イスラエルは必ず捕囚となって連行される
聖書を横に読むの目次
7. イスラエルは必ず捕囚となって連行される
【聖書箇所】アモス書7章1~17節
ベレーシート
- 北イスラエルに対する神のさばきは、6章にもあったように「捕らわれ人として引いて行かれる」(7節)というものでした。このことは7章~9章10節に至るまで、変更不可能な神の災いとしてもたらされることがより明確になって行きます。
1. 神のさばき(災い)の幻
- 7章にはアモスの見た五つの幻のうち、最初の三つ(第一~第三)が記されています。それは以下の通りです。
(1) 地の青草を食い尽くすいなごの幻(7:1~3)
(2) 大いなる淵と地を焼き尽くす火の幻(7:4~6)
(3) 主の手にある重りなわの幻(7:7~9)
- 「重りなわ」とは建築用の道具です。城壁を築く際に石を高く積み上げていきますが、その際、真っ直ぐかどうか垂直度を正確に測る必要があります。そうでなければ、城壁の強度は保障されません。同様に、神の民イスラエルが神の民として真っ直ぐに立つためには、神の基準である「重りなわ」(神のみことば)によって正しく計られることが不可欠なのです。
2. 神が災いを「思い直される時」
- 最初の二つのさばきである「いなごの幻」と「火の幻」をアモスが見た時、いずれも、神にとりなしの祈りをしています。「神、主よ。どうぞお赦しください。ヤコブはどうして生き残れましょう。彼は小さいのです。」(2節)。「神、主よ。どうか、おやめください。ヤコブはどうして生き残れましょう。彼は小さいのです。」(5節)と。すると、主はこのことについて「思い直され」ました。
- 神が「思い直される」場合には二つあります。一つは、悔い改めて神に立ち返る時です。この例はヨエル書では2章13~14節にあります。もう一つは、だれかがとりなしをした時です。アモス書では預言者アモスがとりなしをした時でした(7:2, 5)。原語の「ナーハム」(נָחַם)は、「慰める」「悔いる」「残念に思う」という意味がありますが、ここのように「思い直す」という意味もあるのです。
- モーセが民のためにとりなして嘆願したときにも、主はわざわいを「思い直され」ました(出32:14)。他にも、Ⅱサムエル24章16節(Ⅰ歴代誌21:15)、エレミヤ書26章19節、42章8~10節等を参照。前者の「悔い改める」ことで主がわざわいを「思い直される」例としては、エレミヤ書18章8節、26章3節等を参照。
- ところで、アモスが神の災いの第一の幻と第二の幻を見て、イスラエルのためにとりなした時、主はそのわざわいを思い直し、「このことは起こらない」(3節、6節)と確約されました。しかし第三の幻(主の手にある「重りなわ」の幻)以降では、アモスはとりなしをするのをやめています。なぜなら、主が次のように言われたからです。
【新改訳改訂第3版】アモス書7章8~9節
8 【主】は私に仰せられた。「アモス。何を見ているのか。」私が「重りなわです」と言うと、主は仰せられた。「見よ。わたしは重りなわを、わたしの民イスラエルの真ん中に垂れ下げよう。わたしはもう二度と彼らを見過ごさない。
9 イサクの高き所は荒らされ、イスラエルの聖所は廃墟となる。わたしは剣をもって、ヤロブアムの家に立ち向かう。」
3. 北イスラエルのベテルの神殿の祭司アマツヤとアモスの対決
- アモスと対決することになる祭司「アマツヤ」のことを「アマジヤ」と表記している場合もありますが、原語は「アマツヤフー」(אֲמַצְיָהוּ)ですから、「アマツヤ」と表記すべきです。「強い」を意味する動詞の「アーマツ」(אָמַץ)と「主」を意味する「ヤー」(יָה)の合成語で「主は強い、主は強くあられる」ことを意味する名前です。語尾の「(ヤ)フー」は発音してもほとんど音にならないので、「ヤー」と聞こえるのです。
- ところで、アモスの語る預言は、祭司アマツヤにとってはとても受け入れられるようなものではありませんでした。アモスがアマツヤから北イスラエルの本拠地であるベテルでは二度と預言するなと言われてしまうのは至極当然のことでした。そんなアマツヤに対する主のことばは、より厳しい、恐ろしいものでした。
【新改訳改訂第3版】アモス書 7章17節
それゆえ、【主】はこう仰せられる。『あなたの妻は町で遊女となり、あなたの息子、娘たちは剣に倒れ、あなたの土地は測りなわで分割される。あなたは汚れた地で死に、イスラエルはその国から必ず捕らえられて行く。』
●17節の「あなた」とは祭司アマツヤのことです。
● 「汚れた地」とは異邦の地、すなわちアッシリヤの地を意味します。
●「イスラエルはその国から」の「その」とは何を指すのでしょうか。それは「アッシリヤ」のことではなく、「神が賦与した」という意味です。つまり、神が賦与した地から遠く離れた地(アッシリヤ)に連れ去られるという預言です。ちなみに、北イスラエル王国に対する神のさばきは外敵(アッシリヤ)の侵攻による滅亡という形で執行されますが、それはヤロブアム二世の死後約30年後のことでした。
●アマツヤとその家族に向けられた預言は決して快いものではありません。彼の妻が町で遊女となるというのは、夫のアマツヤが捕囚の地に送られるため、それまでの贅沢三昧の居心地のよい生活が取り去られ、拠り頼むものを喪失した妻は生き延びるための屈辱的手段である遊女(売春婦)にならざるを得なくなります。また子どもたち(息子と娘たち)も殺されてしまいます。さらには、アマツヤの所有していた土地は分割され、他の人々のものとなってしまうのです。
2015.2.21
a:5066 t:1 y:2