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イザヤが見た終末のヴィジョン

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65. イザヤが見た終末のヴィジョン

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【聖書箇所】66章1~24節

ベレーシート

  • イザヤ書の最後の66章には、さぞかし神のご計画の究極的なヴィジョンが記されているのではと思ってしまいます。ところが残念なことに、そうではありません。65章と66章には「終わりの日」に起こるさまざまな出来事、つまり、キリスト再臨前の患難期からはじまって、再臨後のメシア王国(千年王国)の祝福、最後の審判、そして新しい天と新しい地などのピクチャーがただ平面に並べられているだけです。そこには時系列はありません。

    画像の説明

  • もし、ある聖書解説書に、「キリストが再臨する時、現在の天地は滅び去り、全く異質の新しい天と地が神によって創造される。」と記されていたとすれば、それを読んだ人は混乱するはずです。なぜなら、キリストが再臨する時、即座に新しい天と新しい地が創造されると思ってしまうからです。メシア王国も最後の審判もなく、いきなり、新天新地が創造されるのではありません。また、新天新地の創造の後に「新しいエルサレム」が天から降りてくる出来事があります。どこに? エルサレムにです。そこからはじまることが永遠に続くのです。そしてそれこそが主にある私たちの永遠の希望なのです。
  • 預言者たちが「終わりの日」「その日」という言葉で語った終末の出来事の完全な時系列を作成することは容易なことではありません。しかし、ある程度の時系列を知らなければ、目的地だけを知らされて、そこへ行き着くための地図を持たずに行けと言われるようなものです。そうした不安を少しでも解消しながら、私たちの目的地に向かうためには、ある程度の時系列を知っていなければなりません。そのことで希望はより確かなものとなると信じます。その確かな希望へのヒントは、神の歴史と旧約の多くの預言者たち、およびイェシュアと使徒たちの書簡、新約聖書の唯一の預言書である黙示録の中にすでに語られているのです。

1. イザヤ書66章にある終末の「ピクチャー」

  • ひとつひとつのピクチャーの背景にある出来事を特定することも容易ではありませんが、敢えてそれを試みるならば、以下のようになります。節を追って見てみましょう。

(1) 神に喜ばれない神殿の建設

  • 1節に「わたしのために、あなたがたの建てる家は、いったいどこにあるのか。わたしのいこいの場は、いったいどこにあるのか。」とあるように、真の神殿はどこにあるのかと主は問いかけています。主の宮(神殿)を建てようとする人々に対して主が語っています。
  • バビロンからの捕囚後に建てられた第二神殿もA.D.70年にローマ軍によって破壊されました。ちなみに、新天新地においては神殿はありません。キリストの地上再臨によって実現するメシア王国における神殿は、神が喜ばないはずはありません。とすれば、1~4節にある主の宮(神殿)の建設は、反キリストによる患難時代の始まった頃と思われます。反キリストは、その支配の最初にユダヤ人たちからの信任を得るために主の宮を建てます。これが第三神殿と言われるものです。ところがそこでの礼拝は神のみこころにかなうものではないことが預言されています。
  • 反キリストの七年におよぶ支配のちょうど半分に当たる三年半が経過した時、突如として、反キリストは「聖なる所」において自分が神であることを宣言します(マタイ24:15)。そのときからユダヤ人にとっての本格的な大患難が始まります(同24:16~24)。黙示録11章1~3節にも神殿の存在をうかがわせる記述があります。しかし42ヶ月の間(つまり三年半)、異邦人によって聖なる都が踏みにじられると預言されています(黙示録11:2)。
  • 神のいこいの場である「エルサレムと神殿」は、神によってのみ建てられるのです。むしろ、神が常に目を留める者は「へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者」の存在です(イザヤ66:2)。

(2) 唐突な神の民の誕生

【新改訳改訂第3版】イザヤ書66章6~8節
6 聞け。町からの騒ぎ、宮からの声、敵に報復しておられる【主】の御声を。
7 彼女は産みの苦しみをする前に産み、陣痛の起こる前に男の子を産み落とした。
8 だれが、このような事を聞き、だれが、これらの事を見たか。地は一日の陣痛で産み出されようか。国は一瞬にして生まれようか。ところがシオンは、陣痛を起こすと同時に子らを産んだのだ。

  • 6~8節の預言は何を言わんとしているのでしょうか。「産みの苦しみ」である「陣痛」とは、反キリストによる大患難と解釈できます。なぜなら、それによって真の神の民が誕生するからです。換言すれば、神の民であるユダヤ人はゼカリヤの言う「恵みと嘆願の霊」が注がれて民族的に回心するからです。
  • ここでの「彼女」とは、シオン、エルサレム(いずれも女性名詞)に象徴されるイスラエルです。その「彼女」が「産みの苦しみをする前に産み、陣痛の起こる前に男の子を産み落とした」とは、メシア・イェシュアの初臨を意味しています。ところが、「陣痛を起こすと同時に子らを産んだのだ」とは、再臨前の反キリストによる大患難を通して、「イスラエルの残りの者」が神の子ら(=男の子)を産むのです。つまり多くの異邦人の神の民です。神が主権をもって一瞬にして「産ませた」のです。そこにキリストが地上再臨され、エルサレムは喜びで満ち溢れます。イザヤ書66章の唐突な神の民の誕生はメシア王国の誕生と関係があると言えます。

(3) エルサレムにおける神の民の喜び

  • 新しく生まれた神の民は、以下のように、エルサレムにおける祝福の流れに慰められます。

【新改訳改訂第3版】イザヤ書66章10~14節
10 エルサレムとともに喜べ。すべてこれを愛する者よ。これとともに楽しめ。すべてこれのために悲しむ者よ。これとともに喜び喜べ。
11 あなたは、彼女の慰めの乳房から乳を飲んで飽き足り、その豊かな乳房から吸って喜んだからだ。
12 【主】はこう仰せられる。「見よ。わたしは川のように繁栄を彼女に与え、あふれる流れのように国々の富を与える。あなたがたはを飲み、わきに抱かれ、ひざの上でかわいがられる。
13 母に慰められる者のように、わたしはあなたがたを慰め、エルサレムであなたがたは慰められる。
14 あなたがたはこれを見て、心喜び、あなたがたの骨は若草のように生き返る。【主】の御手は、そのしもべたちに知られ、その憤りは敵たちに向けられる。」

  • 第三神殿は反キリストの軍勢によって破壊されますが、エルサレムはメシアの再臨によってその支配におかれ、メシア王国の中心地となります。しかもその王国の基調は「喜び」(「サーマハ」שָׂמַח)と「楽しみ」(「ギール」גִּיל)なのです。
  • 祝福の表現の一つとして「乳房」という語彙が登場します。この「乳房」と訳されたヘブル語は「シャド」(שַׁד)で、「全能」を意味する「シャッダイ」(שַׁדַּי)とも関連するかもしれません。乳飲み子にとって、乳房からの乳は、生きていくためのすべてといっても過言ではありません。そのように理解するならば、「全能の神」(エル・シャッダイ)を「乳房の神」と言うこともできるのです。それは与えることを何よりも喜びとされる神にふさわしい名前です。乳房は豊かであり、だれもが飲んで飽き足るほどの祝福なのです(11節)。
  • 12~14節は、エルサレムにおける神の民の祝福が述べられています。ここでの神の民とは、イスラエルの「残りの者」たちであり、反キリストの軍勢から避難した先のボツラで悔い改めた神の民のことです。さらには、地上再臨のキリストとともに天から降りて来た結婚したばかりの花嫁(教会)の人々のことです。そして彼らはエルサレムに慰められ、心喜び、若草のように生き返るのです。新しいいのちを与えられた神の民は、喜んで神のみこころに従って歩む者に造りかえられます。
  • 神は患難時代を潜り抜けてメシア王国(千年王国)に入った神の民に対して、大いなる慰めと喜びを与えられるのです。メシア王国においては、預言者エレミヤ、エゼキエル、ゼカリヤが語った預言が完全に実現します。以下の箇所は、すべて有名な終末預言のテキストです。


①エレミヤ書32章39~41節

39 わたしは、いつもわたしを恐れさせるため、彼らと彼らの後の子らの幸福のために、彼らに一つの心と一つの道を与え、
40 わたしが彼らから離れず、彼らを幸福にするため、彼らととこしえの契約を結ぶ。わたしは、彼らがわたしから去らないようにわたしに対する恐れを彼らの心に与える。
41 わたしは彼らを幸福にして、彼らをわたしの喜びとし、真実をもって、心を尽くし思いを尽くして、彼らをこの国に植えよう。」

  • 他にも、以下を参照。
    ②エゼキエル書36章25~28節
    ③エゼキエル書37章1~14節
    ④ゼカリヤ書12章9~11節

(4) 火と剣によるさばき

  • ここでは患難時代を終わらせるために、メシアが地上再臨されるときの記述です。メシアは神の怒りの炎の中を天から下ってきます。

【新改訳改訂第3版】イザヤ書66章15~17節
15 見よ。まことに、【主】は火の中を進んで来られる。その戦車はつむじ風のようだ。その怒りを激しく燃やし、火の炎をもって責めたてる。
16 実に、【主】は火をもってさばき、その剣ですべての肉なる者をさばく。【主】に刺し殺される者は多い。
17 おのが身を聖別し、身をきよめて、園に行き、その中にある一つのものに従って、豚の肉や、忌むべき物や、ねずみを食らう者たちはみな、絶ち滅ぼされる。──【主】の御告げ──

(5) 諸国の民が主のもとに集められて主の栄光を見る

  • メシアの再臨とともに、地上のすべての国々から諸国の民がエルサレムに集められます。

【新改訳改訂第3版】イザヤ書66章18節後半~20節, 23節
18 ・・・わたしは、すべての国々と種族とを集めに来る。彼らは来て、わたしの栄光を見る。
19 わたしは彼らの中にしるしを置き、彼らのうちののがれた者たちを諸国に遣わす。すなわち、タルシシュ、プル、弓を引く者ルデ、トバル、ヤワン、遠い島々に。これらはわたしのうわさを聞いたこともなく、わたしの栄光を見たこともない。彼らはわたしの栄光を諸国の民に告げ知らせよう。
20 彼らは、すべての国々から、あなたがたの同胞をみな、【主】への贈り物として、馬、車、かご、騾馬、らくだに乗せて、わたしの聖なる山、エルサレムに連れて来る」と【主】は仰せられる。
・・・
23 毎月の新月の祭りに、毎週の安息日に、すべての人が、わたしの前に礼拝に来る」と【主】は仰せられる。


2. 神の最後の舞台は永遠の都エルサレム

  • 65章でもふれましたが、66章でも「エルサレム」という語彙が3回、その代名詞は4回出てきます。「エルサレム」こそ神のマスタープランの究極の舞台だからです。そして「新しい天と新しい地」においては、「新しいエルサレム」が天から降りて来るのです(ヨハネの黙示録21:9~10)。このようにして、エデンの園が完全に、しかも永遠に回復するのです。
    New Jerusalem.JPG

66:10 エルサレムとともに喜べ。すべてこれを愛する者よ。これとともに楽しめ。すべてこれのために悲しむ者よ。これとともに喜び喜べ。

66:13 母に慰められる者のように、わたしはあなたがたを慰め、エルサレムであなたがたは慰められる。

66:20 彼らは、すべての国々から、あなたがたの同胞をみな、【主】への贈り物として、馬、車、かご、騾馬、らくだに乗せて、わたしの聖なる山、エルサレムに連れて来る」と【主】は仰せられる。「それはちょうど、イスラエル人がささげ物をきよい器に入れて【主】の宮に携えて来るのと同じである。・・」


2014.12.10


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