****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し完成します。******

イエスの死

No.22. イエスの死

【聖書箇所】マタイ27:50~56、マルコ15: 37~41、ルカ23:46~49、ヨハネ19:28~37

  • イエスが十字架において確実に死んだことを表わす表現として、共観福音書ではこぞって「息を引き取られた」(マタイ27:50, マルコ15:37、ルカ23:46)と記しています。しかしヨハネの福音書だけは、その死の確実性を表わすために、十字架につけられた二人の者は死を早めるために、「すねを折った」のですが、イエスの場合には、「すでに死んでおられるのを認めたので、そのすねを折らなかった」と記し、「イエスのわき腹を槍で突き刺」すと「血と水が出た」とヨハネは証言しています。

1. 神殿の幕が上から下まで真二つに裂けたこと(マタイ27:51, マルコ15:38)

  • ここで瞑想したいことは、イエスの確実な死によってもたらされたことです。三つの出来事が記されています。その一つ目は、「神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた」ことです。これは何を意味する出来事でしょうか。これはイエスの死によってもたらされた「天的現実の地的な現われ」と言えます。つまり、イエスの死によって、天にあるまことの聖所への道が開かれたことを意味します。この幕は至聖所と聖所を隔てている幕のことです。この幕が上から引き裂かれたということは、神がそれを引き裂いたことを意味します。人間が引き裂く場合には、下から上にということになるでしょう。しかしここで神の主権によって隔ての幕が引き裂かれ、人は自由に至聖所に行く道が開かれたことを意味します。つまり、イエスの流された血潮によって、私たちはいつでも神との親しい交わりが可能となったという天的事実のあかしです。
  • ヘブル人への手紙10章19節以降にこうあります。「・・私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。・・そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて・・全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」(19, 20, 22節)

2. 墓が開いて眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返ったこと(マタイ27:52)

  • 神殿の幕が上から下まで真二つに裂けたことが、「天的現実の地的な現われ」だとすれば、墓が開いて眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返ったことは、「地下的現実の地的な現われ」ということができます。つまり、イエスの死はすでに天だけでなく地の下にある死後の世界においても大きな影響を与えたということです。
  • ヘブル人への手紙2章14節以降にはこうあります。「・・・子たちはみな血と肉をもっているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人びとを解放してくださるためでした。」(14, 15節)

3. イエスが神の子であることに目が開かれた百人隊長

  • イエスが死ぬまでは分からなかったことが、イエスの死によって、ローマの百人隊長はじめてイエスの見張りをしていた者たちにも目が開かれました。そして彼の口をして「この方はまことに神の子であった」(マタイ27:54, マルコ23:39、ルカ23:47では「正しい人」)と言わせました。
  • これはやがて異邦人にもイエスが神の子であることに霊的な目が開かれて行くことを象徴する出来事と言えるかもしれません。
  • イエスの死によって引き起こされたこれら三つの出来事は、すべて神によってしかなし得ない出来事を象徴するものでした。イエスの血によってなんらはばかることなく、臆することなく、責められることなく、神の御前に近づくことができ、神との親しい交わりの保障、死とその恐れからの解放、そして霊的な目が開かれてより神を知ることができる世界へと私たちを招いてくださったイエスの死。その死を心から感謝するとともに、その死に応えて、新しい生ける道を歩み、神の豊かな祝福を味わう者とされたい。

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional