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エルサレムに対する糾弾ととこしえの契約

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16. エルサレムに対する糾弾ととこしえの契約

【聖書箇所】 16章1節~63節

ベレーシート 

  • エゼキエル書16章はとても長い章です。聖書では、神と民の関係を夫婦としてたとえていますが、エゼキエル書16章では「エルサレムの町」をとしてたとえています。この章を正しく理解できるならば、なぜエルサレムが陥落して滅びなければならなかったのか、よく理解することができるはずです。

1. 「女王の位」とされたエルサレム

【新改訳2017】エゼキエル書16章7~14節
17 わたしはあなたを野原の新芽のように育て上げた。あなたは成長して大きくなり、十分に成熟して、乳房はふくらみ、髪も伸びた。しかし、あなたは丸裸であった。
8 わたしがそばを通りかかってあなたを見ると、ちょうど、あなたは恋をする年ごろになっていた。わたしは衣の裾をあなたの上に広げ、あなたの裸をおおった。わたしはあなたに誓って、あなたと契りを結んだ──【神】である主のことば──。そして、あなたはわたしのものとなった。
9 わたしはあなたを水で洗い、あなたの血を洗い落とし、あなたに油を塗った。
10 わたしはまた、あや織りの衣服をあなたに着せ、じゅごんの皮の履き物をはかせ、亜麻布をかぶらせ、絹物でおおった。
11 それから、わたしは飾り物であなたを飾り、腕には腕輪をはめ、首には首飾りをかけ、
12 鼻には鼻輪、両耳には耳輪を着け、頭には輝かしい冠をかぶらせた。
13 あなたは金や銀で飾られ、亜麻布や絹やあや織物を着て、上等の小麦粉や蜜や油を食べた。こうして、あなたは非常に美しくなり、女王の位に進んだ。
16:14 あなたの美しさのゆえに、あなたの名は国々の間に広まった。それは、わたしがあなたにまとわせた、わたしの飾り物が完全であったからだ──【神】である主のことば。

  • 「エルサレム」はユダの民の象徴とも言えます。16章では、エルサレムの輝かしい存在が、その生い立ち、成長、成熟、結婚を迎えるプロセスの中で説明されています。もともとエルサレムの町は父をエモリ人(אֱמֹרִי)、母をヘテ人(חִתִּית)とする町で異教的な場所でした。ダビデの時代にはそこにエブス人(יְבוּסִי)が住んでいましたが、ダビデがこの町を攻略してイスラエルの首都としたのです。神もご自身の名をそこに置かれました。ソロモンの時代は神殿が建てられ、宗教的・政治的拠点としてその重要性は増し加わりました。まさにエルサレムは神に愛され、祝福されたので、その周辺諸国において女王的な立場を確立しました。まさにその美しさ、高貴さ、輝かしさのゆえに、エルサレムの名は諸国の民の間に広まりました。また、その町の堅固さは難攻不落の町として知られたのです。
  • ところが、エルサレムは主の祝福によって美しさと堅固さをまとったにもかかわらず、いつの間にかそのことを忘れ、あたかもそれが自分の力によってなしえたかのように思い始めました。つまり、自分の名声を保とうと、その体裁を保持するために、エルサレムいる王たちは他の諸国(特に、エジプト、アッシリヤ、バビロンといった大国)と同盟関係を結ぶ政策を取ったのです。このことが聖書のいう霊的な「姦淫」です。同盟関係を結ぶことによって、相手国の偶像をエルサレムに取り入れるようになったのです。長い間の主の忍耐の末、神の民をリセットすべく、このエルサレムの町をさばき、廃墟にすることを主が決意されたということです。
  • 霊的な「姦淫」の本質は、生存と防衛の保障を自分たちの神である主にではなく、他の国々の偶像に依存することです。夫である主に頼るべきところを、他の神々にそれを求めたこと、これが聖書が意味している霊的な「姦淫」なのです。

2. エゼキエル書 16章に見られる性的倒錯用語

(1)「タズヌート」(תַּזְנוּת)
エゼキエル16章(23章も同様)には、他では使われていない性的倒錯用語があります。それは「姦淫」と訳されるヘブル語「タズヌート」(תַּזְנוּת)です。16章では9回(15, 20, 22, 25, 26, 29, 33, 34, 36節)、23章では11回(7, 8, 8, 11, 14, 17, 18, 19, 29, 35, 43節)です。

(2)「ザーナー」(זָנָה)
名詞の「ダズヌート」の元になっている動詞は「ザーナー」(זָנָה)です。旧約では61回。そのうち、エゼキエル書は17回(内、16章では8回、23章では6回)、ホセア書は13回の使用頻度ですが、その訳語は「姦淫する」「姦通する」「淫行する」です。

(3)「ゾーナー」(זֹנָה)
「ザーナー」のもうひとつの名詞である「ゾーナー」(זֹנָה)は旧約で33回。そのうちエゼキエル書16章では4回(16:30, 31, 33, 35)その語彙が使われています。「ゾーナー」の訳語は「遊女」「姦婦」(新改訳)です。

(4)「ナーアフ」(נָאַף)
動詞の「ナーアフ」は旧約で31回。エゼキエル書16章では2回(32, 38節)、ちなみに23章では4回(37, 37, 45, 45節)。分詞として使われ「姦婦」「姦通した女」(新改訳)です。

  • エゼキエルのエルサレムに対する告発は厳しいものがあります。それは代価が払われる遊女とは反対のこと、つまり自分の方から贈り物をしてまで、四方から自分たちのところに来させて姦淫をしたということで責められています(33~34節)。かつて味わったエルサレムの繁栄の対面を保つために、また生存と防衛の保障を得るためにそうしたのでした。そのことに対して神は怒り、エルサレムの淫行をやめさせようとしたのです。実際には、それはエルサレムの町を焼き、廃墟とすることでした。まことの神を信頼せずに諸国と同盟を結び、その諸国の偶像を取り入れて拝んだその代償は彼らの想像をはるかに越えたものでした。彼女(エルサレム)は、生まれたときの元の裸の状態に戻されるのです。

3.「とこしえの契約」を立てるという主の約束

  • しかし、そのような神の民を主は赦して、捕らわれ人を帰らせる(バビロンからの帰還)だけでなく、再び、彼らと「とこしえの契約を立てる」という終末的希望の約束を預言しています(53~63節)。またそのときには、サマリヤの娘とソドムの娘たちの捕らわれ人も回復することで契約を新たにし、それによって「あなたは、わたしが主であることを知ろう」とあります。
  • 旧約聖書で「とこしえの契約」(ベリート・オーラーム)について言及されている箇所は、以下のように八箇所。まず、ダビデの最後の歌の中に「とこしえの契約が私に立てられている」とあります(Ⅱサムエル23:5 )。他に、
    イザヤ書24:5、55:3、61:8
    エレミヤ書 32:40、50:5
    エゼキエル書16:60、37:26
    です。

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2013.5.28


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