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イスラエルの歴史を踏み直すイェシュア(改定)


4. イスラエルの歴史を踏み直すイェシュア(改定)

〔預言者を通して言われたことが成就するために〕

【聖書箇所】マタイの福音書2章13~18節

ベレーシート

●ヘロデ王がイェシュアを捜し出して殺害を企んだことにより、その結果として二つの出来事が起こったことが、マタイ2章13~18節に記されています。その一つは、イェシュアの家族がエジプトへ逃れなければならなかったこと。もう一つは、ベツレヘム近辺に住む二歳以下の男の子がひとり残らず殺されるという悲惨な出来事です。こうした原因と結果は、偶然に起こったことではなく、いずれも神の深い計画のうちにあったことなのです。ですから、「預言者を通して・・・言われたことが成就するためであった(成就した)」と記されています。すべて起こった出来事の中に神の必然性があります。

●結論を先に言うならば、この二つの出来事には、イェシュアがイスラエルの歴史を踏み直さなければならないという必然性があったのです。このことについて思いを巡らしてみたいと思います。

【新改訳2017】マタイの福音書2章13~15節
13 彼らが帰って行くと、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」
14 そこでヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに逃れ、
15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と語られたことが成就するためであった。


1. エジプトへの逃避行

●イェシュアを殺害するために、ヘロデ王はベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男子のすべてを殺したとあります(マタイ2:16)。二歳以下というのは、東方の博士たちがイェシュアの誕生を知らせたという最初の星の出現の時から計算して割り出されました。イェシュアはこのとき少なくとも 一歳から二歳だったということになります。決してイェシュアが誕生された頃ではありません。東方の博士たちがイェシュアに会うことができたのは、イェシュアがすでに立って歩くことのできた年頃だと思われます。というのは、羊飼いたちが見た「胎児、乳飲み子、みどりご」を意味する「ブレフォス」(βρεφος)ではなく(ルカ2:12, 16)、東方の博士たちが見、ひれ伏して礼拝したのは「幼子」を意味する「パイディオン」(παιδίον)という語彙が使われているからです(マタイ2:8)。

●イェシュアがやっと歩けるようになったとしても、エジプトへの逃避行は大変な旅であったことと思われます。すでに「この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするため定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。」と生後40日にエルサレムの神殿に詣でたとき(献児式)に老シメオンから聞かされていました(ルカ2:34)。それゆえ、主の使いがヨセフに夢で現れて、「立って幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。」と言われた時、まさにこのことば通りだと両親は思ったことでしょう。ヨセフは御使いの指示に従い、即座に、家族とともにエジプトに逃れました。

●しかしエジプトでの滞在期間は、イェシュアが少年になるほど長くはなかったようです。まだイェシュアが「幼子」(パイディオン)と呼ばれている頃に(マタイ2:31)、彼らはエジプトからイスラエルの地に戻り、さらにガリラヤの地、ナザレに帰っています。そして、そこでイェシュアは「知恵と年齢」を重ねていきました。イェシュアが「ナザレ」(ナザレはメシアの称号のひとつである「若枝」―「ネーツェル」נֵצֶרと語根が同じ)で育ったということにおいても、実に深い意味が隠されていますが、それについてはすでに2019セレブレイト・スッコートの初日の礼拝のメッセージ「メシアの資質」で扱いました。イェシュアの生涯のすべての事柄や出来事は、予め、神の緻密なご計画によって仕組まれ、啓示されています。偶然はないのです。その視点をいつも持ちながらイェシュアの生涯を見ていくときに、歴史の中にある隠されたかかわりが見えてきます。

2. 神の計画の中にあったエジプトへの逃避とそこからの呼び出し

●マタイの福音書2章15節によれば、ヘロデの迫害を免れるためにイェシュアの家族がエジプトに逃避したのは、神の計画であったことが分かります。「・・これは、主が預言者を通して、『わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した』と言われたことが成就するためであった。」と記されているからです。

●これはホセア書11章1節にある預言です。そこにはこう記されています。「イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、エジプトからわたしの子を呼び出した。」(新改訳2017)と。これはモーセの時代の時です。イスラエルは神がエジプトから呼び出した自分の子として語られています。イスラエルに対する神の愛が、子に対する父の愛のように表わされています。神の子となるために呼び出されたのではなく、神の子であるゆえに呼び出されたのです。ところがホセア書11章2節以降では、子が父である神の愛に対して裏切ったことが記されているのです。それゆえに、「これは、主が預言者を通して、『わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した。』と言われたことが成就するためであった」とあるのは、もう一度、イスラエルに代わって神の子であるイェシュアをエジプトから呼び出し、イスラエルの失敗の歴史を踏み直させるという神の意図が隠されているからなのです。

●かつて、ヤコブの息子たちはカナンでの飢饉によってエジプトに逃れ、そこでイスラエルの民として成長します。しかし400年後、エジプトの王パロの圧制による苦しみを経験し、モーセを通してエジプトから脱出します。そのころのイスラエルは、まだ神にとっては「幼子」のごとしだったのです。神とイスラエルの関係を父子関係に例えるなら、出エジプト当時のイスラエルは「幼子」として表現されますが、それが夫婦関係で例えられる場合には、「若き婚約時代の誠実な愛」の関係なのです(エレミヤ書2章2節)。

●ちなみに、岩波訳では「新婚」と訳しています。そのヘブル語は「ケルーロート」(כְּלוּלוֹת)です。旧約では、「婚約」は結婚とほとんど同義だったため、「新婚」と訳されているのです。そのため、イェシュアがマリアの胎にいたときはまだ婚約中でしたが、内実としては、「結婚」を意味していました。

●神とイスラエルの関係も、最初は新婚時代のような初々しい誠実な愛の従順な関係があったのです。しかしそうした愛を捨て去って、イスラエルは別の夫(偶像)を求めて神から離れてしまいました。それゆえ神は、本来、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」という真の目的を果たすために(満たすために、成就するために、完結させるために)、再度、神ご自身が遣わした幼子イェシュアを遣わすことによって、歴史を踏み直させる必然性があったのです。それは右の表に見られるように、キリストによる踏み直しの一歩でした。

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3. 悲嘆にくれる神の民に希望を与えているエレミヤの預言

【新改訳2017】マタイの福音書2章16~18節
16 ヘロデは、博士たちに欺かれたことが分かると激しく怒った。そして人を遣わし、博士たちから詳しく聞いていた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子をみな殺させた。
17 そのとき、預言者エレミヤを通して語られたことが成就した。
18 「ラマで声が聞こえる。むせび泣きと嘆きが。ラケルが泣いている。その子らのゆえに。慰めを拒んでいる。子らがもういないからだ。」

●さて、次に取り上げたいことは、なぜ「ラケル」が登場しているのかという疑問です。マタイは「預言者エレミヤが預言したことが成就した」と記していますが、エレミヤは何を預言したのでしょうか。それとラマとどのような関係があるのでしょう。ラマでいったい何が起こったのでしょう。ラマとラケルとの間にいったいどんなかかわりがあるというのでしょうか。それらを知るためには歴史的な背景を調べる必要があります。

●マタイはエレミヤ書31章15節を引用して、「ラマで声が聞こえる。むせび泣きと嘆きが。ラケルが泣いている。その子らのゆえに。慰めを拒んでいる。子らがもういないからだ。」と記しています。ラケルはヤコブの最愛の妻です。だれの目にも美しく愛らしい女性であったようです。しかしその結婚生活は必ずしも幸せとは言えなかったようです。それは夫のヤコブにもう一人の妻(自分の姉レア)がいたからです。夫のヤコブはラケルを愛し、優しかったようです。しかし、当時においての妻としての実力という点では、明らかに姉のレアの方が勝っていました。レアは多くの子(男子)を産んでいたからです。ラケルはその意味では立場が苦しかったのです。レアが6人の息子と1人の娘を産んだあとに、ラケルは初めて息子のヨセフを産んでいます。ヤコブにとっては11番目の子どもでした。ヨセフという名前は母ラケルが付けた名前です。その名前は「主がもうひとりの子を加えてくださるように」という意味で、願いを込めてつけられた名前です。ラケルの祈りは聞かれて、もうひとりの息子(ヤコブにとっては最後の息子となる)が生まれるのです。ところが、その息子の出産は難産でした。子どもは無事に生まれましたが、ラケルはそのお産によって命を落としたのです。

●祈りが聞かれて与えられた子が母の肌のぬくもりも顔も知ることなく生きて行かなければならないことを思ったとき、それだけでもラケルは胸が締めつけられる悲しみを覚えたに違いありません。それゆえラケルはその子を「ベン・オニ」(悲しみの子)と名付けました。ラケルの気持ちのすべてが、その子どもの名前に表されています。ところが、ヤコブは縁起でもないと思ったのか、その子の名前を「ベニヤミン」(右の手)と改名してしまいました。しかしラケルの遺言はどこまでも「悲しみの子、ベン・オニ」なのです。生まれたばかりの子を残して、悲嘆のうちにこの世を去らなければならなかったラケルの心の痛みを、だれよりも深く理解した人物がいました。この人物こそ預言者エレミヤなのです。ここにラケルとエレミヤとのつながりがあります。

●エレミヤはなんとベニヤミン(ベン・オニ)族の領地にいた祭司の家系です。エレミヤの先祖にかつてダビデに仕えた有名な祭司アビヤタルがいます。しかし、ダビデの王位をめぐって対立したアドニヤとソロモンとの抗争において、アビヤタルはアドニヤを支持したことで、彼の運命はそこから下降線をたどり、結局、ベニヤミン領の寒村アナトテに追放されてしまいます。それから三百年後にその家系からエレミヤが預言者として神に召し出されたのです。そうした不遇な痛みのある家系の中に育ったエレミヤには、ラケルの痛みを共有できる感受性があったと思われます。

●そのエレミヤが、北イスラエルがアッシリアの支配によって滅ぼされた後、やがてユダ王国の首都エルサレムと神殿がバビロンによって崩壊し、多くの民たちがバビロンの地へ捕囚となる現実が近づきつつある頃に語ったのが、マタイに引用されたエレミヤ書31章15節のことばー「主はこう言われる。『ラマで声が聞こえる。嘆きとむせび泣きが。ラケルが泣いている。その子らのために。慰めを拒んでいる。その子らのゆえに。子がもういないからだ。』」-でした。

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●「ラマ」という地名はエルサレムの北9kmにあるベニヤミン族の領地です。北イスラエルとユダの境界線に位置しています。この「ラマ」はやがてエルサレムの民が捕囚となっていくときの集合地となった場所です。ちなみに、エレミヤはバビロンに連行されかけますが、このラマで釈放されています(エレミヤ40:1)。バビロンの包囲によって経験したエルサレムの住民の想像を超えるような悲惨さは、「哀歌」が伝えているところです。まさに、「ラマ」は神の民が経験した、想像を超えた悲しみの象徴的な場所なのです。

●すでにアッシリアによって異教の地に捕え移されて消息が分からなくなった同胞たちの痛恨の声、それにやがてバビロンへと捕囚の運命にある同胞の痛恨の声に、死の床で生まれたばかりの子との離別を強いられた母ラケルの痛恨の声とが入り混じった声―その声をエレミヤは聞いたのです。まさに、「ラケル」は自分の子を失い、自分の国を失い、心の支えを喪失したすべての者の象徴的な存在なのです。しかし、エレミヤが語った31章15節のことばはそれだけで完結するものではありません。次節の16、17節が記されていることを見落としてはなりません。

【新改訳2017】エレミヤ書31章16節~17節
16 【主】はこう言われる。「あなたの泣く声、あなたの目の涙を止めよ。あなたの労苦には報いがある
からだ。──【主】のことば──彼らは敵の地から帰って来る。
17 あなたの将来には望みがある。──【主】のことば──あなたの子らは自分の土地に帰って来る。

●ここでエレミヤは、悲嘆にくれ、安易な慰めを拒んでいる同時代の同胞(霊的なラケル)に、目の涙を拭いて、希望を持って生きることを力強く語っているのです。イェシュアの出現によって殉教した幼子たちの死、そこにも多くの母ラケルがいたのです。そのラケルたち(母たち)の涙を拭くことのできる方は、エジプトからもう一度、イスラエルの歴史を踏み直してくださるイェシュアなのです。

ベアハリート

●ところで、イスラエルの歴史とイェシュアの踏み直しの生涯(歴史)は「型」です。この「型」のオリジナルはアブラハムにすでに預言的に啓示されています。彼が飢饉によってエジプトに下りましたが、そこで神がパロを裁いたことで、アブラハムの一族郎党はエジプトの富を携えてエジプトを出、約束の地に戻って来ました。このような預言的啓示は、神の歴史において何度も繰り返され、最終的な成就を示唆しているのです。ユダヤ的視点では、預言を予告としてではなく、パターン(型)であると見なします。つまり未来に起ころうとすることを理解するためには、過去に起こった出来事を知る必要があります。しかも預言の成就は複数です。そしてその一連の成就は最終的な成就に関することを教えているのです。

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2019.10.19


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