****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

アシュドデ、バビロン、エドム・・への宣告

文字サイズ:

15. アシュドデ、バビロン、エドム、アラビヤへの宣告

【聖書箇所】20章1節~21章25節

ベレーシート

  • イザヤはエルサレムに在住しながら、当時の中近東一体の国々に対する神からの宣告を語っています。アッシリヤ、バビロン、ダマスコ、ペリシテ、モアブ、エドム、アラビヤ、エジプト、そしてユダ(エルサレム)に対する神のことばを語っています。


1. アシュドデに対するイザヤの預言的行動(20:1~6)

  • アシュドデはペリシテ領の一都市です。かつてサムエルが預言者であった頃に、イスラエルはペリシテと争って敗北を喫したことがありました。そのときイスラエルの長老たちが状況打破のためシロから「主の契約の箱」(神の箱)を運んでこようと提案しました。それは直ちに実行されましたが、ペリシテ軍は強力で、イスラエルの陣地から神の箱を奪って行きました(Ⅰサムエル4章)。されが最初に置かれた場所がアシュドデでした。神の箱が置かれたことで住民の体は腫れ、災害を起こさせました。そのため、神の箱は他の町(ガト、エクロン)へ移しましたが、結果は同じでした。談義した結果、「神の箱」はイスラエル領へと返されたという話があります(Ⅰサムエル5章)。
  • イザヤは主から「行って、あなたの腰の荒布を解き、あなたの足のはきものを脱げ」と言われ、そのようにして、裸になり、はだしで歩きました。これは預言的行動によるメッセージです。その意味についても主はイザヤに語られました。

    【新改訳改訂第3版】イザヤ書20:1~4
    1 アッシリヤの王サルゴンによって派遣されたタルタンがアシュドデに来て、アシュドデを攻め、これを取った年──
    2 そのとき、【主】はアモツの子イザヤによって、語られた。こうである。「行って、あなたの腰の荒布を解き、あなたの足のはきものを脱げ。」それで、彼はそのようにし、裸になり、はだしで歩いた。
    3 そのとき、【主】は仰せられた。「わたしのしもべイザヤが、三年間、エジプトとクシュに対するしるしとして、また前兆として、裸になり、はだしで歩いたように、
    4 アッシリヤの王は、エジプトのとりことクシュの捕囚の民を、若い者も年寄りも裸にし、はだしにし、尻をまくり、エジプトの隠しどころをむき出しにして連れて行く。

  • ペリシテの一都市アシュドデの敗北の原因は、彼らがクシュやエジプトを頼みとしたからです。アシュドデはアッシリヤの王から守ってもらおうと助けの拠り所としましたが、それは保障されることはなく、失意をもたらすという神の預言だったのです。事実、アシュドデはB.C.713年にアッシリヤと同盟関係を結んでいたアズリ王を追放し、暴動を先導したヤマニが指導者となってアッシリヤに謀反を起こしました。そのため、20章1節にあるように、アッシリヤの王サルゴンによって派遣されたタルタンによってアシュドデは、B.C.713年に征服されます。しかもアシュドデが拠り頼んだエジプト(エチオピヤ)も、アシュドデもろともアッシリヤによって征服されてしまったという背景があります。
  • ちなみに、イザヤのエルサレムでの三年間の屈辱的な預言的行動によって、ユダの民は神の警告を受け入れ、近隣諸国が受けたよう恥辱を受けることなく守られました。このように預言者は、しばしば、神からのメッセージを人々に印象づけ、かつ人々に訴えるために、目に見える形で表したのです。イザヤが恥をさらして訴え続けたことは、エジプトの軍事力に頼ることをやめ、神にのみ信頼することでした。


2. バビロンに対する神の宣告(21:1~10)

  • 預言者が神のメッセージを示すために声を上げて語る「宣告」と「預言者的行動」があります。後者はイザヤ書20章において、前者は21章にあります。
  • ところで、新改訳で「宣告」と訳された「マッサー」(מַשָּׂא)は、預言、託宣、神命とも訳されます。この「マッサー」は旧約で68回、うちイザヤ書では14回も最も多く使われています(次はエレミヤ書の12回)。「マッサー」の語源は動詞の「ナーサー」(נָשָׂא)で、「(目、声、手、頭、顔、心など)を上げる」という意味ですが、名詞の「マッサー」は「運搬、荷物、重荷」の他に、「声を上げて告げることば」を意味します。以下の聖書箇所は、イザヤ書で使われている「マッサー」(מַשָּׂא)の「宣告」の意味で使われている箇所です。

①13章01節・・・・・バビロンに対する神の宣告
②14章28節・・・・・ペリシテ全土に対する神の宣告
③15章01節・・・・・モアブに対する神の宣告
④17章01節・・・・・ダマスコに対する神の宣告
⑤19章01節・・・・・エジプトに対する神の宣告
⑥21章01節・・・・・バビロンに対する神の宣告
⑦21章11節・・・・・ドマ(=エドム)に対する神の宣告
⑧21章13節・・・・・アラビヤに対する神の宣告
⑨22章01節・・・・・エルサレムに対する神の宣告
⑩23章01節・・・・・ツロに対する神の宣告
⑪30章06節・・・・・ネゲブに対する神の宣告

  • イザヤ書21章1節の「海の荒野」とあるのは「バビロン」の別称です。すでに13~14章にもバビロンに対する預言が語られていますが、ここでは「バビロンの崩壊」が以下のように記されています。

    【新改訳改訂第3版】イザヤ書21章9節
    ああ、今、戦車や兵士、二列に並んだ騎兵がやって来ます。彼らは互いに言っています。『倒れた。バビロンは倒れた。その神々のすべての刻んだ像も地に打ち砕かれた』と。」

  • 見張り人である預言者イザヤは、まさにその光景を目の当たりにしたかのように、視覚的に、エラムとメディアが、驕って饗宴に興じている無防備のバビロンに不意打ちをかける様子を描いています。

3. エドムとアラビアに対する神の宣告

  • イザヤ書21章11~12節には「ドマ」に対する神の宣告が、13~17節にはアラビヤに対する神の宣告が記されています。「ドマ」とはエドムの一つの地域の名称です。長い束縛を象徴する「夜」からの解放を意味する「朝」を待ち望み、叫ぶ声がセイル(11節)から「夜回りに」聞こえる設定となっています。その夜回りは言います。

    朝が来、また夜も来る。尋ねたければ尋ねよ。もう一度、来るがよい。」

  • アラビヤに対する宣告の中に、「デタン人」「テマ人」「ケダル人」、これら三つは兄弟族です。彼らはアッシリヤの侵略にさらされます。そして彼らに対して主は助けの水やパンを差しだすよう命じています。なぜなら、そのような災いが「雇い人の年季のように、もう一年のうちに」(16節)やって来るからです。まさにその時が切迫していることを表わしています。事実、この預言はB.C.715年に、アッシリヤの王サルゴンがアラビヤに侵略し、続いて、バビロンの王ネブカデネザルによって征服されています。

最後に

  • ユダの近隣諸国における国々に対する神の宣告を見る時、神は事を起こされる前に、必ず、預言者たちを通して宣告されているということです。つまり、何の宣告もなしに神ご自身が事をなさることはないというこでもあります。今日、私たちは、聖書の中に語られている預言を正しく理解することを通して、これから神がなさることを知らなければなりません。

2014.8.26


a:2530 t:3 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional