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アッシリヤ王のみじめな結末

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6. アッシリヤ王のみじめな結末

【聖書箇所】3章8〜19節

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「新アッシリヤの王たちの治世年表」(ウィキペディアより)

ベレーシート

  • 上記のアッシリヤの王の年代表ですが、聖書では「ティグラテ・ピレセル3世」から、イスラエルとのかかわりで登場して来ます。北イスラエルのサマリヤが陥落したのはB.C.722年で、サルゴン2世の時代です。
  • セナケリブはユダの王ヒゼキヤの時にエルサレムを取り囲みましたが、一夜にして、アッシリヤ陣営にいた18万5千人の人々が主の御使いによって打ち殺されました。そのためセナケリブはニネベに退却を余儀なくされました(イザヤ37:36~37)。
  • アッシリヤの勢力が最大となったのは B.C.663年にエジプトの首都「ノ・アモン」(テーベ)を陥落したアッシュール・バニパルの治世でした。しかしその50年後のB.C.612年にはアッシリアの首都ニネベはメディア・バビロンの連合軍によって陥落します。

1. ノ・アモン(テーベ)のたとえ

  • 3章8節に「あなた(=ニネベ)は、ナイル川のほとりにあるノ・アモンよりもすぐれているか」とあります。ニネベの滅びが「ノ・アモン」(「ノー・アーモーン」נֹ־אָמוֹן)にたとえられています。新改訳は「ノ・アモン」としていますが、口語訳、新共同訳は「テーベ」と訳しています。フランシスコ会聖書の注解によれば、「ノ・アモン」の「ノ」はエジプトで長い間首都であった町の名で、「アモン」はその町の守護神を意味し、「ノ・アモン」で「アモンの町」という意味だということです。その町をギリシア人は「テーベ」と呼んだようです(エレミヤ46:25~26、エゼキエル書30:14~16参照)。その町が、B.C.663年にアッシリヤの王アッシュール・バニパルによって滅ぼされました。その頃がアッシリヤの領土が最大限に拡張された時代でした。
  • 「ノ・アモン」(テーベ)とニネベの共通項は、いずれも長い歴史を誇る町であったこと、そして水に囲まれた自然の地の利を生かした要塞であったということです。その「ノ・アモン」が滅びたという事は、地の利は何の助けにもならないことを示しています。ニネベも同じ運命にあることを示すために、「ノ・アモン」が引き合いに出されているようです。
  • 敵に包囲されたニネベの、籠城のためのすべての努力も徒労に終わることを預言者ナホムは「いなご」のたとえで断言しています(3:15~17)。つまり、「いなご」の「食い尽くす」という特性にたとえて、徹底的な破滅がニネベの町を襲うことを意味しています。

2. アッシリヤに対する最後の止め

  • 今回は、アッシリヤ帝国の末路を最後までしっかりと見届けておきたいと思います
  • アッシリヤの王アッシュール・バニパル(B.C.669~627)が、エジプトの首都「ノ・アモン」を陥落させたのはB.C.663年でした。その頃がアッシリヤの領土が最大限に拡張された時代であったことはすでに取り上げましたが、10年後のB.C.653年頃までにはエジプトはアッシリヤの主権から離脱したようです。その背景にはアッシリヤの斜陽化・弱体化があります。東方ではイラン高原を中心としたメディアが勢力を増しつつあり、紀元前625年頃までにはバビロニア総督ナボポラッサルもアッシリヤに反旗を翻して独自の王国を築きます。メディアと新バビロニアは同盟を結んでアッシリヤを攻撃し、首都ニネべを陥落させたのがB.C.612年でした。アッシリヤの王であったシン・シャル・イシュクン(B.C.623~612)もこの時に戦死したと考えられます。そのことを冷笑するかのように、ナホムは以下の言葉を語っています。

【新改訳改訂第3版】ナホム書3章18~19節
18 アッシリヤの王よ。あなたの牧者たちは眠り、あなたの貴人たちは寝込んでいる。あなたの民は山々の上に散らされ、だれも集める者はいない。
19 あなたの傷は、いやされない。あなたの打ち傷は、いやしがたい。あなたのうわさを聞く者はみな、あなたに向かって手をたたく。だれもかれも、あなたに絶えずいじめられていたからだ。


●ナホム書を締めくくる19節の後半は、アッシリヤに対する皮肉をこめた冷笑です。いろいろな訳で見てみましょう。
新共同訳
「お前のうわさを聞く者は皆/お前に向かって手をたたく。お前の悪にだれもが/常に悩まされてきたからだ。」
口語訳
「あなたのうわさを聞く者は皆、あなたの事について手を打つ。あなたの悪を常に身に受けなかったような者が、だれひとりあるか。」
フランシスコ会訳
「お前の噂を耳にする者は、誰もが皆、お前のことで喝采する。そうだ、誰もがお前の惨い仕打ちをいつも受けてきたからだ。」
ATD訳
「報らせを聞く者は、みな、君のために手をたたく。なぜなら、誰もが蒙ったからだ、君の悪事をいつも!」


●興味深い点は、原文の「アーヴァル」(עָבַר)が、「いじめられていた」「悩まされてきた」「身に受け(た)」「受けてきた」「蒙った」と訳されていることです。ヘブル語「「アーヴァル」(עָבַר)を辞典で引くと「渡る、進む、通り過ぎる、越える」という意味だと分かります。アッシリヤの「悪」が通り過ぎたことによって、諸国の民はいつも「苦痛」の日々を過ごしてきたことが表わされてきます。ですから、アッシリヤが没落した時に、諸国の民のすべてが「喝采する」(手をたたいて喜ぶ)のです。なんと辛辣な皮肉でしょうか。

●詩篇で「終わりの日」に訪れる神のさばきを次のように言い表わしています。
【新改訳改訂第3版】詩篇 47篇1節
「すべての国々の民よ。手をたたけ。喜びの声をあげて神に叫べ。」
当教会の礼拝ではこの詩篇の賛美をしばしば歌います。「手をたたけ、すべての国々の民よ。主に叫べ、歌を歌え、喜びの声上げ。」と。これはメシア王国が到来して神の敵が滅ぼされたことに対する喝采の賛美です。


  • さて、アッシリヤの首都ニネベが陥落したことでアッシリヤの息の根が止まったわけではありません。王族の一人アッシュール・ウバリト2世(B.C.612~609)は、ニネベを逃れて、ハランという所を拠点にしてバビロンのナボポラッサルと戦いました。そのアッシリヤを支援するためにエジプトのパロ・ネコが出征し、北上して来たのです。このときユダの王ヨシヤ(B.C.639~609)はエジプト軍の動きを阻止しようと、メギドで戦いました。ヨシヤ王の父アモンと祖父マナセがアッシリヤに従属してきたからです。そうした事態が再び回復されないようにと、ヨシヤはアッシリヤを支援するエジプトと戦いを交えたのです。ところがヨシヤ王はこの戦いで死んでしまいます。善王と呼ばれたこのヨシヤ王の死を契機に、ユダ王国は坂を下るようにして弱体化していきます。一見、ヨシヤは無駄な死を遂げたように思えますが、神の視点から見るならば、決してそうではありません。むしろ神のご計画を早める結果となったのです。
  • ヨシヤに行く手を阻まれたエジプト軍はメギドでの戦いでかなりの痛手を受けたようです。それでもユーフラテス川を渡ってアッシリヤの勢力を盛り返そうとしたのです。しかしカルケミシュで、バビロン軍と戦って敗北を喫します。このことによってアッシリヤの最後の王族であったアッシュール・ウバリト2世も殺され、1400~1500年間続いてきたアッシリヤ帝国は、B.C.609年に完全に歴史から姿を消したのです。

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2015.6.10


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