****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

イェシュアが選ばれた十二使徒

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38. イェシュアが選ばれた十二使徒

【聖書箇所】マタイの福音書10章1~4節

【新改訳2017】マタイの福音書10章1~4節
1 イエスは十二弟子を呼んで、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒やすためであった。
2 十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
3 ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、
4 熱心党のシモンと、イエスを裏切ったイスカリオテのユダである。


ベレーシート 

  • 10章1節の冒頭は接続詞の「カイ」(Και)で始まっています。つまり、9章終わりにあるイェシュアの「深くあわれまれた」に続いて、10章の十二弟子(使徒)の派遣へと展開しています。彼らはイェシュアが「呼び寄せた」(「フロスカレオマイ」προσκαλέομαι)者たちです。この語は「~に向かって」を意味する「プロス」(προς)と、「呼ぶ」を意味する「カレオー」(καλέω)の合成語です。彼らが何の目的のために呼び寄せられたといえば、それは御国の福音を宣べ伝えるために、必要な権威が与えられて、イスラエルの家の滅びたところへ派遣されるためです。それまでの弟子たちはイェシュアに追従していましたが、それはイェシュアの教えやみわざを見ているという傍観者的立場でした。しかしこれからはイェシュアの後継者としての訓練を本格的に受けていきます。イェシュアは働きを始められた時から、ご自分の働きを継承する者たちを選び、彼らに心を留めてこられたのは、神のご計画を実現するためでした。
  • イェシュアは「ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ」を、さらには別の二人の兄弟「ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ」を弟子として呼び出しています(4:18~22)。しかも後者の兄弟は、イェシュアの呼びかけに対して「すぐに舟も父も残して」従っています。しかし、シモンとアンデレは「網だけを捨てて」従っていますから、彼らの父親はすでになくなっていたかもしれません。これらの四人に加えて、イェシュアは収税所に座っているマタイを呼び出しています(9:9)。ところが今回の10章2~4節では、さらに七人の名前が加えられて、全部で十二人となっています。この箇所から、
    (1) 彼らが「弟子」から「使徒」と呼ばれていること
    (2) 彼らが「十二人」であることの必然性について
    (3) 十二使徒のリストにある組み合わせの特徴について
    (4) 十二使徒の「最初」と「最後」にある名前について
    ーすなわちペテロと呼ばれる「シモン」とイェシュアを裏切った「イスカリオテのユダ」の二人について取り上げてみたいと思います。

1. 「弟子」から「使徒」へ

  • マタイ10章1節の「十二弟子」が、2節では「十二使徒」に言い換えられています。「十二弟子」ということばは、新改訳第三版では四つの福音書で23回使われていたのが、新改訳2017ではわずか4回(マタイ10:1,11:1,20:17、ヨハネ20:24)のみです。なぜ極端に少ないのかといえば、新改訳2017のギリシア語の底本がネストレ・アーラントの校正28版を用いているためです(それまでは27版)。マタイは4回のうち3回ですが、その「十二使徒」ということばは、新改訳第三版ではマタイ10章2節と使徒6章2節の二箇所で使われていましたが、新改訳2017ではマタイ10章2節のみだけです。これも同様、ネストレ・アーラントの校正28版を用いているためです。
  • 「十二弟子」と言われている者たちは、どちらかと言えば、彼らが教えられやすい人たちであったからです。「弟子」はヘブル語で「タルミード」(תַּלְמִיד)と言い、その語幹の「ラーマド」(לָמַד)は「教える、学ぶ」という意味です。人に何かを教える者は良く学ぶ者でなければないことを教えています。旧約聖書で「ラーマド」(לָמַד)が「学ぶ」という意味を持つようになったのは、神の民がバビロン捕囚の経験を通してでした。捕囚という失敗と痛みの経験を通して、神の民は神の教えである「トーラー」を深く学ぶようになったのです。特に詩篇ではこの「ラーマド」が「学ぶ」という意味で使われているのは詩篇119篇(7, 71, 73節)の3回のみです。有名な箇所としては71節を挙げることができます。

【新改訳2017】詩篇 119篇71節
苦しみにあったことは私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました

  • この詩篇119篇は、「みことば賛歌」とも呼ばれる詩篇ですが、「苦しみにあったことは私にとって幸せでした」とあるように、捕囚経験を通して神のトーラーのすばらしさを見出した喜びが書き記されている詩篇です。イェシュアの弟子たちはみな神の「トーラー」の教えからはほど遠い、「無学のただ人」と言われるようなガリラヤ出身(イスカリオテのユダを除いて)の者たちでした。しかし彼らさまざまな失敗の経験を通してすばらしい弟子とされていきます。弟子とは「神の教えを学ぶ人」、神の教えを聞く者のことなのです。当時の律法学者やパリサイ人は神のトーラーを神のみこころから外れた私的解釈をしていた者たちであり、イェシュアの教えを謙虚に学ぶことをせず、自分たちの権威を守ろうとするあまり、決して自分たちの「理解の型紙」を破ろうとしなかった人たちです。そのような者たちをイェシュアは弟子として選ぶことをせず、どちらかというと、従順で、教えられやすい謙虚な者たちを選ばれたのでした。
  • 「使徒」という言葉は、イェシュアにから権威を与えられて「遣わされる者」という意味です。ギリシア語の「アポストロス」(ἀπόστολος)と言いますが、ヘブル語では「シェリーアッハ」(שְׁלִיחַ)です。御子イェシュアも御父から「遣わされた者」でした。十二弟子たちもイェシュアの教えに学びながら、イェシュアから遣わされた者として名を連ねているのです。
  • ただし、使徒であることはイェシュアの弟子ではありますが、イェシュアの弟子であることは必ずしも使徒であるとは限りません。使徒であることの条件は聖書の中に記されています。それはイェシュアの直弟子として三年半の公生涯をイェシュアと寝食をともにし、イェシュアの十字架と復活、および昇天を目撃した弟子のことです(使徒1:22)。唯一の例外は、使徒パウロです。彼はイェシュアとともに地上では歩んでいません。しかし彼はイェシュアから直接に啓示を受けた者であり、使徒と呼ばれています。しかも特別に「異邦人の使徒」と言われています。

【新改訳2017】ガラテヤ人への手紙 1章1節、2章8節
1:1人々から出たのではなく、人間を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた
父なる神によって、使徒とされたパウロと、
2:8 ペテロに働きかけて、割礼を受けている者(=ユダヤ人)への使徒とされた方が、私にも働きかけて、異邦人への使徒としてくださったからでした。

  • 「教会」は使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。それほどに使徒たちの教えには権威が与えられているのです。なぜなら御子イェシュアがまさに御父のみこころのメッセンジャーであったように、使徒たちもイェシュアが伝えたことの意味を正しく教えることのできたメッセンジャーだからです。

2. なぜ「十二人」なのか、その必然性

  • これはイスラエルの部族が十二部族であったことによります。しかしそれだけでは不十分です。より深い理解を持つ必要があります。イスカリオテのユダがイェシュアを裏切ったことで、使徒の数は十一となりました。そこでペテロはイェシュアの公生涯にいつも行動をともにした者たちの中から使徒職の地位を継がせようとして、マッテヤという人物を選んでいます。それほどに十二という数は欠けてはならないのです。一言でいうならば、十二という数には「全イスラエルの回復」がかかっているからです。
  • キリスト教会は「置換神学」と「伝道至上主義」の影響により、ユダヤ人に対する神のご計画と預言的啓示を軽視したため、神の奥義としての全イスラエルの回復が理解できなくなっています。またキリスト教会の歴史において、コンスタンティヌス帝以降、教会の中からユダヤ的なルーツが立ち切られたことにも大いに関係があります。しかし聖書において、「十二」という数はイスラエルの歴史において深い意味を持っています。ヤコブの十二人の息子たちと、そこから生じるイスラエルの十二の部族。約束の地の偵察のためにそれぞれの部族から派遣された計十二人の者たち。荒野の旅の途上のエリムという町で見出された十二の泉。約束の地に渡って行った最初の宿営の地ギルガルに記念の石として据え置かれた十二の石、大祭司が着る服の胸に身に着けるエポデには十二の部族を表わす宝石が埋め込まれています。ダビデは神殿で仕える祭司の組織の十二を二倍にした二十四の組に分けています。旧約聖書の小預言書と言われるものの数も十二です。そしてこの「十二」という数は新約においても受け継がれます。イェシュアが選んだ十二の弟子(使徒)に始まって、ヨハネの黙示録では、神の御座の回りには十二を二倍した数の長老たち、また、十二の部族のそれぞれにつき一万二千人の、合計十四万四千人に神の刻印が押され、その者たちが神を礼拝しています。新しいエルサレムにおいては、十二の部族の名が刻まれた十二の門、聖なる都の十二の土台には十二の使徒の名が刻みつけられています。そして、新しいエルサレムには年に十二回実を結ぶいのちの木があります。これらはみな全イスラエルが回復するという御国の福音の成就であり、神のご計画の実験を表わす象徴的な数なのです。その大きな神のご計画の枠の中に異邦人を含む和解の福音、恵みの福音があるのです。
  • このように「十二」という数は、「全イスラエルの回復」と大いに関係があると同時に、この数が「神が望まれる象徴的な数」とも言えるのです。言い換えれば、「十二」は神のお気に入りの数字だということです。というのは、「望む」というヘブル語は「アーヴァー」(אָוָה)ですが、そのゲマトリアは「1+6+5」で「12」となるからです。「望む」と訳されたヘブル語の「アーヴァー」(אָוָה)の本来の意味は「欲する」「むさぼる」といった人間のむき出しの欲望を表わしますが、この言葉が神に使われる例として、詩篇132篇13~14節を見ることができます。

【新改訳2017】詩篇132篇13~14節
13 【主】はシオンを選びそれをご自分の住まいとして望まれた
14 「これはとこしえにわたしの安息の場所。ここにわたしは住む。わたしがそれを望んだから

  • ここではダビデが全イスラエルを統一するための拠点としたシオンを、神がご自分の住まいとして「望まれる」と言うこと意味で使われています。それ以来、「シオン」はきわめて重要な場所となりました。シオンは「エルサレム」の雅名でもあります。その理由はそこに神と人とが永遠に住まれることを主が望まれたからです。つまり、全イスラエルの回復はシオンと呼ばれるエルサレム以外にはあり得ないのです。
  • 「十二」が「神の望まれる象徴的な数」とすれば、その倍数(12×2)の「24」、その10倍(12×10)の「120」、その1000倍(12×1000)の「12,000」、12の積数(12×12)の「144」、その1000倍の「144,000」も同様です。聖書でこれらの数を検索するならば、それらが「全イスラエルの回復」と密接な関係があることは一目瞭然であり、神の永遠に望まれる数だと分かるのです。

3. 十二使徒のリストにある組み合わせの特徴

(1) 十二使徒のリスト

  • 十二使徒たちは、以下のように、四人ずつ3つのグルーブに分けられます。
    画像の説明

① 四人一組 

  • 表を見る限り、四人が一組になっているのは明らかです。その組が三つあるのは、一組のそれぞれの冒頭にある名前(シモン、ピリポ、小ヤコブ)が同一の名前となっているからです(太字で記されています)。四人一組の第一グループである「シモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ」の四人の名前がこぞって出て来る箇所は、マルコ13章3節のイェシュアが神殿崩壊の予告をした時です。この四人がイェシュアに「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。また、それらがすべて終わりに近づくときのしるしは、どのようなものですか。」と尋ねたことで、イェシュアは終末に関する一連の説教を語っています。この四人に共通するのは、彼らがガリラヤ湖畔のベツサイダの漁師であったことです。ちなみに、魚を意味する集合名詞の「魚」を意味するヘブル語の「ダーガー」(דָּגָה)のゲマトリアは「12」です。

② 二人一組 

  • その四人組が二人一組になって、二人ずつの六つのグループを形成していたようです。事実、マルコ6章7節には「また、十二人を呼び、二人ずつ遣わし始めて、彼らに汚れた霊を制する権威をお授けになった。」とあり、ルカ10章1節では「その後、主は別に七十人を指名して、ご自分が行くつもりのすべての町や場所に、先に二人ずつ遣わされた。」とあります。イェシュアは12使徒たちと七十人の弟子たちを二人一組で遣わしたようです。これは申命記19章15節にあるように、「二人の証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない。」(新改訳2017)の原則に基づくものです。ペテロとヨハネは二人一組で行動しています。例えば、彼らは過越の祭りの食事の準備をし(ルカ22:7~8)、空の墓に走って行き(ヨハネ20:2~4)、祈りのために宮に上って行き(使徒3:1)、人々を教え、死者の復活について大胆に話した(同、4:2)ことで、留置され(4:3)、釈放されたあと教会に戻って報告をし(4:23)、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いたエルサレムの使徒たちは、ペテロとヨハネをそこに遣わしています(8:14)。このように彼らはイェシュアが昇天された後もともに行動をしています。しかし、会堂司ヤイロの家や山上の変貌の時、およびゲッセマネの時には、ヨハネの兄弟ヤコブも加わって、三人一組もあります(ルカ8:51、9:28、マルコ14:32~34)。このように、原則的には二人一組ですが、その組み合わせは時と場合によって変わっているということです。このように考えることで、福音書が記している四人ずつの三つのグループの中の順番がなぜ異なっているのかがうなずけます。

4. 十二使徒の「初め」と「終わり」にある名前の秘密

  • 十二使徒の中の「初め」と「終わり」にある名前について留意してみたいと思います。なぜなら、その二つには神のご計画とみこころが啓示されていると考えるからです。それは「ペテロと呼ばれるシモン」と「イェシュアを裏切ったイスカリオテのユダ」の二人です。なにゆえにシモンがペテロと呼ばれたのでしようか。なにゆえにイェシュアを裏切ったイスカリオテのユダが使徒として選ばれたのでしょうか。その前に、

(A) 「ペテロと呼ばれるシモン」の名前に秘められた秘密

(1) シオン(シメオン)という名前

  • 「シモン」(Σίμων)という名はギリシア名です。へブル名では「シメオン」(שִׁמְעוֹן)と言います。旧約聖書で「シメオン」はヤコブの第二番目の子どもです。その名前の由来は、母レアが「夫に嫌われているのを主が聞かれて、子を授けてくださった」ということで、「シャーマ」(שָׁמַע)がその名前の語源となっています。ところが、父ヤコブは最後に子どもたちを祝福したときに、シメオンとレビのした暴虐な行為のゆえに、「私は彼らをヤコブの中で分け、イスラエルの中に散らそう」と預言しています(創世記49:7)。この預言は実現し、シメオン族はユダ族に吸収され、レビは各部族の中に散らされています。「モーセの最後の歌」(申命記32章)には、すでにシメオン族だけがなくなっています。
  • 旧約ではシメオンは呪われた部族としてその姿が見えなくなっていました。ところが新約聖書では、以下のように、同じ名前を持つ人物(=シモン)がなんと多く登場しているのです。

    ①イェシュアの弟子であるシモン 
    ②イェシュアの弟子である熱心党のシモン(マタイ10:4、マルコ3:18、ルカ6:15、使徒1:13) 
    ③イェシュアの兄弟の一人シモン(マタイ13:55、マルコ6:3) 
    ④イェシュアの十字架を負わされたクレネ人シモン(マタイ27:32、マルコ15:21、ルカ23:26) 
    ⑤イスカリオテのユダの父シモン(ヨハネ6:71、13:2、13:26)
    ⑥イエスを食事に招いたパリサイ人のシモン(ルカ7:40, 43, 44) ⑦イエスがベタニヤで滞在していたらい病人のシモン(マタイ26:6、マルコ14:3) 
    ⑧サマリヤの魔術師シモン(使徒8:9, 13, 18, 24) 
    ⑨ペテロが滞在していたヨッパの皮なめしシモン(使徒9:43、10:6, 17, 32) 
    ⑩幼子イエスを抱いて祝福したエルサレムの老シメオン(ルカ2:25 28, 34) 
    ⑪アンテオケ教会の指導者の一人、ニゲル(黒人)と呼ばれるシメオン(使徒13:1)、④と⑪と同一人物。

  • これらの中のうち「シモン」、あるいは「シメオン」の名が、ルカ文書では地域別に記されています。
    エルサレムの老シメオン。ガリラヤで召命を受けた弟子のシモン・ペテロ。同じくガリラヤのパリサイ人シモン。クレネ(地中海)人でイェシュアの十字架を背負ったシモン。後には、アンテオケのニゲル(アフリカ)と呼ばれたシメオン。サマリヤの魔術師シモン。ヨッパの皮なめしのシモン。これらのことをどのように理解すべきでしょうか。はっきりと言えることは、旧約ではユダ族に吸収されたシメオン(シモン)族を、神は決して忘れてはおられないということです。特に、福音宣教の要となる場所には、必ずや「シモン」(シメオン)が存在しているのです。とりわけ天の御国の中心地となるエルサレムでは、イェシュアの幼子を抱いて祝福したのは老シメオンでした。彼は聖霊に導かれて、この幼子の中にイスラエルの慰めを見たのでした。イスラエルの慰めとは、全イスラエルの回復が実現することなのです。

(2) シモンがなにゆえにイェシュアからペテロと呼ばれたのか(その必然性の根拠)

  • シモンがなにゆえにイェシュアからペテロと呼ばれたのか、そのことにも神のご計画の必然性が隠されています。ヨハネの福音書によれば、シモンの兄弟アンデレがシモンにイェシュアを紹介したときに、イェシュァハ「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします」と最初から言っています。
  • マタイ4章でも「ペテロと呼ばれるシモン」と記されていますが、マタイ16章ではペテロのことを「バルヨナ・シモン」と言っています(16:。「バルヨナ・シモン」とは「ヨハネの子シモン」という意味です(ヨハネ1:42/21:15~17)。私たちが「ペテロ」と呼んでいる人物の正式の名前は「ヨハネの子シモン」なのです。イェシュアもそのように呼んでいたのですが、ピリポ・カイザリヤでヘテロがイェシュアのことを「あなたは、生ける神の御子キリストです」と告白した後には、もろにイェシュアから「あなたはペテロです」と正式に呼ばれています。「ペテロ」とは「岩」を意味します。「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません」と言っています。ここには、かつてイスラエルの民が聞く耳をもたず捨てた「岩」(申命記32章)を再び回復するために、イェシュアは意図的に全イスラエルの代表として、シモン(シメオン)を「ペテロ」(岩)と呼んだのです。
  • 「モーセの歌」(申命記32章)は、 実は「シメオン」に対して語られた預言的な歌なのです。その内容を見るなら、そこには神が選ばれたイスラエルに対する数限りない恵みが綴られています。特に、10節から14節に記されている動詞の数々ー主は彼(イスラエル)を「見つけ」「いだき」「世話をし」「(ひとみのように)守り」「導き」「食べさせ」「飲ませ」「養い」・・の恩寵用語には圧倒されます。にもかかわらず、神の民はその神の声に聞き従わず、「捨て」「軽んじた」のです。「シメオン」に隠された神の使命は「聞く」ことです。神のことばに耳が開かれることです。その使命を担った「シメオン」が旧約において呪われているのは、イスラエルの本来の使命的位置づけを代表しているからです。あ
  • 「モーセの歌」には「五つの岩」が出てきます。「岩」は「モーセの歌」のキーワードです。ここでの「岩」(冠詞付きの「ハッツール」הַצּוּר)は、神ご自身を表しています(申命記32:4)。神はどこまでも真実なお方であり、ゆるぐことのない不動の岩、とこしえに変わることのない不変の岩です。しかも私たちとともにおられる「救いの岩」(15節)です。ところが、イスラエルは自分の救いの岩を軽んじ、自分を生んだ岩をおろそかにし、産みの苦しみをした神を忘れてしまったのです(申命記32:15, 18)。イスラエルの民が異邦の地に散らされたのは、「岩」である神のことばに「聞き従わなかった」からでした。神の民イスラエルが本来のあるべきところに立ち帰るためには、「岩」である神のことば(キリストのことば)に「耳を傾け」「聞く」必要があるのです。ここにイェシュアの弟子の筆頭となるべく「シモン」が、イェシュアによって「ペテロ」と呼ばれる必然性の根拠があるのです。

(B) イェシュアはなぜイスカリオテのユダを選んだのか

  • イェシュアが自分を裏切ることになるイスカリオテのユダ(「イスカリオテ」とは「イーシュ・ケリヨーテ」אִישׁ־קְרִיּוֹת=「キルヤテの人」の意)を選んだのも、実に深い神の知恵が隠されています。もし、イスカリオテのユダの裏切りがなかったとすればどういうことになるでしょうか。イェシュアはペテロが「あなたは、生ける神の御子キリストです」と告白した時から、ご自分がエルサレムに行って、当時の指導者である長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められました。このことを耳にしたペテロは、イェシュアを引き寄せて、「主よ。・・そんなことがあなたに起こるはずがありません。」といさめ始めました。しかしイェシュアは振り向いて、ペテロに対して「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ・・」とたしなめられました。イェシュアが苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを理解した十二弟子はだれ一人いませんでした。ただ一人例外がいました。それはイェシュアの足に高価な香油を塗った女でした(マタイ26:6~13)。そのときを境にドラマは進展します、イスカリオテのユダはイェシュアを売るために祭司長たちのところに行って銀貨30枚を受け取りました。あとはただ、彼がイェシュアを引き渡す機会を狙っていました。
  • ユダの裏切りは神のご計画においてはなくてならない必然的なことだったのです。イェシュアが捕らえられて、十字架で死なれ、聖書が示すように、三日目によみがえることがなかったとしたら、罪の贖いはなく、全イスラエルの回復も実現しません。その意味において、イスカリオテのユダの存在はきわめて好都合な存在だったと言えます。ヨハネの福音書13章27節には次のように記されています。最後の晩餐においてユダが「パン切れを受け取ると、そのとき、サタンが彼の中にはいった。そこで、イエスは彼に言われた。『あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。』」と。これはすべてを知っておられたイェシュアが御父のみこころを実現させるために、イェシュアの方からイスカリオテのユダにひと切れのパンを分け与えることで、ユダの裏切りをいわば先導させたかたちです。ユダの中に入ったサタンでさえも、被造物の中で最も賢く狡猾な存在でありながら、自分の巧みな策略が逆に神の計画を実現させてしまうとは夢にも思っていなかったはずです。高慢なサタンが神の知恵によって欺かれたことに気づいた時には「時すでに遅し」です。サタンは地団太踏んで悔しがったに違いありません。
  • このように、十二使徒の名前のリストの最初と最後、「ペテロと呼ばれるシモン」と「イェシュアを裏切ったイスカリオテのユダ」の二人に、全イスラエルの回復に実現させようとする神の隠された戦略を見ることができるのです。

2018.9.16


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