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わたしは一つの事をあなたがたの時代にする

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1. わたしは一つの事をあなたがたの時代にする

【聖書箇所】1章1~11節 【ヘブル語聖書】1章1~17節

ベレーシート

  • 預言者ハバクク」(「ハヴァックーク・ハンナーヴィー」חֲבַקּוּק הַנָּבִיא)とあるだけで、ハバククについての情報は他にはありません。ただ、動詞の「ハーヴァク」(חָבַק)が「手をこまねく、腕組をする」ということから、主が「わたしは一つのことをする」と言ったことに対して、ハバククは何もできず、ただ傍観するしかなかったのです。
  • ハバクク書の1章は三つの部分に分けることができます。2節~4節で、ハバククは民を代表する形で神に叫びをもって問いかけ、5~11節ではその問いかけに答えるという形を取っています。今回はこの部分を取り上げます。

1. ハバククの「いつまで」「なぜ」という問いかけ

  • ハバククが「いつまで」(「アド・アーナー」עַד־אָנָה)、「なぜ」(「ラーンマー」לָמָּה)と神に問いかけているのには理由があります。それは「わざわいと労苦」「暴行と暴虐」「闘争と争い」、「悪者が正しい人を取り囲み、さばきが曲げられている」という現実に対して、ハバククは神が何もなされないように思われたからです。まさにこれは詩篇の世界です。
  • ヨシヤがかかげた主の律法(おそらく申命記)によるかつての宗教改革も空しく、エジプトとバビロンの狭間で政府の高官たちがそれぞれの思いや利得でバビロンに従属したり、あるいはエジプトに従属したり、やがてはそれに反旗を翻したりと、王のリーダーシップは希薄となり、かと言って律法による神の統治にも信頼することのない現実の中でハバククは神に叫んだのです。それに対する神の答えが5~11節に記されています。

2. 「見よ。わたしはカルデヤ人を起こす」という受け入れ難い神の計画

  • ハバククの問いかけに対して、「見よ。わたしはカルデヤ人を起こす」と主は答えられました。

【新改訳改訂第3版】ハバクク書1章5~6a節
5 異邦の民を見、目を留めよ。驚き、驚け。わたしは一つの事をあなたがたの時代にする。それが告げられても、あなたがたは信じまい。
6 見よ。わたしはカルデヤ人を起こす。

  • 異邦の民」(「ゴーイム」גּוֹיִם)とは「ユダを取り巻くバビロンをはじめとする諸国」という意味です。そこに主は「一つの事をする」とあります。「一つの事」とは、バビロンが諸国の多くの民を捕囚の民とするという事です。この驚くべきことに「目を留めよ」(「ナーヴァト」נָבַטの命令形)と主は命じています。このことが「あなたがたの時代」、つまりハバククが生きている時代に起こる出来事だと主は語っています。
  • カルデヤ人(バビロン)がハバククの時代に諸国を攻め取る(10節)ようになるというのが神の答えなのです。当然、その中にはユダも含まれているわけですから、「それが告げられても、あなたがたは信じまい」と言われているのです。しかも、そのカルデヤ人というのは、「強暴で、激しい国民」で、諸国を占領するだけでなく、「自分自身でさばきを行い、威厳を現す」(7節)というのです。「自分自身でさばきを行う」とは、自らを神の位置に置くことを意味しています。
  • この神の答えは、ハバククが訴えているわざわい以上の出来事です。ハバククはこのことを正しく理解できたのでしょうか。預言者イザヤはこうした神のご計画の不可解性を次のように述べています。

【新改訳改訂第3版】イザヤ書55章8~11節
8 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。──【主】の御告げ──
9 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
10 雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。
11 そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。

  • 預言者エレミヤはこの神のご計画の不可解性を理解できた人でした。ですから、無駄な抵抗をせずに、バビロン(カルデヤ人)に従属するようにとユダの人々を説得しようとしました。しかし、当然ながらそのようなことはユダの人々には受け入れられませんでした。それゆえエレミヤは苦難を受けたのです。なぜユダの民がバビロンの捕囚の民とならなければならないのか、エレミヤが見た神のご計画は以下の通りです。

【新改訳改訂第3版】エレミヤ書29章10~14節
10 まことに、【主】はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。
11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
12 あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。
13 もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。
14 わたしはあなたがたに見つけられる。──【主】の御告げ──わたしは、あなたがたの繁栄を元どおりにし、わたしがあなたがたを追い散らした先のすべての国々と、すべての場所から、あなたがたを集める。──【主】の御告げ──わたしはあなたがたを引いて行った先から、あなたがたをもとの所へ帰らせる。」

  • エレミヤによれば、神がユダのために立てているご計画は、「わざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのもの」なのです。しかしそれが実現するためには、ユダの民が捕囚という憂き目を経験する必要があったのです。こうした神のみこころを理解して、信仰をもって身を委ねることはとても難しいことであったのです。ですから、主は「それが告げられても、あなたがたは信じまい」(ハバクク1:5)と語っておられるのです。


2015.6.12


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