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イスラエルに対する神の不変の愛とご計画の概要


3. イスラエルに対する神の不変の愛と神のご計画の概要

【聖書箇所】ホセア書 3章1~5節

ベレーシート

  • ホセア書3章は、イスラエルに対する神の不変の愛と、神のご計画(マスタープラン)の概要が記されています。ホセアに対する主の命令は、神のイスラエルの民に対するお取扱いを示唆しています。ここでイスラエルの民というのは、北イスラエルの人々(北10部族の民)を指しています。ホセアは北イスラエル出身の預言者であり、北イスラエルの人々に対して神のみこころを語りました。

1. 神の不変の愛による買い戻しの宣言

【新改訳改訂第3版】ホセア書 3章1~2節
1 【主】は私に仰せられた。「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。ちょうど、ほかの神々に向かい、干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの人々を【主】が愛しておられるように。」
2 そこで、私は銀十五シェケルと大麦一ホメル半で彼女を買い取った。

(1) 干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの人々

カナンの土着宗教.JPG
  • 干しぶどうの菓子」とは、小麦粉に干しぶどうを入れて作った菓子で、秋の収穫感謝祭の時に、天の女王と言われたアシェラにささげたものです。「天の女王アシェラ」は、ギリシア語では大女神「アルテミス」です。エペソとその周辺地域に福音が伝えられた結果、ただならぬ大騒動が起こりました。それは、使徒パウロが「手で造った物など神ではない」と人々に説き伏せたことによって、アルテミス神殿の模型を作っていた職人たちの収入が激減したためです。彼らは大いに怒り、「偉大なのはエペソのアルテミスだ。」と叫び続けたので、町中が大騒ぎとなったのです。この「アルテミス」こそ天の女王アシェラなのです。日本でそれに相当する神は天照大御神です。このようにカナンの土着宗教は、全世界の偶像を代表しているのです。

(2) 姦淫の女(妻)を代価を払って買い戻したホセア

  • ホセアは主から「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。」(1節)と命じられます。ここでは単に「女」とありますが、女の「イッシャー」(אִשָּׁה)には「妻」という意味があり、文脈を考えるならば、当然ここでの「女」とはかつての妻ゴメルであると理解できます。ただし、ゴメルはすでに女奴隷、あるいは神殿娼婦となっており、代価を払って買い戻さなければならない状況にあったようです。ホセアは主の命令に従い彼女を代価を払って買い戻します。その代価とは「銀十五シェケルと大麦一ホメル半」です。
  • 「銀十五シェケルと大麦一ホメル半」の代価というのはどれほどのものなのでしょうか。出エジプト記21章32節に奴隷の贖い金について記されています。

    【新改訳改訂第3版】出エジプト記21章32節

    32 もしその牛が、男奴隷、あるいは女奴隷を突いたなら、牛の持ち主はその奴隷の主人に銀貨三十シェケルを支払い、その牛は石で打ち殺されなければならない。

  • 「突く」とは「殺す」ことです。牛は家畜の代表格で最も価値のある家畜です。その牛が角で奴隷を突いて殺した場合、その牛の持ち主は奴隷の主人に対して銀貨三十シェケルを支払い、その牛をも殺さなければならないという規定です。とすれば、妻ゴメルを買い戻すために支払った「銀十五シェケルと大麦一ホメル半」とは、規定の半分は銀で、あとの半分は物品で支払ったと言えます。小麦ではなく大麦(小麦に比べて質が落ちる)が代価の一部とされていることから、妻ゴメルはかなり落ちぶれていたのかもしれません。いずれにしても、ホセアは主に命じられたとおりに、彼女の責任を問うこともせずに彼女を買い取ったのです。
  • 3章1節には「愛する」という意味の「アーハヴ」(אָהַב)がなんと4回も使われています。夫婦の愛は本来一体でなければならず、生涯、共に歩まなければなりません。ところがホセアの夫婦の場合、妻の方が他の男性に引かれていきました。非は妻にあります。にもかかわらず、夫のゴメルはその妻を取り戻すために代価を支払って買い取ったのです。これは、イスラエルに対する神の愛とあわれみの型です。

2. 捕囚としての期間と欠乏の日々

【新改訳改訂第3版】ホセア書3章3~4節
3 私は彼女に言った。「これから長く、私のところにとどまって、もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはならない。私も、あなたにそうしよう。」
4 それは、イスラエル人は長い間、王もなく、首長もなく、いけにえも、石の柱も、エポデも、テラフィムもなく過ごすからだ。

  • 3~4節で語られていることはどういうことでしょうか。買い取られた後に、妻のゴメルに待っていたことは何だったのでしょうか。それは、もう決して姦淫したり、他の男と通じたりしないために、ホセアの妻の場合は「これから長く、私(夫)のところにとどまる」ということが試されました。「買い取られる」ことと、夫婦としてのうるわしいかかわりを築くこととは異なるのです。
  • イスラエルの人々の場合も神に「買い取られる」のですが、その目的は、「王もなく、首長もなく、いけにえも、石の柱も、エポデも、テラフィムもなく過ごす」ということです。それは具体的に何が目指されているのでしょうか。
  • 妻ゴメルの買い戻しの場合には、ホセアとの夫婦としてのかかわりを築くために、ある期間家に引きこもってホセアにとどまる(「ヤーシャヴ」יָשַׁב)ことで、夫婦としてふさわしく回復できるかどうか、いわば「愛による猶予期間」が置かれているのです。これは南ユダの人々において成功したと言えます。というのは、偶像礼拝の罪のゆえに彼らが拠り所としていたエルサレムの神殿が破壊され、彼らは捕囚の身となり、バビロンの地にとどまります。そして彼らはそこで主の「トーラー」のすばらしさに目が開かれ、主を慕うようになったのです。これこそ、神が彼らを買い戻した唯一の目的でした。罪のゆえに死ぬのではなく、バビロンの捕囚とされたその目的は、彼らが偶像に心を向けることなく、真の神を求め続けるかどうかのテスト期間でした。そのテストに合格してはじめて、捕囚からの帰還が実現したのでした。しかし、彼らは目に見える偶像は求めなくなりましたが、目に見えない偶像を求めるようになり、A.D.70年にはエルサレムの神殿が破壊され、かつての北イスラエルの人々と同じく、再び世界離散の運命に置かれることになるのです。その意味では、北イスラエルの人々も南ユダの人々も同じ運命の中にあると言えます。
  • ところで、北イスラエルの人々の場合も同様、アッシリヤによる捕囚の身となり、南ユダの人々のように捕囚から解放されることなく、今も世界各地に離散しています。つまり、いまだ神との愛のかかわりが試されたままの状態に置かれているのです。4節にあるように、彼らは、長い間、「王もなく、首長もなく、いけにえも、石の柱も、エポデも、テラフィムもなく過ご」しているのです。
  • 「長く」(3節)、「長い間」(4節)とは「捕囚の期間」のことを意味しています。原文はいずれも「ヤーミーム・ラッビーム」(יָמִים רַבִּים)となっています。これまで彼らが特権としていたものが罪のためにことごとく神に取り上げられて、本来、彼らに与えられるべき神の祝福に至るまで、欠乏の日々を余儀なくされているのです。

3. 「終わりの日」の帰還と回復

【新改訳改訂第3版】ホセア書3章5節
その後、イスラエル人は帰って来て、彼らの神、【主】と、彼らの王ダビデを尋ね求め、終わりの日に、おののきながら【主】とその恵みに来よう。

  • 5節には、七つの終末論的な重要な語彙が多く含まれています。以下のことは決して比喩的な事柄ではなく、やがて実際に実現されることです。

(1) 「イスラエル人」とは、
ここでは「全イスラエル」を意味します。今日も多くのユダヤ人たちが祖国イスラエルに帰還していますが、未だ不信仰の状態で帰還しています。ここでの「イスラエル人」は、イェシュアこそメシアであると覚醒されたイスラエルの民のことです。

(2) 「帰って来る」とは、
神に立ち返ることを意味します。ホセア書の鍵語は「神に立ち返る」(「シューヴ」שׁוּב)ことです。このことが終わりの日に民族的に起こるのです。

(3) 「彼らの王ダビデ」とは、
全イスラエルを統治されるダビデ的メシアのことです。つまり千年王国における王なるメシアです。

(4) 「終わりの日」
(「べアハリート・ハッヤーミーム」בְּאַהֲרִית הַיָּמִים)とは、メシアが地上再臨されてメシア王国(千年王国)が実現するその時を意味します。

(5) 「尋ね求める」(「バーカシュ」בָּקַשׁ)とは、
メシアを自発的、主体的に慕い求めるようになります。そしてすべての者が主を知るようになるのです。これは聖霊の傾注がなければあり得ません。

(6) 「おののきながら」とは、
神に対する畏敬の念をもってという意味で、驚き、感謝、賛美、喜びなどを含んだ神への思いです。動詞「おののきながら」の原語は「パーハド」(פָּחַד)で「恐れる、畏れ敬う」という意味合いを持っています。

(7) 「その恵みに来る」とは
「恵みを求めて主に近づく」ことを意味します。神がその民に与えようとする「神の善」の総称としての「恵み」(「トーヴ」טוֹב)を、神の民は臆することなく、大胆に神に近づいて受け取るようになるのです。
原文には「近づく」という意味の動詞はありせん。「~の方に」という動作の方向を示す前置詞の「エル」(אֶל)が、以下のように、主と主の恵みに対してそれぞれ附随しています。

画像の説明


2015.3.6


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