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エルサレム

No.2「エルサレム」(יְרוּשָׁלַיִם)

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「エルサレムの平和のために祈れ。」(詩篇122篇6節)

●マタイの福音書1章の冒頭に記されている三人の人物、「アブラハム、ダビデ、イエス・キリスト」に共通することは何かと質問されて、「エルサレム」と答えられる人は、神の永遠のご計画を良く知っている人です。アブラハムはイサクをささげるためにモリヤの山に行きました。「モリヤ」とはヘブル語で「主の示された場所」を意味します。これが後の「エルサレム」です。エルサレムは「ダビデの町」とも呼ばれます。なぜならダビデがその地を、主の宮(神殿)を建てるための用地として買い取ったからです。そしてイェシュア(イエスのヘブル名)においては、十字架の死と復活、そして昇天と再臨の舞台が「エルサレム」なのです。

●「エルサレム」のヘブル語は「イェルーシャーライム」で、この言葉は二つの語彙から出来ています。先の「イェル」は神がいつも関心を持って見ておられるという意味で、後の「シャーライム」は神のご計画が実現・完成することを意味する動詞「シャーレーム」の名詞形「シャーローム」の複数形です。ですから、「シャーライム」は神のすべての祝福を意味する言葉なのです。なぜ神がそれほどまでに関心をもってエルサレムを見ておられるのかと言えば、メシアが再臨されるとき、そこが全地における中心地となり、神がイスラエルを通して約束されてきたすべての祝福が注がれる地となるからです。

●有名な聖句に「あなたがたは世の光です」(マタイ5:14)があります。「世」をヘブル語に訳すと「オーラーム」という「永遠」を意味する言葉になります。そして「光」は、光源の光ではなく、秘められた神のご計画とみこころ、御旨と目的を意味する言葉です。この聖句の後には、「山の上にある町は隠れることができません」とあります。「山の上にある町」とは「エルサレム」のことです。そこは神ご自身が永遠の場所として選び望まれた町であるゆえに、隠れることも、隠されることもあってはならないのです。詩篇122篇の「エルサレムの平和のために祈れ」とは、神のご計画が実現・完成することを祈れということでもあります。御国の民である私たちは、「世の光」すなわち神の永遠のご計画を、「人々の前で輝かせ」(語り告げ)る責任があるのではないでしょうか。それが神の言われる「良い行い」(マタイ5:16)なのです。

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