やがて恥を見ることになります。むしろ相手から招きを受ける時を待つことの方が善いのです。

【新改訳改訂第3版】箴言25章13節、15節
13 忠実な使者はこれを遣わす者にとって、夏の暑い日の冷たい雪のようだ。
彼は主人の心を生き返らせる。

15 忍耐強く説けば、首領も納得する。柔らかな舌は骨を砕く。


4. 時(時宜)をわきまえること

【新改訳改訂第3版】箴言25章11~12節
11 時宜にかなって語られることばは、銀の彫り物にはめられた金のりんごのようだ。
12 知恵のある叱責は、それを聞く者の耳にとって、金の耳輪、黄金の飾りのようだ。

  • 以上のように、物事の限度や相手の心、また自分の立場と時宜を「わきまえ知ること」は、「知恵」なのです。

2016.2.3


a:1212 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional