****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

イスラエル全家の回復は主の聖なる名のため

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34. イスラエル全家の回復は主の聖なる名のため

【聖書箇所】 36章1節~38節

 ベレーシート 

  • エゼキエル書36章は大きく二つの部分からなります。一つは、土地の回復の預言です(1~15節)。もうひとつは、イスラエルの全家の内的回復の預言です(16~38節)。36章で語られている回復の預言は、バビロンからの帰還としての回復のことではありません。ずっと後のことの預言です。それは反キリストによる大患難時代の後に起こることです。

1. イスラエルの山々の回復の預言

新改訳改訂第3版 36章

8 だが、おまえたち、イスラエルの山々よ。おまえたちは枝を出し、わたしの民イスラエルのために実を結ぶ。彼らが帰って来るのが近いからだ。

10 わたしは、おまえたちの上に人をふやし、イスラエルの全家に人をふやす。町々には人が住みつき、廃墟は建て直される。
11 わたしは、おまえたちの上に人と獣をふやす。彼らはふえ、多くの子を生む。わたしはおまえたちのところに、昔のように人を住まわせる。いや、以前よりも栄えさせる。このとき、おまえたちは、わたしが【主】であることを知ろう。

※「ふえる」「ふやす」という言葉(「ラーヴァー」רָבָה)が目立つます。

  • イスラエルの地が回復する時、そこに人々が帰還して羊の群れのようにふえ、家畜や地の産物も増えて豊かになります。1948年に突如イスラエルが建国されてから、今や世界中から多くのユダヤ人たちが帰還し続けています。それまで荒廃していた地、廃墟と化して捨てられていた地が建て直され、かつては何もなかったところに今は都市が誕生しています。それはまさに「エデンの園のようになった」と表現されています。なぜなら、イスラエルの地は神の民であるイスラエル(ユダヤ人)に神が与えた嗣業の地だからです。とは言え、彼らはイェシュアをメシアとして信じて帰還しているわけではありません。ですから、エゼキエルの預言は成就したとは言えないのです。

2. イスラエルの全家の帰還と内的回復の預言

  • 16節以降には、イスラエルの全家が散らされたあらゆる国から集められ、「新しい心と新しい霊」を授けられて、神の民としての回復が実現するという預言です。1700年間、イェシュアをメシアと信じるユダヤ人はだれ一人として存在しませんでしたが、1970年以降、メシアニック・ジューという人々が起こされてきました。彼らこそ「新しい心と新しい霊を授けられた人たち」です。置換神学(脚注)によってユダヤ的・ヘブル的ルーツを断ち切られたキリスト教会の歴史に、再び、ユダヤ的・ヘブル的ルーツを取り戻しているのがメシアニック・ジューの人々で、おそらく、彼らこそ「イスラエルの残りの者」と言われる存在だと思われます。しかし彼らは「教会」のメンバーのユダヤ人ではありますが、民族としてのイスラエルそのものではありません。「教会」においてはユダヤ人も異邦人の区別はありません。キリストにあって隔ての壁は打ち破られてひとつとなっています。しかし民族としてのイスラエルと教会とは、異なる扱いを神は最後の最後になされます。それは、民族としてのイスラエルには神の証人となるという召命が与えられているためです。
  • A.D.70年のエルサレム神殿がローマ軍によって完全に破壊され、多くのユダヤ人は殺され、また奴隷として多くの国に離散していきました。しかし今や主は彼らを「諸国の民の間から連れ出し」ておられるのです。すべての国から集めておられます。そして彼らに与えられたイスラエルの地に連れて行っていますが、これは最終的に神がご計画しておられる「型」です。
  • イスラエル(ユダヤ人)は散らされたそれぞれのところで主の名を汚しました。それはどういうことかと言えば、「主の民であるのに、主の国から出された」と諸国の民から言われたからでした。それゆえ主は、ご自身の「聖なる名のために」彼らを回復しようとしておられるのです。以下の預言が、神が最終的になそうとしておられることです。

【新改訳改訂第3版】エゼキエル書36章19~28節
19 わたしは彼らを諸国の民の間に散らし、彼らを国々に追い散らし、彼らの行いとわざとに応じて彼らをさばいた。
20 彼らは、その行く先の国々に行っても、わたしの聖なる名を汚した。人々は彼らについて、『この人々は【主】の民であるのに、主の国から出されたのだ』と言ったのだ。
21 わたしは、イスラエルの家がその行った諸国の民の間で汚したわたしの聖なる名を惜しんだ。
22 それゆえ、イスラエルの家に言え。神である主はこう仰せられる。イスラエルの家よ。わたしが事を行うのは、あなたがたのためではなく、あなたがたが行った諸国の民の間であなたがたが汚した、わたしの聖なる名のためである。
23 わたしは、諸国の民の間で汚され、あなたがたが彼らの間で汚したわたしの偉大な名の聖なることを示す。わたしが彼らの目の前であなたがたのうちにわたしの聖なることを示すとき、諸国の民は、わたしが【主】であることを知ろう。──神である主の御告げ──
24 わたしはあなたがたを諸国の民の間から連れ出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行く
25 わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、
26 あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。
27 わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる。
28 あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住み、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。

  • 「連れ出す」(導き出す)は、本来「取る」という意味の「ラーカハ」(לָקַח)、「集める」の「カーヴァツ」(קָבַץ)、「連れて行く」の「ボー」(בּוֹא)は重要な回復の恩寵用語です。さらに主は、再び主の名を汚されることのないように特別な恩寵を与えます。それが「新しい心と新しい霊を授ける」という約束です。それは同義的な表現として、彼らの「石の心(頑なな心)を取り除き」、彼らに「肉の心(柔らかな心)を与える」と言い換えられています。エゼキエルはエレミヤ(31:31以降)よりも詳しく、神がどうようにして新しい状態を造るのかを説明しています。つまり、新しい契約を実行するのは、神の創造の働きによる聖霊の力によって行われるものであり、その契約は神と人との完全な交わりを造ることを目的としています。このことによって、イスラエルの全家は主のおきてに従って歩み、主の定めを守り、行うことができるのです。

    画像の説明

  • イスラエルの全家の内的・霊的回復は、まさに御父の不変のご計画であり、心躍る驚くべきみわざです。そして現代、それがどのように進んでいるかに目を配ることは重要なことですが、人の助けによってそれを実現することは不可能です。あくまでも神ご自身の主権によって事を成就されるからです。それは異邦人のキリスト者においても密接なかかわりがあると思われます。特に、ユダヤ的・ヘブル的視点からの聖書の解釈が見直され、その影響を多分に受けるようになる時代を迎えているところにそれを見ることができます。神のご計画による完全な回復は、キリストの再臨を待たなければなりません。
  • キリスト教会においてユダヤ的・ヘブル的ルーツが断ち切られた「置換神学」と、18, 19世紀の伝道至上主義によって強調されてきた「個人的な救い」のために、初代教会が伝えた「福音の理解」、また「神の国」についての理解はかなりゆがめられたものとなってしまいました。いや、そのことさえ気づかずにいるキリスト者が多いのです。これは「的外れ」、つまり明確な神に対する罪です。しかし「終わりの日」が近づくにつれて、主はユダヤ人のみならず、異邦人の上にも「新しい心と新しい霊」を注いで、本来のあるべきところへと私たちを導こうとしていると信じます。
  • 私たちがイスラエルの物語を正しく理解し、また神の預言をあるがままに理解するならば、これまで覆い隠されていたイェシュアの語ったことばが、イスラエルの物語を背景にしたものであることがよく理解でき、これまでの理解の型紙に当てはまらない真理を、驚きをもって悟るようになるのです。このことは、これからの時代においてますます速度を増しながら起こってくるものと信じます。それゆえ、ウキウキ・ドキドキ・ワクワクしながら、日々、みことばが開かれて、「主の御顔を仰ぎ見る」ことを喜びたいと思います。


脚注
「置換神学」については、⇒こちらのサイトをご覧ください。

2013.6.29


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