****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

オリーブ山にて

No.4. オリーブ山で

【聖書箇所】マタイ24:3~25:46 マルコ 13:3~37 ルカ 21:37~38

1. エルサレム神殿破壊の予告

  • 火曜日、イエスとその一行がエルサレムの宮を出たとき、弟子の一人が神殿のあまりのすばらしさに驚嘆しました(当時、ヘロデはユダヤ人の歓心を買うためにBC20年頃から神殿を改築し、AD64年に完成したと言われています。弟子が驚嘆した神殿の外見はほとんど出来上がっていて、その全面は金箔で覆われ、日の出時はあたかも太陽光線そのものを見つめる時のようにまばゆいものであったと言われています。他の部分も白い大理石を用い、贅沢の限りを尽くしたものであったようです。)。ところがイエスはこの神殿の石が跡形もなく崩れ去ることを預言されました。そして事実、AD70年、この神殿はイエスの預言通り見るも無残に破壊されてしまったのです。
  • 栄枯盛衰ということばがあるように、この世の栄華は必ず滅びる運命にあることを歴史そのものが啓示しています。私たちは目に見えるものに振り回されやすい者です。あとから振り返ってみると、どうでもよかったと思えることのために、多くの時間と精力を費やしてしまう者です。どこに目を向けて生きるべきか。使徒パウロはこう言っています。「私たちは見えるものではなくて、見えないものにこそ目を留めます。目に見えるものはしばらくで、目に見えないものは永遠に続きます。」と(Ⅱコリント4:18)。この視点をキリスト者としてもっと養われる必要があると思わされます。
  • さて、そのあとイエストはオリーブ山に行かれ、座っていると、弟子たちが先の預言についてそれがいつ起こるのか、その前兆は何か、をイエスに質問しました。そこから、イエスはこれから起こる「終末について」話されたのが、今回の瞑想の箇所1です(マタイでは「オリーブ山の説教」としてまとめられています)。
  • オリーブ山でイエスが話されたことは、すでに起こったものもあれば、今だ、起こっていないものもあります。しかしこれから確実に起こることです。イエスがここで話されたことは決して新しいことではなく、すでに旧約の預言者たちによって預言されていたことでした。ちなみに、ゼカリヤ書とイザヤ書は旧約におけるメシア預言の二大巨峰です。特にセカリヤ書の最後の章である13章、14章にはイエスがオリーブ山で語られた終末の話が記されています。
  • オリーブ山で語られた内容は、ヨハネを除く共観福音書のすべてが記しています。イエスの「最後の一週間」の瞑想をはじめて思わされることは、そこになんと多くの事が語られているかということです。圧倒されてしまうほどです。

2. 終末(世の終わり)の前兆とユダヤ (エルサレム) に対する裁きの予告

  • マタイの福音書によれば、終末の前兆は

    ①多くの偽キリストの出現。
    ②戦争、飢饉、地震
    ③迫害による苦しみによって、お互いに裏切り、憎み合うようになる。
    ④御国の福音が全世界に宣べ伝えられて、そのあかしが完了すること

  • ユダヤ (エルサレム) に対する裁きの予告は

    ①ダニエルが預言した『荒らす憎むべもの』が聖なる所に立つことき、ユダヤにいる人々は大患難を受ける。
    ②エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。
    ③偽預言者たちによる惑わし

3. 人の子の来臨(キリストの再臨)と来臨を待つ心構え

  • 人の子の来臨

    ①天の万象が揺り動かされる
    ②人の子が雲に乗って来られる。
    ③御使いたちが四方から選びの民を集める。

  • 人の子の来臨を待つ心構え

    ①人の子は思いがけない時に来る。
    ②十人の娘のたとえ、タラントのたとえ
    ③すべての国々の民が御前に集められてさばきがなされる。

4. オリーブ山での説教が問いかけるものは何か

  • 「終わりの日」についてのイエスが語られたこと、また他の新約聖書の書巻(使徒たちの書巻、ヨハネの黙示録)を学ぶことで、終わりの日の出来事を知ることができます。しかしそれを知りながら、どのように待つかについての在り様は実に様々です。ある人々(特に、異邦人)は「全世界に福音が伝えられる」ための使命感に強調点を置き、その働きを邁進しようとします。ある人々(特に、ユダヤ人)はイスラエルへ帰還しています。ある人々はユダヤ人を助け、ユダヤ人と異邦人の一致(福音の奥義としての一致の実現)のための掛け橋的な働きをしています。ある人々は自分たちの力で世界の平和を祈り実現しようとしています。ある人々は主の再臨を待望することに大きな関心をもちながら祈り続けています。いずれにしても終末に対する理解が、今の自分の生き方を決定づけていくのかもしれません。
  • 私個人への問いかけとしては、イエスが「いちじくの木からたとえを学びなさい。」(マタイ24:32、マルコ13:28、ルカ21:29)と言われたように、「いちじくの木」はイスラエル民族を象徴しています。今日のイスラエルはまさに「時のしるし」です。イスラエルに対して常に関心を向けながら、今与えられている猶予(あわれみ)の中で神の国の福音を宣べ伝えながら、神の国の完成を仰ぎ待ち望みたいと思います。

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