****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

わたしは、知っている(2)

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28. わたしは、知っている (2)

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【聖書箇所】 2章9節

【新改訳改訂第3版】
「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。──しかしあなたは実際は富んでいる──またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。」

【新共同訳】
「わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当はあなたは豊かなのだ。自分はユダヤ人であると言う者どもが、あなたを非難していることを、わたしは知っている。実は、彼らはユダヤ人ではなく、サタンの集いに属している者どもである。」


ベレーシート

  • どんな苛酷な状況の中にあっても、初めであり、終わりである方が、自分たちの現状を知っていてくださるということは、大きな励ましです。慰めです。七つの教会の中で唯一非難されていない教会、それが「スミルナの教会」でした。

1.  困難と貧しさの中にあった教会

  • A.D.81年に即位したドミティアヌス皇帝(81~96年)は、自分を「主にして神」と称して、ローマ帝国の人々に自分を神として礼拝することを強要しました。それを拒否する者は死刑に処すると宣言しました。人々は一年に一度、皇帝の像に向かって一握りの香をささげ、「カエザル(高低)は主(=神)です」と唱えなければなりませんでした。当時のユダヤ人は特別な人頭税を払うことによってその義務から免除されましたが、異邦人からキリスト者になった者たちは、死の危険を冒してこの命令を拒絶しました。
  • 彼らはキリスト者であるがゆえに、当時の社会から迫害され、財産を失い、公職からも追放されました。当時、キリスト者になることは、経済的にはきわめて「貧しい」者となることは避けられませんでした。9節にある「貧しさ」と訳されたギリシア語は「プトーケイア」(πτωχεία)で、この語彙は極度の貧しさを表わしています。この語の動詞は「物乞いをする」という意味です。それほどに貧しい、乏しい状態を表わします。ところが(原語の「アッラ」は強い否定を表わします)、スミルナの教会は、霊的には実に豊かな教会であったのです。これはイエス・キリストもおいてもそうでした。Ⅱコリント8章9節を参照。

2. ユダヤ人たちから迫害され、ののしられていた教会

  • 9節の後半の「また、ユダヤ人だと自称しているが、実はそうではなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。」とありますが、「ユダヤ人だと自称しているが、実はそうではなく、かえってサタンの会衆である人たち」とは誰のことでしょうか。当時、キリスト者に対して最も憎悪していた人々とはユダヤ人たちです。イエスを十字架にかけたのも彼らです。この節は、同じユダヤ人であっても、キリストを信じるユダヤ人と、そうではないユダヤ人たちかいたことを表わしています。彼らによってキリスト者は中傷、誹謗されていました。ヨハネは彼らを「サタンの会衆である者たち」(スナゴーゲー・トゥー・サタナ、συναγωγὴ τοῦ Σατανᾶ. )と呼んでいます。神から遣わされたイエスも、自分の言葉を信じないユダヤ人に対して、「あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって・・」と言っています(ヨハネの福音書8章44節)。

2014.1.10


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