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イスラエルの歴史(バビロン捕囚以降)

〔2〕ローマの支配時代におけるユダヤ人のパラダイム形成

ユダヤ人のアイディンティティの危機を通して形成されたパラダイム脚注3〕

はじめに

  • イエスを理解するためには、聖書の全般的な知識や霊的洞察だけでなく、歴史的認識が必要である。つまりイエスが生きていた時代をどう理解するかである。当時、イエスに対して投げかけられた問いが何であったのか、その時代背景やユダヤ人がある時代に培われた思想環境(パラダイム)がなんであったのかを正しく理解するのでなければ、イエスの答えを理解することはできない。これから、イエスの時代にイスラエルという国がどのような状況にあったか、また、当時の人々はどんな人たちであったかを見ることにしよう。というのも、それを知ることによって、今日の時代に生きる私たちにとっても重要なメッセージが見えてくるからである。

1. イスラエルの歴史(バビロン捕囚以降)

(1) 捕囚と帰還時代

  • 北王国イスラエルの10部族はBC772年にアッシリアの捕囚となり、サマリヤは異邦人の植民地となって「サマリヤ人」という共同体が形成されていった。南王国ユダもBC586年、エルサレムの神殿が破壊されてバビロンの捕囚となったが、BC539年バビロンはペルシァの王クロスによって倒される。クロスが捕囚の民に与えた故国帰還の許可(前538年)に促されて、ユダヤ人たちは総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアを先導として帰国した。
  • 帰国した人々は、早速、神殿再建に着手し基礎を据えたが、周囲の住民の反対とペルシァ王への訴状によって中断される。しかし預言者のハガイとゼカリヤの励ましにより、BC515年に第二神殿は再建された。それはソロモンの神殿が破壊されてからほぼ70年後のことであった。しかし城壁の修復は妨害のため行われなかった。やがてBC458年に、律法学者であり祭司でもあったエズラがエルサレムに着き、律法を解き明かした(エズラ7章)。その13年後のBC445年に、ネヘミヤが総督の権限を与えられて帰国し、52日で城壁を修理し、エズラと協力して国内の政治改革と宗教改革を行い,厳格な律法遵守による神権政治を開始した。〔脚注4〕

(2) 中間時代・・混迷の時代

  • ペルシァ帝国(BC536~BC332)がギリシァのアレキサンダー大王によって征服され(BC331年)、ギリシァの支配下に置かれるようになった時からローマ時代に移ってイエス・キリストが生れるまでの期間は、ユダヤ民族にとって内外共に試練の時であり、ヘレニズムの影響を受けた時代であった。〔脚注5〕 
  • BC300年から前200年の間になされた注目すべきユダヤ人の作業の一つとして旧約聖書のギリシァ語訳が挙げられる。〔脚注6〕また、BC200年からBC100年の間の出来事として、ユダ・マカベアの勝利(BC165年)とハスモン王朝の始まりがあり、「サドカイ派」「パリサイ派」「熱心党」などの発生によって新約時代へ舞台が備えられていった。

バビロン・ペルシャ時代 

  • BC586年のエルサレム破壊~BC332年のアレキサンダー大王による世界征服(アッシリア、ペルシア、バビロン、エジプト、パレスチナ)まで。

ヘレニズム時代 (Ⅰ) BC323~BC164

  • アレキサンダー大王の死後(BC323)、ギリシァ帝国は四つに分割。パレスチナはエジプトのプトレマイオス王朝の支配下におかれる。その寛容政策により、ユダヤは神殿礼拝、および律法を中心とした自主的な宗教政策が許された。しかし一方で、ヘレニズム化が進み、ユダヤ教の内部でも伝統派とユダヤのヘレニズム化を促進するヘレニズム派との対立が激化するようになり、BC175年には緊張の極みに達しつつあった。これによってユダヤ人は、ユダヤ人とは何かであるかというアイデンティティに関わる問題の問い直しを迫られ、同時に、自己の信仰を守るか、棄てるかという決断状況に立たされることになった。
  • BC167年に、シリアの王アンティオコスは、ユダヤに対する徹底的な宗教弾圧を開始した。律法に従う生活が禁じられ、エルサレムの神殿にゼウス・オリンポスの祭儀を行なわせ、これに参加しない者や律法を守ろうとする者たちを処刑した。これはイスラエル・ユタヤ民族がそれまで歴史上経験したことのない最大の迫害であった。

ヘレニズム時代(Ⅱ) BC164~BC63 ハスモン王朝時代

  • この迫害に対して、ハスモン家に属するマタテヤガ立ち上がり、ユダヤの独立戦争が始まる。これが<マカベアの反乱>である。BC165年、マタテヤの長子ユダの指揮の下にヘレニズム派の牙城であったエルサレムを奪還し、神殿を清めて以前の状態にした。この出来事は「宮きよめ」として、ユダヤ教における重要な年中行事の一つ「ハヌカ祭」の起源となった。これにより、ユダヤの独立時代(100年間)を迎えた。実に、BC587年のユダ王国滅亡後、約450年ぶりに独立国家として再生したのである。これ以後、BC30年のローマによる征服までをハスモン王朝時代と呼ぶ。BC63年、ローマの三頭時代(カエサル、クラッス、ポンペイウス)の一人、ポンペイウスが率いるローマ軍によってパレスチナは征服され、エルサレムは陥落。ポンペイウスは、エドム人(エサウの子孫)アンティパテルをユダヤの支配者に任命した。

ローマ時代 BC37~AD70ヘロデの時代(ヘロデ大王BC37~4、ヘロデ・アンティパスBC4~AD39-ガリラヤの領主、ヘロデ・アグリッパAD48~70)

  • BC30ローマ帝政が始まる。初代皇帝はアウグスト(BC30~AD14)、
    AD14~37はテベリオ)
    BC 4 イエスの誕生     
    AD31  イエスの公生涯
    AD33 イエスの十字架と復活
    AD70 <エルサレム陥落> キリスト教迫害の時代がはじまる



脚注3〕

  • 「パラダイム」とは、ある時代・民族・社会において、長い期間かかって培われた物事を認識する基本的態度、共通の大前提となっている思考・考え方・解釈の枠組みなどを包括的に表わした用語である。

脚注4〕

  • エズラの改革によって大祭司が国の頂点に立ち礼拝が規則正しく執行されるようになった。またエズラはシナゴーグ(会堂)礼拝を組織した。それにともない、律法を研究し、それを教える学者たちが台頭するようになった。後に、エズラは大会堂と呼ばれる議長となる。これは120人によって構成された組織であって、後、BC3世紀になってからこの組織はサンヘドリン(最高議会)が引き継ぐことになる。サンヘドリンは70人の議員によって構成され、その議長は大祭司であった。その構成員は、祭司たち、パリサイ主義者たち、長老たちからなっていた。このように大祭司は宗教的な役割だけでなく、政治的な役割も兼ね備えることとなった。しかしこのサンヘドリンも、AD70年にエルサレムとともに崩壊することになる。

脚注5〕

  • ヘレニズムとは、ギリシャ人の文化・文明を意味する。その目的は「自己追求すること」(エロスともいう) である。どうすれば自分が生きるか、どうすれば自分を表現できるか、どうすれば自分が立派になれるか、それが彼らの文化、文明、芸術であった。アレキサンダーのやり方は、国を征服してそこにギリシャ人を植民し、自分たちの信じるヘレニズムというものを世界の隅々まで実現させることであった。ヘレニズムは今日でも、ヨーロッパ・アメリカ、そして日本にもその影響を与えている。

脚注6〕 

  • アレキサンダー大王がアジア、アフリカ、ヨーロッパを征服したころ、植民地の国々にギリシャ語の使用を強制したことにより、地中海世界全体の共通語としてギリシャ語が一般化された。ちなみに、新約時代には、イスラエル地方ではアラム語か用いられていた。BC250年頃に旧約聖書が70人の翻訳者でなされた事から、一般にギリシァ語訳の旧約聖書の事を70人訳聖書(ローマ数字で70を意味するLXXと言う略号がよく用いられる。)と言われる。また、新約聖書もギリシャ語で書かれたことにより、メシア来臨のための時代環境が整えられることとなった。

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