エリファズのヨブに対する反論(2)
11. エリファズのヨブに対する反論 (2)
【聖書箇所】15章1節~35節
ベレーシート
- 「売り言葉に買い言葉」、「ああ言えばこう言う」というように、ヨブと友人の代表格のエリファズとの対論の第二ラウンドが始まります。15章の冒頭にある語彙は「知恵」(「ホフマー」חֳכְמָה)です。前のヨブの弁論で「あなたがたが死ぬと、知恵も共に死ぬ」(12:2)、「老いた者に知恵があり、年のたけた者に英知があるのか」(12:12)、「知恵と力とは神とともにあり、思慮と英知も神のものだ」(12:13)とヨブが友人たちに対して放った強烈な皮肉に応答して、エリファズが語った対論が15章です。エリファズもヨブに対して皮肉ったことばを投げかけています。そのことばを拾ってみましょう。
1. エリファズのいう知恵とは
- 15章8節のことばに注目してみたいと思います。
【新改訳改訂第3版】
あなたは神の会議にあずかり、あなたは知恵をひとり占めにしているのか。
【新共同訳】
神の奥義を聞き/知恵を自分のものとしたのか。
【中澤洽樹訳】
神の会議を盗み聞きし、知恵を独占しているのか。
【関根訳】
君は神の親しき集いに陪席し、智慧を自分のものにしたというのか。」
- 「会議」「奥義」「親しき集い」と訳されたことばは「ソード」(סוֹד)という名詞です。「秘密を親しく語り合うような間柄」を意味することばです。神との親しい会議において神の秘密に触れることは神を求める者に約束された特権です。しかし、ここでは良い意味として使われているのではなく、ヨブの不遜な態度を皮肉った意味で使われています。
- 「ソード」(סוֹד)は、旧約では21回使われていますが、ヨブ記では3回(15:8/19:19/29:4)使われています。神のみことばを「ミドゥラーシュ」(מִדְרָשׁ)しつつ、神の隠された秘密を見出すことは決して不遜なことではなく、聖霊の助けによって可能なのです。なぜなら、聖霊は真理の御霊であり、みことばの隠された真の意味を悟る油注ぎを与えて下さるからです(Ⅰヨハネ2:20)。そして、御霊の賜物の最初に来るのは「知恵と知識の霊」だからです(Ⅰコリント12:8)。
- ところで、エリファズのいう「知恵」とは、昔の人の伝統にあると考えているものです。それゆえ、ヨブに対して「君は人類の始祖なのか。山々よりも前に生まれたのか」(7節、中澤訳)と皮肉っています。
2. 伝統的な悪者への因果応報的運命
- エリファズのいう知恵とは、「悪者」(神を敬わない者)は必ず衰退する運命にあるというものです。どんなに顔があぶらぎっていても、腰の回りが脂肪でふくらんでいたとしても、その最後には、神が介入して、実は振り落とされ、花は落とされるという考え方です。
- 詩篇73篇にあるように、霊的な指導者であったアサフの足がたわみ、その歩みがすべるばかりであったのは、悪者が栄えるのを見て妬んだからでした。しかし彼が神の聖所に入り、瞑想しているうちに彼らの最後を悟った時、彼は解放された事を記しています。こうした知恵は確かに自分を救うことになると思います。ですから、エリファズが語っていることは必ずしもすべてが間違っているとは言えないのです。問題は、そうした知恵によってすべての問題を解こうとしている点なのです。
3. 神の知恵はどこに
- ヨブ記15章では扱われていませんが、テーマが「神の知恵」であるゆえに、このテーマについて聖書が語っている事に目をとおしておきたいと思います。新約聖書の中で「神の知恵」について触れているのは使徒パウロの書簡です。以下はその記述の箇所です。
【新改訳改訂第3版】
(1) Ⅰコリント 1章21節
事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。
(2) Ⅰコリント1章24節
しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。
(3) Ⅰコリント1章30節
しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、・・
(4) Ⅰコリント2章6~8節
6 しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。
7 私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。
8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。(5) ローマ書 11章33節
ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。
●「隠された奥義としての神の知恵」であるキリスト、その方のことばを真に理解できる者こそ、知恵に満ちた者なのです。
2014.6.10
a:5756 t:3 y:2