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エリファズのヨブに対する反論(3)

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17. エリファズのヨブに対する反論(3)

【聖書箇所】22章1節~30節

ベレーシート

  • 22章はヨブに対するエリファズの最後の対論が記されています。友人の中でも最年長格であり、最も思慮深い者とされたエリファズが、ヨブに対するこれ以上ないと思える希望について述べています。21節以降の彼のことばは、おそらく多くのクリスチャンが「アーメン」と答えてしまう内容です。それほどの希望のメッセージなのです。ところが、ヨブの場合にはそれは真理ではありませんでした。このすれ違いをどのように受けとめるべきでしょうか。

1. 「全能者」という神の名称はヨブ記の特愛用語

  • エリファズの弁論について考える前に、少しばかり道草をして、「全能者」という神の名称に注目したいと思います。この名称は創世記17章1節で、神がアブラムに対して語ったことばの中に初めて登場します。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」と。「全能の神」はヘブル語で「エル・シャッダイ」(אֵל שַׁדַּי)です。「神」を意味する「エール」(אֵל)を取って、「シャッダイ」(שַׁדַּי)だけで「全能者」と訳されます。
  • 旧約では48回使われていますが、その内の7回は「エル・シャッダイ」として、後の41回は「シャッダイ」のみで使われています。48回の中の31回がヨブ記で使われています。実に「全能者」(シャッダイ」はヨブ記の特愛用語と言えます。登場するすべての人物がこの神の名称を使っているのです(40:2では、神ご自身もご自分を「全能者」として語っています)。特にヨブ記の22章は章単位としては最も多く(5回)使われています。
  • 全能者と訳される「シャッダイ」は、「乳房」を意味する「シャド」(שַׁד)と「暴行、破壊」を意味する「ショード」(שֹׁד)、及び、その動詞である「シャーダド」(שָׁדַד)と同じ親語根を持つ語彙です。つまり「シャッダイ」(שַׁדַּי)は、乳房の「豊かさ」のイメージと破壊する「力」のイメージを合わせ持った語彙だということです。英語はこの語彙をAlmightyと訳しています。

2. エリファズの「理解の型紙」によるヨブへの断罪と悔い改めの勧告

  • エリファズにとって、苦しみ(苦難)は悪い行いに対する神の罰であるという信念は最後まで確固としたものでした。それは、彼を支え、彼の拠り所となっているものです。もしその信念が崩されたなら、エリファズ自身がファンデーション・ショックを起こしかねないほどのものなのです。
  • 信念を「神学」とも、また「理解の型紙」とも表現できます。「理解の型紙」は物事を理解する上で便利なものであり、思考の節約にもなります。しかしそれは、思い込み、色眼鏡、固定観念、偏見という弱点をも含んでいます。事実に対して、思い込みによる誤った判断をしかねないのです。エリファズの理解の型紙は、一見、ある者にとっては真実ですが、ヨブの場合には当てはまらないのです。なぜなら、エリファズの型紙はどこまでもヨブを罪あり(罪定め)と決めつけてしまうからです。その思い込み路線の延長でヨブに悔い改めを迫っているのです。

【新改訳改訂第3版】ヨブ記22章21~28節
21 さあ、あなたは神と和らぎ、平和を得よ。そうすればあなたに幸いが来よう。
22 神の御口からおしえを受け、そのみことばを心にとどめよ。
23 あなたがもし全能者に立ち返るなら、あなたは再び立ち直る。あなたは自分の天幕から不正を遠ざけ、24 宝をちりの上に置き、オフィルの金を川の小石の間に置け。
25 そうすれば全能者はあなたの黄金となり、尊い銀があなたのものとなる。26 そのとき、あなたは全能者をあなたの喜びとし、神に向かってあなたの顔を上げる。27 あなたが神に祈れば、神はあなたに聞き、あなたは自分の誓願を果たせよう。28 あなたが事を決めると、それは成り、あなたの道の上には光が輝く。

  • エリファズは自分の理解の型紙による思い込みから、ヨブが犯したかもしれないいくつかの罪を示し、その罪をヨブが認めて神に立ち返るなら、数々の祝福を受け取ることになると説得しています。その祝福は「平和」「幸い」「光」ということばで表わされます。エリファズの神学、理解の型紙は、問題はすべて人間の側にあり、人間が態度を変えるならば、おのずとすべてがうまくいくという祝福の基調であり、神の主権については全く触れられていません。

3. 訳の異なる箇所

  • 22章29~30節は、新改訳と新共同訳ではかなり異なった訳になっています。

    【新改訳改訂第3版】22章29~30節
    29 あなたが低くされると、あなたは高められたと言おう。
    神はへりくだる者を救われるからだ。
    30 神は罪ある者さえ救う。その人はあなたの手のきよいことによって救われる。

    【口語訳】
    29 彼は高ぶる者を低くされるが、/へりくだる者を救われるからだ。
    30 彼は罪のない者を救われる。あなたはその手の潔いことによって、/救われるであろう。

    【新共同訳】
    29 倒れている者に、立ち上がれとあなたが言えば/目を伏せていた者は救われる。
    30 清くない者すら/あなたの手の潔白によって救われる。

  • 特に、29節の訳は聖書によって異なっています。なぜ、この箇所に注目するかといえば、ヨブの救いが、他の人にも大きな影響を与えることが示唆されているのかどうかを明白にしたいからです。その点において、新共同訳は「倒れている者に、立ち上がれとあなたが言えば/目を伏せていた者は救われる。」と訳されていて明解です。
  • 直訳(逐語訳)すれば、
    まことに、低くされた者(複数)に、あなたが言う、高められる(と)  すると 目の低い者(へりくだる者―単数) 彼は救われる
    となります。新共同訳が一番近い訳のように思えます。とすれば、ヨブが悔い改めれば、神とヨブの垂直関係のみならず、ヨブが与えられた立場によって他の者たちも祝福を受けるという水平関係の責任が加わることを意味しています。
  • エリファズの語っている内容は、今日、多くのキリスト教会が語る伝道説教です。決して間違ったことを語っているわけではありません。しかし、神の世界においては、それがすべてではないということを謙虚に受け止める柔軟性が求められます。それがヨブ記の存在の鋭さなのだと思います。イェシュアも自分たちは鋭いことを語っています。

    【新改訳改訂第3版】ヨハネの福音書9章39~41節

    39 そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」
    40 パリサイ人の中でイエスとともにいた人々が、このことを聞いて、イエスに言った。「私たちも盲目なのですか。」
    41 イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」


2014.6.20


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